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カラカラと氷の音がグラスとぶつかる音がする。ドリンクバーのジンジャーエールはいつも通り少し薄くて、でもそれが乾いた喉にはピッタリで、一気に飲み干した。

「なんで無視してた」
「……ごめんなさい」
「俺は、理由を聞いてる」

目の前に座る怖い顔をしたこの人は、岩泉一。青葉城西高校に通う、一つ年上の幼馴染だ。私とはじめくんととおるくんは、幼い頃から家が近所で、よく一緒に遊んでいた。私がバレー部のマネージャーになったきっかけをくれたのはこの二人だった。二人がバレーをしていたから。二人とずっと一緒にいたかったから、小学校の時にバレーボールを始めた。だけど運動がからっきしだった私がバレーボールを上手にできるわけもなく、挫折した結果、中学校では男子バレー部のマネージャーになった。それほどまでに、二人と一緒にいたかったのだ。

ずっと一緒にいたかった。それは紛れもない事実。
だけど私は、二人のいる青葉城西高校を進路に選ばなかった。

「…はぁ。なんで烏野だ。」
「ふたりから、離れてみたかった」

それは、二人のことが嫌いになったからではない。親離れ、に近いものだったと思う。
中学2年生の私に芽生えたのは『私、このままでだいじょうぶなのかな』という漠然とした不安だった。ずっと二人の背中を追いかけてきた。追いかけても追いかけても、二人の大きな背中には追いつけなかった。手を伸ばしても届かなくて、そうしているうちに、私自身が空っぽであることに気づいた。

今まで、私の意志で何かを決めたことあったっけ。

バレーボールを始めたのも、マネージャーになったのも、勉強のことも、全部ふたりを基準に決めてきた。それは全部間違っていたとは思わないし、私にとって有益だった。だけど、私は将来、何になりたいのか。それを考えたときに頭の中が真っ白になって、どうしようもない不安に襲われた。

「一人じゃ何もできないことに気づいた。はじめくんととおるくんの背中を追いかけて、追いかけても届かなくて。二人が先に高校生になって、私のことなんて構っていられなくなった時に、私は私で何ができるんだろうと思ったら、怖くなった。何も、思い浮かばなくて。」
「…」
「だから、青城は選ばなかった。」

進路のことは、二人に伝えなかった。反対されると思ったから。もしかしたらはじめくんは言わなかったかもしれないけれど、きっと。

「なんで相談しなかった」
「言ったら、やめろって言われると思った。紬が一人なんて無理でしょうって、言われると思った」
「……及川か」
「うん、」

でもきっとそれは事実で。現に私は今も、一人では何一つできないポンコツだ。

「それでも、とおるくんがいなくても、はじめくんがいなくても、私はちゃんと他の誰かと生きていけるんだって知りたかった。確認したかった」
「……理由はわかった。無視したのは?」
「怖かったから」

そばにいない私を忘れられるのが怖かった。私のいない世界で、ふたりが生きていくのを知るのが怖かった。嫌われてしまうのが、怖かった。

「とんだ馬鹿野郎だな」

ふ、と笑ったはじめくんは、昔のまんまだった。転んで膝を擦りむいた時に頭を撫でてくれた顔、とおるくんと喧嘩した時に慰めてくれた時の顔。ふと笑って、大きな手で私の頭をぐしゃぐしゃにする。気が緩んで、泣きたくなってしまうような表情。

「…ごめ、なさい」
「分かればいいよ。お前は、俺たちの大事な幼馴染だよ」
「……うんっ、」

からり、グラスの氷が溶ける音がする。私の心もまた一つ、暖かく溶けていった。
岩泉一、彼は私の大事な幼馴染だ。


「及川にも伝えるからな。返信返してやれよ。あいつあれでも結構堪えてるから」
「…はい、」

家の前まで送ってくれたはじめくんは、ちょっとだけ面倒そうに言った。とおるくんのことをそんなふうに言えるはじめくんのことを羨ましいと思うのは、今回が初めてではない。彼に連絡を入れるのはまだ躊躇いが残るけれど、大人しく縦に頭を振った。

大丈夫、大丈夫。
私たちはもう高校生だ。とおるくんだって、話せばきっとわかってくれる。はじめくんに手を振って家の中に入った私は、そう胸の中で唱えるのだった。

◇◇◇


夏休みも佳境に差し掛かった。烏野高校排球部は相変わらず毎日部活に明け暮れる日々を送っている。烏養監督はあの後また体調を崩して入院をしてしまった。それでも烏養監督に教えてもらったメニューを続けているおかげで、全体の士気は高まったままだと思う。

「いい加減やばいよなあ」
「顧問誤魔化すネタも尽きてきた」

ある日の部活終わり、先輩たちが何やら神妙な面持ちで話し合いをしているのを目撃してしまった。聞いてはいけないやつかもと思って背を向けたけれど、聞こえてきた話の内容がどうしても聞き逃せないもので、物陰に隠れて聞き耳を立てる。

「…戻ってきてほしいけど、無理なのかな。もうバレー、好きじゃねぇのかな」

きっと、一年のことだ。困ったように眉を下げながら続ける菅原先輩に、胸が締め付けられる。どうしよう。潔子さんは信じて待っていることが救いになるって言ってたけど…本当だろうか?やっぱり、私にできることはないんだろうか。

「引き止めたいけど無理には、な」

やだ、みんなは、いなくならない。力は、バレーを嫌いになったりしない。
悔しさからグッと拳を握り締めると、その拳が硬いドアに触れて音を立てた。丸くなって話をしていた先輩が一斉にこちらを向き、そのまま視線が交わる。どうしよう、私、どうしたら…。

「お願いします!みんなを…、信じてほしいです」

もしかしたら、彼らは辛い練習から逃げているだけかもしれない。きっと側から見たらそうだろうし、先輩たちから見たらもっと不満が募っていることだろう。でも、それでも、もしかしたら彼らは今頃自分と向き合っているのかもしれないし、後悔に潰されそうになっているかもしれない。
私が、そうだったみたいに、「できない」という悔しさで心がぐちゃぐちゃになっているのかもしれない。

「私、まだ諦めたくないんです…っ」

退部届を出していないということは、そういうことだと信じたい。まだ、一緒にバレーをすることを、諦めたくない。

「遠藤ちゃん」

ぽん、と温かい手が頭に触れる。頭の上から降ってきた私の名前を呼ぶ声もとびきり優しくて、気を抜くとこぼれそうな涙をグッと堪えた。

「大丈夫、信じてるよ。俺らも」
「先輩…」
「マネージャーに頭下げさせるなんて、戻ってきたら説教だな」

けらりと笑った菅原先輩の後ろで、澤村先輩と東峰先輩も頷く。その表情は先ほどまでの強張っていたものとは違い、穏やかに微笑んでいた。こんなふうに思ってくれて、マネージャーである私の言葉にも頷いてくれる、そんな人たちが先輩で本当に良かったと心が温かくなった。
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