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「ただいま…って、なんでいるの?」
「紬おかえりぃ」

私たち烏野バレー部は、明日から合宿だ。一週間泊まり込みになるから早く帰って準備をしなければと皆に告げて、肉まんを奢ってもらえるといういつものお誘いを我慢して帰宅した矢先のお出迎え。私の定位置であるダイニングの椅子に腰掛けていたのは徹くんだった。呑気におかえりなんて言って、お母さんが作ったご飯を頬張っている。

昔はよくこんなこともあったけど、徹くんが高校生になってから全くなかったので私の身体はぴしりと固まる。そりゃあこっちが避けていたので当たり前っちゃ当たり前なんだけど。それでも、自分の家に男の子がいるというのは幼馴染であれどびっくりするもので。

「ちょっとあんた、明日から合宿なんだって!?教えてよ。なんでママ、徹くんに教えてもらわないといけないのよ」
「…あ、ごめん。忘れてた。」

…待てよ。

「徹くんはなんで知ってるの?」
「えぇ?俺のコミュニティ舐めないでよ」

にっこり爽やかに笑った徹くんに、何故か背筋がぞくりとする。徹くん、烏野に友達なんていたっけ…?
と考えている間にも、私のお腹はグゥと派手に鳴る。まぁ色々あるんだろうなと思考を放棄して彼の隣に腰掛けると、ほかほか湯気を立てた白米とお箸が運ばれてきた。今、私の食欲に勝るものは何もない。

ひとまず手を合わせて欲のままご飯にかぶりつくと、隣でペロリと山盛りのご飯を平らげた徹くんがニコニコしながらこちらを眺めていた。

「すっごい食べにくいんだけど」
「気にしないで」
「……」
「……」
「さすがに気になるよ……」

こちらがご飯を食べているのを、やけに楽しそうに見つめる徹くん。熱烈な視線が突き刺さって、食べにくいったらありゃしない。

「可愛いなぁ、と思ってさ」
「うぐっ!?ゲホッ、ゲホッ」

飲み込みきれなかったご飯が喉に詰まって咽せ返る。なにしてんの!?と慌てた徹くんからお水を受け取って飲み下すと、やっと酸素が吸えた。

「……かわいい、のかな」

徹くんに可愛いと言われて思い浮かんだのは昨日の菅原先輩のあの表情で、一気に頭の中がそれでいっぱいになる。だめだ、だめ。考えすぎてパンクしそう。ブンブンと首を左右に振ってから頭を上げると、まるで未確認生命体でも見つけたかのように驚いた表情をしている徹くんと目が合った。

今日このタイミングで家に来たということは、きっと何か話したいことがあったんだろう。
ご飯を食べ終えた私は、「部屋で話す?」と徹くんを自室に案内する。

「んー…じゃあ、ちょっとだけ」

だけど回答は思っていたのと違くて、歯切れの悪い肯定の返事。もしかして、本当にご飯を食べに来ただけ?
不思議だなと首を捻ったけど、結局徹くんは私の背中を押しながら階段を登った。当たり前みたいに私の部屋のドアを開けて、当たり前みたいに定位置の座椅子に腰掛ける。中学校まではそれが当たり前だった。はじめくんも一緒で、私の部屋でゲームしたりおしゃべりしたりして。仲直りできたんだから、またそういうことしたいな…なんて、なんとなく懐かしい気持ちになりながら部屋のドアを閉めた。

「あ。そこ、開けといて」
「…ん?分かった」

なんで?とは思ったけれど、特に気に留めることもなく目の前に腰掛ける。

「…」
「…」

部屋に呼んだはいいものの、私から何か話したいことがあったわけではない。必然的に徹くんから切り出してくれないとこうなってしまうわけで。気まずい沈黙が二人の間を流れる。

「あの、」
「…なぁに?」
「何かあったから、来たんじゃないの?」

言葉が尻込んでしまったのは、問いかけた徹くんの視線がやけに鋭かったから。まるでバレーの試合をしている時みたいな、真っ直ぐな目で私のことを見るから。いつもはなんとなくほにゃんと下がっている目尻も、今はしゃんとしている。

「おまえさ、好きな奴でもできた?」
「っはぇ、」

これじゃ動揺しているのが丸わかりだ。ぎゅっと握りしめた両手は、ローテーブルの下に隠した。

「…どうして?」
「いや、なんとなくだけど。…へぇ〜?」
「ち、ち、ちがっ、ち」

両手がガタガタ震え始める。どうしよう、徹くんに何を言われるんだろう。そもそも私に好きな人がいるか聞いてどうするんだろう。お前恋愛とかどうせ無理だから諦めなよとか、馬鹿にするような感じで言う?バレー部のマネージャーしてんのに恋愛して、部活おざなりにしていいの?とか言われるかな。…いや、そうだよね、よく考えたらそんなのよくないよね。
そうしたらどうやって答えよう。そうだよね、ごめんねってしっかり言えるかな、泣かないで言えるかな。

ぐるぐる、頭の中で文字が高速回転していく。何を言われても笑おう、大丈夫。もう、ちゃんと言える。

「…好きな人、いるんだ」

ぽつり、徹くんから溢れたのは、私に対する言葉というよりは独り言に近かった。構えていたような言葉を投げつけられることはなくてホッと安堵の息を漏らすと共に、不思議だなと思う気持ちが沸々と湧いてくる。徹くんは、どうして私にそんなことを聞いたんだろう?

ふと伏せられた目。睫毛長いな、なんてぼんやり見つめていると、顔を上げた徹くんと目が合った。思っていたより二人の距離が近いことにその時気がついて、咄嗟にお尻半分分距離を取る。

「ウチでお母ちゃん待ってるし、そろそろ帰るわ。」
「えっ、うん…」

パッと立ち上がってからの徹くんは早かった。脱いでいた上着を羽織って、鞄を持つ。

「合宿、気をつけてね」
「うん」
「んじゃね」

ぽん、と頭の上に手のひらが乗る。撫でるでもないし、乱すでもない。ぐって押し込むみたいに軽く力を入れる。徹くんの撫でるは、昔からずっとコレだ。

久しぶりで、なんでかじんわり心が温かくなる。それでもやっぱり徹くんは中学生じゃなくてもう立派な高校生で、あの時よりも身長だって数十センチは高くて。見上げないと、視線を交えることができない。最後、手を離した徹くんは私のことを見ていなかった。それに安心するような、寂しさを感じてしまうような複雑な気持ち。

パタパタと階段を降りる音がして、徹くんがお母さんに挨拶をする声が聞こえた。

私は、ヘナヘナとその場に座り込む。目を閉じると、帰り際に少しだけ寂しそうに笑った徹くんの顔が浮かんだ。どうして、そんな顔をしているの?近頃の私は、一気に考えることがいっぱいでいよいよ頭がパンクしてしまいそうだ。少しの違和感を見逃せない自分が嫌になる。

ぼんやりと靄がかかる気持ちを抱えたまま、明日の合宿の準備をしてベッドに入った。寝坊しないといいな、忘れ物しないといいな。何事もなく、平和に終わるといいな。願いを込めて、目を閉じた。
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