「太宰は、矛盾ね」
「……なまえ。日本語が日本語でないよ」
「そう云う太宰こそ。日本語は正しく使いなさい」



私のまったく可笑しな投げ掛けに、これまた可笑しな返しをする太宰。
お互い、手に持った本からは視線を逸らさずに、クスクスと笑い合う。
嗚呼、なんて滑稽で平和な時間。

今日も忙しない武装探偵社で、こんなにも暇を持て余しているのは、私と太宰の二人だけだった。
というのも、普段暇そうな自由人の乱歩さんは、珍しくやる気であったのに名探偵のお仕事がないのでソファーで不貞寝し、いつも暇そうにしていると尻を叩いてくる国木田お母さんはお仕事で外へ行っている為である。
因みにその他の面々も皆、出払っていたり社内で忙しそうに働いていたりする。
先刻から視界の端を賢治くんが忙しそうに動き回っていた。
そんな社内で読書を嗜むも、一向に内容が入って来ず、何となくこの自殺愛好家に声を掛けてみたが、どうやら彼も私と同じような状況らしい。
この騒がしい社内で、太宰の本を閉じた音が嫌に響いた気がした。
今日の太宰は、『完全自殺読本』を後回しにしてまで私の暇潰しに付き合ってくれるようだ。
そんな太宰に合わせて、手持ちの小説に栞を挟み、机上のティーカップの隣に置く。
一連の動作を終え、太宰へと視線を移せば、彼はにこにこと云った形容のごとく、とても楽しそうな笑みを浮かべていた。



「それで?私が矛盾しているとは、どういう事かな?」
「違うわ。太宰は、矛盾そのものなのよ」
「ほう。何故、そう思うんだい?」
「一言で言うなら、太宰の全てが矛盾で成り立っているから。太宰が矛盾であり、矛盾が太宰だからよ」



中也が嫌いだなんだと言いながら、自ら『嫌がらせ』をしに行く。
自殺自殺と云う割に、本気で死のうとしない。
太宰という男はきっと、矛盾と嘘とで構築されている。
少なくとも私はそう断定する。
なんて、一寸難しそうな事を云ってみたのも、ただ単に時間を持て余しているからに過ぎない。
これまで私が吐き出した言葉に意味はなく、__要するに暇。
けれど、決して退屈な訳ではない。
太宰とこうして話している事で、退屈の檻からは抜け出した。
私の中で、太宰の居る時間は決して退屈しないのだ。



「まぁ、そんな貴方だから、私は惚れたのでしょうけれど」
「………え?」



驚きに目を瞠る太宰。
嗚呼、こんな太宰を見るのは、何時以来かしら。
とても面白い。
これは、演技でも大袈裟な反応でもなく、本当に驚いている時の其れだ。

矛盾でしかないこの男の何に惚れるというのか。
自身ですら理解し兼ねる心境ではあるものの、そう思ってしまったのだから、そうとしか受け止められない。
私からしてみれば、根拠ある否定よりも受け入れてしまう事の方がずっと容易だ。



「え、え?ちょ、ちょっと待って。ちょっと待って!」
「じゃあ、下でお茶でもしてくるから、落ち着いたら呼んで頂戴?」
「いや、そうじゃなくて!」



随分とパニックになっている太宰を見て、くすりと笑みを零さずには居られない。
其れに気付き落ち着きを取り戻す太宰だが、もう遅い。
ゴホン。なんて、態とらしい咳払いを一つして口を開こうとする太宰の頬は、ほんのりと赤みが掛かっているような気さえした。
今日は、太宰の珍しい所ばかりが見れる。



「…なまえは、私に惚れているのかい?」
「そうね。そう云った筈よ?」
「い、何時から?」
「さぁ?そんな事は判らないわ。あ、でも」



何時から惚れていたのかなんて判らない。
私は、太宰という男が最初から割と好きな方であったし、退屈を感じない太宰との時間を恋の所為だとするならば、確かに其れこそ最初からだ。
私は、太宰と居る時間を退屈に思った事は一度たりとて無い。
そう云う意味では、太宰という男を知ったその時から私は太宰に惚れていたとも云えるし、其れ程簡単なものではない気もする。
しかし、そんなこの恋心についてただ一つ云える事がある。



「気が付いたのは、今朝ね」
「今朝!?」
「そう、今朝」



今朝、唐突に思った。
探偵社の扉を開けて真っ先に目に入った、国木田くんに絡みまくる太宰に対して。
嗚呼、好きだなぁ。なんて。



「その件が、非常に気になるのだけれど」
「詰まりは、今の貴方の方が好きって事じゃないかしら」
「うん。その解釈も非常に気になる」
「そして、太宰は国木田くんと中也の事が大好き」
「なんで!」



太宰は変わった。
人間の本質はそう簡単には変わらない、とは誰の言葉であったか。
成程、太宰という男の本質も又、変わらないように見えるだろうが、この男は確かに変わってしまったのだ。
嘗てポートマフィアであったあの頃より、ずっと人間に近い。
自殺自殺と煩い所と、人を食ったような性格は相変わらずであるが。
それでも確かに、人間臭い男になってしまったのだ。
そして私は、そんな太宰に惚れている。
昔の太宰も勿論好きではあったけれど、今の太宰は其れ以上に好きなのだ。

話はこれでお仕舞い。とばかりに私は一人席を立つ。
終わりの言葉は無かったが、私の性格を判っている太宰なら、言わずとも理解していることだろう。
私は、臆病だ。
臆病で弱虫で、嫌な事からは直ぐに逃げたがる。
太宰からの返事は必要ない。
私は只、思った事を口にしただけなのだから。



「なまえ。先刻の話だけど、」



随分と前にすっかり空になったティーカップと読みかけの小説に手を伸ばすと、太宰が至って真面目な声音で私の名を呼んだ。
決して威圧感のある声ではなく、ただただ真面目なだけの声であったが、何故だか私の体は動作を止めてしまった為、逃げられなくなってしまう。
私を見て。と云う太宰の言葉に従って、ゆっくりと彼を見上げる。
其処に居たのは、私が嘗て見たことのないくらいの綺麗な笑顔を浮かべる太宰で。
私は、とうとう見惚れて動けなくなってしまうのだった。



「私もなまえの事が好きだよ」



嗚呼。
貴方の全てが矛盾だと云うのなら、私にとってその言葉は決して望んだ言葉ではないというのに。
なのに、何故これ程迄に胸が暖かくなるのでしょう。



矛盾をらふ人の子よ



仕方が無いから、貴方の其の、赤く染まった頬だけは信じる事に致しましょう。