これ@これAの続き。



「あら、中也。やっと来たのね」
「……なまえ…」



気の向く儘にぶらりと立ち寄った酒場で、懐かしい顔と鉢合わせた。
鉢合わせた、筈だった。
けれど、相手の口ぶりでは、まるで俺を待って居たような、俺が来る事を予期していたような気さえする。
否、此奴には判っていたのだろう。
俺が今日という日に、たった一人でこの店へ入る事が。

カウンター席に座るなまえの隣に腰掛け、適当な酒を注文する。
此奴と飲むのは、あの日以来だ。



「聞いたぞ。太宰の女になったんだってな?」
「やだもう、中也ったら。私が太宰の女になったんじゃなくて、太宰が私の男(仮)になったのよ?」



俺には、其の二つの違いが大して判らなかったが、嘗てこの女の言葉の七割は、意味の無い言葉遊びだったという事を思い出し、深く考える事を辞めた。
長い事顔を合わせてはいなかったが、俺の記憶の中の其れと全く変わらない喋り方をするなまえに、ひっそりと安堵の息を漏らす。



「相変わらず変わった女だな、手前は」
「そう言う中也も相変わらずね。というより先刻の話、誰から聞いたの?」
「青鯖。態々、手紙で自慢してきやがった」



なまえと恋人になった。私の勝ちだ。
要約してしまえばそんな内容の手紙が俺の元に届いたのは、未だ記憶に新しい。
計五枚に渡って書き連ねられた自慢と勝利宣言、そして嫌味は最期まで目を通してみても只管気分を害するだけだった。



「まったく妬けるわね」
「ああ?」
「太宰ってば、中也の事 大好きなんだから」
「ぶっ!?気持ち悪い事云うんじゃねぇ!大体、何見てそう思った!?」



俺が酒の入ったグラスに口を付けた途端、不気味な事を云い出すなまえに取り乱さずにはいられなかった。
何もかも見透かしたような顔してとんでもない爆弾を投下しやがるこの女は、変な所ばかり嘗ての相棒に似ていて癪に障る。



「だって、中也も大好きでしょう?太宰の事」



これは、『言葉遊び』ではない。
まったく。
何が、『だって』だ。
其れではさっぱり、順接が成り立たない。
あー、畜生。
なんだって此奴はこんなにも楽しそうな面してやがンだ。



「莫迦だろ、手前」



判りきった事を云うンじゃねぇよ。



「俺は、アイツが大嫌いだ」
「其れは、二人が何処までも似ているからよ」



其れは、手前も同じだろ。
手前だって、太宰と十分似ている。

俺となまえが似ているかどうかというのは、俺には判り兼ねるが、俺と太宰が似てるってんならきっと俺達だって似ている所の一つや二つはあるのだろう。
其れくらい、俺の記憶するなまえと太宰は似ていた。



「お互い、嫌いな相手と長い間相棒でいられる程、好い性格してないでしょう?貴方達」



嗚呼、其の通りだ。
俺も太宰も、何処かでは判っていたのだろう。
お互いに似ている事を。
何しろ俺達は同時期に、同じ女に惚れていたのだから。
否、今でも惚れている、か。



「ありがとう、中也」
「…何が」
「私を逃がしてくれて」



嘗て、ポートマフィアの外側に居るにも関わらず、組織の下っ端なんかよりも随分と内側に近い場所に居た女。
蝶のくせに誰にも買われない其の蝶は、其れ以外にも仕事があるのだと云って、一時たりとて誰のものにもならなかった。
女の云う仕事とやらを俺が知る事は終ぞ無かったが、其れももう終わった事だ。
俺は一目見た時から其の女に惚れ、同時にこんな所に居るべき蝶ではないと思っていた。
だから、なまえが俺達の手の届かない場所で生きているのなら、其れで好い。
譬え、なまえを逃がしてやったのが俺でなくとも。
譬え、其の隣で生きているのが大嫌いなあの男だとしても。



「…手前を逃がしたのは、太宰だろ」
「ふふふ、そうね。そういう事にしておくわ」



俺じゃない。
手前だって判ってる筈だ。
俺には、何もしてやれなかった。
否、する気も無かった。

何時かなまえを逃がしてやれたら、と思う一方で、何時までも俺の手の届く場所で飼い殺してやりたいとさえ思っていた。
どうか、俺の傍に居てくれ、と。



「あの日、私の前に差し出されたのが貴方の手なら、私は貴方と生きる心算だったのよ」



ああ、判っていたさ。
あの時のなまえは俺と太宰、どちらか先に手を伸ばした方を選ぶ心算だったという事くらい。
其れでも、手前には判ってた筈だ。
俺には首領を裏切ってまで、手前と生きる覚悟は無いのだと。
太宰なら、手前を簡単に攫って行っちまうンだろうと。
勿論其れは、太宰の奴も判っていた筈で。
何処までも似ている俺達が嫌になる。



「太宰は私を引っ張ってなんかくれなかったわ。自分で上がって来いと手を伸ばしただけ」



そうだ。
アイツはそういう奴だったろ。
アイツの助け方は、何時も中途半端だったろ。



「貴方が背中を押してくれたから、今の私が居るのよ」



そうか。
俺は手前に対して、そんなにも甘かったか。
赦せ。其れだけ手前を愛してたンだ。



「其れでも、今の手前と生きていけるのは俺じゃない」



俺達は似ている。
けれど、似ている事と同じ事とは、等しくはない。
あくまで俺達は似ているだけで、太宰が俺になれないように、俺も太宰にはなれない。
だから、なまえと生きていく為に必要な、色々なものが欠けている俺には、なまえを傍に置く資格など元より無いのだ。



「……なまえ」
「なあに、中也?」



嗚呼、あの日と同じだ。
女の名前を呼べば、緊張感の欠片もない間延びした返事と俺の名を呼ぶ声が返ってくる。
なまえは確かに、此処に居る。
其れ程昔ではない筈の昔を思い出す。
俺となまえが飲む酒も、客が疎らである事も、なまえと最後に飲んだあの日と同じ。
俺は、こうしてなまえと飲む酒が好きで、あの時はただただ倖せだったンだ。
なまえが俺の前から消えたのは、其の数日後の話だった。



「もう少し、此処に居ろよ」



隣に居るなまえにすらはっきりと聞こえたかどうか奇しい小さな呟き。
そんな呟きに対するなまえの返事など無くて。
柄にも無く少し不安になってなまえに目を遣れば、なまえは何も言わず静かに微笑んでいるのだった。


もう少し。
もう少しだけ、君の傍に居させておくれ。



蝶をう吾は



このまま酒に酔ってしまえば、気が付いた時にはなまえが居なくなっているような気がして、矢っ張り今日は飲みたくないなんて思ってしまった。