22
「っ…紬!」
「え、力、何っ!?」
2日後の昼休み、慌ただしく教室に戻ってきた力が私の腕を掴んだ。教室中がざわざわしていたけど、とてつもなく嫌な予感を察してそれどころではない。
昨日、東峰先輩は部活に来なかった。ごめんねってしょんぼりしながら姿を現してくれるかもしれないと思っていた私の淡い期待は、簡単に砕かれた。いつも通りにしようと思っていてもギクシャクする部活内の空気を感じて居た堪れなくなる。だけど誰よりも苦しそうな顔をしていたのは西谷だったから、もしかして…と察しがついてしまう。
「西谷、謹慎になるかも」
「えっ……」
嫌な予感が当たってしまって、背筋を嫌な汗が伝う。連れて来られたのは職員室の前で、一年が勢揃いしていた。
「…遠藤、」
「どういうこと?」
「それが……」
みんなの話によると、東峰先輩を説得しに行ったはずの西谷が、先輩と口論になったそうだ。東峰先輩はスパイクを打つのが楽しくないと言ったらしい。苛立った西谷と、気持ちを曲げない東峰先輩。そこに教頭がやってきて、教頭の腕を振り払った西谷のせいで花瓶が割れてしまった。それが問題になった……と。
田中がその場に行った時にはもう花瓶は割れていて、周囲にいた女子に話を聞いたらしい。
「教頭……なんて最悪なタイミングで…」
「あぁ…そうなんだよ。ま、校長室の前で喧嘩ふっかけたノヤもノヤだしな」
確かにそうだと納得してしまうと同時に、周囲の空気が重くなる。
結局チャイムが鳴るギリギリまで西谷が職員室から出てくることはなくて、不安な気持ちを抱えながら教室に戻った。
「どうしよう、バラバラになったりしたら…」
「大丈夫だよ、西谷が部活辞めるなんて絶対にないし。東峰先輩だって、」
「……うん」
大丈夫だよねと口に出していても、どうしても心の中では不安な気持ちが募っていく。もし東峰先輩がバレーを好きじゃなくなってしまったら、こんなところでバレーをしたくないと思ってしまったら。もしこのまま、先輩がいなくなってしまったら……。
賑やかな日常を思い出して涙が出そうになる。お願いだから、バラバラにならないで。
そんな願いは虚しく、珍しく体育館にやってきた顧問の先生は、眉を下げて西谷の自宅謹慎と1ヶ月の部活停止を告げた。
急に他人事みたいに話し出す顧問に突き放された気がして、苛立ちが沸いた。どうして、どうして。
「なんで、」
「…紬ちゃん?」
「なんで庇ってあげられないんですか。西谷は、そんなに悪いことしたんですか?」
「なっ…え、遠藤さん?」
握り締めた拳が震えて、涙で視界が歪んだ。だって西谷は何をしたんだろう。廊下で大声を出したのが悪かったのか、教頭にぶつかったのが悪かったのか、教頭にぶつかってその花瓶が割れたのが悪かったのか。
東峰さんを取り戻したくて、みんなで一緒にバレーしたくて、ただそれだけなのに。西谷は、東峰先輩と一緒に前を向きたかっただけだと思うのに。なのになんで?どうしてバレーができなくなってしまうのか。
頭に血が上っている自覚はあった。ピリ…と体育館の空気が痛く肌に刺さる。顔中暑いのに、頭の中はクリアで冷静だった。
「西谷は、1ヶ月も大好きな部活をやれなくなるほど悪いことしてません」
「はい、落ち着いて」
ぽん、と私の肩に触れたのは澤村先輩だった。柔らかく笑みを浮かべているように見えるけど、多分怒っている。背後に黒いもやもやが見えたのがその証拠だ。
「遠藤、それじゃ西谷と同じだぞ」
「……すみませんでした」
私はまだまだ子どもらしい。同じだと言われてもやり場のない苛立ちを収めることができなかった。澤村先輩はぽんぽんともう一度私の肩を優しく叩いた後に顧問との会話を再開する。力も田中も、ただ下を向いていた。
私の手はまだ熱を持って震えたまま、やり場のない感情をただ握り締めているだけだった。
その日の部活はどうしても身が入らなくて、気を抜けば別のことを考えてしまう。
東峰先輩は部活をやりたくならないのかな、言動行動をどうしようもなく後悔して泣きたくなっていないかな。西谷はちゃんと家にいるのかな、あの時私に見せた笑顔の裏で、どんなことを考えていたのかな。
「遠藤ちゃん、一緒に帰んべ」
「……菅原、先輩」
「私もいい?菅原。」
「おー!」
駆け寄ってきたのは潔子さんだった。先生に口答えしたことを怒られるのかもと察した私の身体はピシリと硬直する。だけど向けられたのは柔らかい笑顔だった。
いつもみたいに坂ノ下商店に入っていく二人の背中を見つめる。なんで怒らないんだろう。なんで何も言わないんだろう。
「はい、食いなさいや」
「え、でも…」
「紬ちゃん、これも。」
菅原先輩と潔子さんから、それぞれ肉まんとあんまんを手渡される。両手が塞がった私は、困惑の表情を浮かべるだけ。キョトンと首を傾けると、二人は顔を見合わせて笑っていた。
「清水も遠藤ちゃんにあげるために買ったのかよ!」
「菅原だって、そうだったなら言ってよ」
珍しく大きく笑う潔子さんを見て呆気に取られる私。
「あの……怒らないんですか?」
「「え?」」
「私、てっきり二人が澤村先輩からお叱りの役目を仰せつかったのかと…」
先輩二人は再びふは、と吹き出すと笑い始める。
最終的に菅原先輩はお腹を抱えて爆笑する始末で、何が何だかわからない。
「怒んないよ、大地だって怒ってない。ただ、いつもありがとなってことだよ」
「…うん、紬ちゃんはいつも頑張ってくれてるから」
腹痛ぇーって笑った菅原先輩がぽん、と私の頭を撫でると、張り詰めていた糸が解けたようで気が抜けてしまう。
「怒って、ないんですか……」
「なんでよ、寧ろよく言った!って感じ。遠藤ちゃんからの追撃に顧問も狼狽えてたろ」
俺もスカッとしたな〜!と言いながら笑みを浮かべた先輩は、気づけば自分で買った肉まんに齧り付いていた。ベンチに腰掛けた潔子さんが隣においでと促す。私は両手に持った中華まんを交互に食べた。
甘くて、しょっぱくて、美味しい。
「…食べ物食べながら泣く子、アニメ以外で初めて見た」
「ふぇ、潔子さんっ……」
「大丈夫だよ。誰もいなくなったりしない。西谷も、東峰も、大丈夫。」
そうやって先輩たちが優しく笑うから、私の涙はもっと止まらなくなってしまう。
潔子さんに思い切り抱きつくと、笑いながら受け止めてくれた。お、いいなぁ、絵になる。と茶化す菅原先輩の笑い声も聞こえる。
先輩たちは偉大だ。大丈夫と言われたら、絶対に大丈夫な気がしてくる。先輩、私たちは待つことしかできないけど、それが一番大事なんですよね。
「大丈夫だよ、絶対。」
やけに静かな店の前に響いた菅原先輩の真っ直ぐな声は、しっかりと未来だけを見据えていた。【大丈夫】その力強い言葉が私のお腹の中にどっしりと落ちて広がっていく。信じて待つ、今回もそれが、私にできる最高で最強のお仕事。
エースと守護神が不在のまま、私たちは新学期を迎えようとしていた。
まだ春の鼓動を知らない