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「紬見つけた!」

お風呂上がり。なぜかぞくりと背筋が震える。嫌な予感がして振り返ると、満面の笑みを浮かべた西谷がいた。

抵抗も虚しく腕を引っ掴まれた私は、無駄に強い力で男子の大部屋に引き摺り込まれる。わっと湧く部屋と、全てを悟ってゲンナリしてしまう私。だってこれは絶対…。

「第二回!烏野高校トランプ大会を開催する!」
「やだ!絶対やだ!!」
「何言ってんだ!お前は参加絶対だからな!」

昨年の苦い記憶が瞬く間に思い出される。
トランプ大会で惨敗を喫した私は、GW明けに同級生男子からジュースを奢らされた。ゲラゲラ笑う同級生たちの顔を、私は絶対に忘れない…。

そんな、私にとって悪夢のような大会が本日も開催されようとしていた。私に絶対参加だというあたり、またこいつらは私にジュースを奢らせようとしている。む、と眉を顰めるとまた笑われた。最悪。


「あー!本当にありえない!」
「……っはぁ、マッジで腹いてぇ。お前まじでババ抜き弱すぎ」

先輩たちが遠くから見ていることも忘れて熱中していたババ抜きがひと段落したところで、やっと周りを見渡した。ベシャ、と持っていたトランプをばら撒きながら顔を伏せる。もうだめだ。ジュース何本買わないといけないんだ。

「先輩たち何してるんですか!」
「おー!日向、影山!お前らもおジュース奢ってもらおうぜっ」
「ちょっと田中!」

二年が丸くなって何かしているのが気になったのか、お風呂から上がった後輩たちが顔を覗かせた。このままじゃ破産してしまうので田中の頭を強めに叩く。とりあえず賭け事はなしで、みんなでトランプをやることになった。結局負けちゃうかも知れないけどひとまず安心。

「俺もまーぜてっ」

ウキウキが滲み出たような明るい声がして振り返ると、背後に菅原先輩と東峰先輩が立っていた。菅原先輩が澤村先輩のことも誘っている。最初は渋い顔をしていた澤村先輩だったけれど、田中や西谷もそれに加わって最終的に折れていた。
こうして、全員集合トランプ大会が始まった。潔子さんもいてくれたらよかったのになと思ったので、どこかの機会でお誘いしてみようと思う。

菅原先輩が私と西谷の間に腰掛けたことにより、沈みかけていた私の心は急浮上する。改めてにはなるけれど、私の心は複雑に見えて案外単純にできているらしい。

「遠藤ちゃんババ持ってんべ」
「っも、ってません!」
「うわぁ、怪し〜」

菅原先輩に引かれるターンになるたびにじっと目を見つめられるので色んな意味で心臓がバクバクする。たとえババを持っていなかったとしても異常に焦ってしまうので、真剣に怪しまれるというのを何ターンも繰り返している。
合宿前の一件のせいで彼を意識しすぎてしまった節はあったが、このように部員全員で戯れる分には大丈夫になってきた。それに気づいてホッと胸を撫で下ろす。

ぼうっとしてると西谷からババを引いてしまい、笑いを堪えきれなくなった西谷のせいで菅原先輩にもバレた。最後まで私の手元にあったババは引かれることなく、最後「ごめんな?」て気を遣った菅原先輩に謝られながら負けた。悔しかったけど、全員笑っていたので良しとしようかな。日向の隣だったら少しは勝算あった気がするんだけど。

「ほんっとわかりやすいんだなー。」

完敗すぎて居ても立っても居られなくなったので、俺も行くと声をかけてくれた菅原先輩と一緒に、飲み物を買いに自販機に向かう。先輩が楽しそうに笑うので、負けたことなんてこの時にはどうでも良くなっていた。

「折角だし、ちょっと散歩しない?」

こんな時間に甘いものはな…と自販機の前で悩んでいると、菅原先輩が私の名前を呼んだ。この誘いを断る理由なんてあるわけがなく、こくこくとうるさいくらいに頷く。反応を見てゆるりと笑った菅原先輩に見惚れてしまいそうになりながら、大地に怒られるから静かになという先輩に続いて静かに外に出た。


しばらく話をしながら敷地内を散歩する。緑が多いこの合宿所は風が吹くたびにザワザワと木々がなる。一人でいると多分怖く感じるであろうそれも、菅原先輩の隣を歩く今、私にとっては熱冷ましにちょうど良いただの風となっていた。

「ほい、遠藤ちゃんはこれだべ?」

見つけた自販機で私の好きなレモンティーを買った菅原先輩は、得意気に笑いながら手渡す。買ってくれたことも、好きな飲み物を覚えてくれていたこともどっちも嬉しくて、胸がギュッとなる。

ありがとうございますとお礼を告げると、先にベンチに腰掛けた菅原先輩は、私に隣に座るよう促した。ちょっと緊張はするけど、座らない方が不自然なのでちょっとだけ距離を保って隣に腰掛ける。

「音駒との試合、楽しみですね」
「だなぁ。どんな奴らなんだろ。でも因縁の、だからな」

沈黙の時間が続いて気まずさを感じてしまった私は、他愛もない会話を先輩に振った。緩いスピードで会話を続ける。音駒の人たちがどんな人なのかというイメージ像を好き勝手に広げて盛り上がった。

「焦んなきゃなー…部活とか、色々」
「色々?」
「まぁ、…その、恋愛、とかさ。」

会話の切れ目、ぽつりと、菅原先輩が自分に言い聞かせるみたいに呟いた。その内容に、びくっと明かに反応を示してしまったのが自分でも分かる。菅原先輩はいま、恋愛を焦らなきゃと言った。それは確かに、菅原先輩から紡がれた言葉だ。菅原先輩が、恋をしているということだ。

「菅原先輩、好きな人、いるんですか?」
「あー…」

勇気を振り絞って出した問いかけは、やっぱり声が掠れていた気がする。それでも問いかけを取り消すことなんかできない。でも、今、菅原先輩の表情を見る勇気もない。

「逆に遠藤ちゃんはいるの?」
「…」

突然の問いかけに気の抜けた私は、咄嗟に隣にいる菅原先輩の顔を見る。一瞬目が合った先輩は当たり前だけど平然としていて、ただの会話の延長線上なんだなぁと実感させられた。私が聞いたから、聞き返しただけ。きっとそれには深い意味なんてなくて、自分自身から話題を逸らすための社交辞令だ。

ふと、昨日の徹くんの言葉を思い出した。「好きな人、いるんだ」って呟いた彼の表情は幼馴染なのに見たことがない表情で、高校三年間のうちに色々なことがあったのかなと彷彿させるようなものだった。私の知らない、徹くんの時間がそこにはあったんだ。

そして、私に好きな人がいるということは、言葉にせずとも伝わってしまうほどわかりやすいのかもしれないと思ってしまう。隣にいる菅原先輩にも、もしかしたら私の気持ちがバレてしまっているのだろうか。そんな考えが頭をよぎると、こうして隣に座っていること自体が恥ずかしく感じられて歯が浮く。

「…そういう相手、いるんだね」
「えっ?」
「なんか、そんな顔してる」

今度は、目が合わなかった。
菅原先輩は、手元にある缶のコーンポタージュを見つめたままだった。だけどその横顔が、昨日見た徹くんのものと重なってモヤモヤしてしまう。その顔は、なんの顔なんだろう。菅原先輩も、徹くんも、何を考えてそんな顔をしているんだろう。考えても考えてもわからなくて、なんだか訳もわからず泣いてしまいたくなった。この心に溜まったモヤモヤを流してしまえば、楽になれるんだろうか。

「そろそろ戻ろっか」

しばらくの沈黙が続いた後、先輩は立ち上がる。手の中のレモンティーにはほぼ手をつけていなくて、口の中がカラカラに乾いていた。私は菅原先輩が好き。だけど先輩にはきっと、思い出して切ない表情を浮かべてしまうほどに好きな人がいるんだ。

同じクラスの人だろうか。それとも、もっと身近な……潔子先輩とか?いや、もしかしたら幼い頃から一緒に過ごしてきた大事な女の子がいるとか。

よく考えたら、私は菅原先輩のことを何も知らない。部活以外の時間で先輩がどんな顔をするのか、わからない。友達とかクラスメイトに対してどんな接し方をしていて、どんな風に思われているのかわからない。それに気づいてしまうとドス黒い感情が胸の中を占めて、ドロドロに混ざっていく気がした。
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