「顔を隠している時点で、公にはしたくないことなのかもしれないしな。」
俺たちは今、中庭の茂みに隠れながら彼女を偵察している。どうやらあの人は普通科の生徒のようで、ちょうどここから見える空き教室で何かをしているようだった。この様子を見ると、部活などにも所属していないだろう。
「…なんか、こんなことして大丈夫なのか?覗きみてぇじゃねえか?」
「「た、確かに…」」
「恋愛偏差値10くらいの僕じゃなんの力にもなれないかも…」
「右に同じくだ。すまない轟くん、俺じゃ君の力になれそうもない案件だ…!」
俺の横で頭を抱える2人を他所に、俺はあの人に釘付けだった。
あそこは、多分もう使われていない元理科準備室だ。今は古い実験の資料などが山積みになっている倉庫みたいな場所だと、聞いたことがある気がする。
きっと、あそこで好きなことをやっているんだろう。そう思ったら気になって仕方がなかった。
「「「轟に好きな人ォォーー!?」」」
「や、辞めないか皆!そんなプライバシーもクソもないような大声は!!」
「委員長の声が一番デケェよ」
風呂上がりの共有スペース。恋愛偏差値の低い自分より、と他のクラスメイトに助言を求めることにした。
…のだが、後悔した。
「…好き、とかわかんねぇけど。俺も喋ってみたい」
「気になってる程度っつーことだな。…まずは共通点、見つけるとか?」
「きょうつうてん…」
「話題っつーか、話しかける理由?ってやつ!先輩ってだけで喋りかける機会少ねぇんだから、バチっと決めないとじゃね?」
バチっと…。
パチンとウインクを決めながら俺を見る上鳴は得意気に笑っていた。けど、全くピンと来ない。共通点も見つけられる気がしないし、俺がバチっと?決める話題を振れる自信もない。
「なあ、爆豪ならどーする!?」
「俺に振んじゃねぇ!!」
「いや、才能マンだからうまくやれそうかなって…」
「……正直に言えばいいんじゃねぇの、喋りてェって」
まぁ、確かにそうだなー!とその場のクラスメイトが同意の色を見せる。
正直に、か。
「ありがとな、爆豪」
「ウルセェ、キメェ」
「轟イケメンだからな!イケメンな後輩から話しかけられた時点で悪い気はしねぇだろうな。くぅ!いいな、イケメン!!」
「確かに真っ直ぐぶつかってこその漢だな!頑張れよ、轟!」
話はすっかり纏まり、明日直接真っ向勝負!ということになってしまった。大丈夫なんだろうか。
話しかける。女子に、しかも先輩に。
年上の女性といえばお母さんとか冬美姉さんとしかまともに喋ったことがない。
「轟くん、大丈夫?なんか明日、"頑張る!"みたいな流れだけど…」
「あぁ、よくわかんねぇ。けど、頑張る。」
「…そっか」
何とかなるだろ。皆ついていてくれると言っていたし。
明日に思いを馳せながら、昨日よく眠れなかった分も早く入眠することができた俺は、なんだかリセットされた気分になった。
「よし、行け轟!緑谷!」
「あれぇ、君たちは…そう!緑谷くんと轟くんだね?どうしたの?」
「あ、えっと、あの…!」
作戦はこうだ。
波動先輩と彼女が一緒にいるタイミングを見計らって2人に近づく。一度喋ったことのある緑谷が俺を紹介し、俺から彼女に話がしたいと言う旨を伝える。
「どうかしたの?あ、ねぇ、君は轟くんだよね!ね、どうしたのぉ?」
「…?」
彼女から、目が離せない。身体が動かなくて言葉も思うように出てこない。こんな感覚になったのは初めてだった。
「あの、連絡先、交換しませんか。」
「…え、私?」
目の前に立ってみると、彼女は思っていたよりもずっと小柄だった。女性のあれこれはよくわからないが、可愛い、と思った。可愛いだけじゃなくて、美しさも感じる。近づけば近づくほど、周りの空気が澄んでいるような気がした。
小柄な彼女が驚いたように俺を見上げる。その視線がむず痒く目を逸らしそうになるところを、グッと堪えて頷いた。
「と、轟くん!名前も名乗らずいきなりは…!」
「あ、すいません。俺、ヒーロー科1年A組、轟焦凍です。」
ぺこりと下げた頭を恐る恐る上げると、彼女はスマートフォン片手に眉を下げながら笑っていた。『わかんないけど、とりあえず交換しよっか』と。こうして俺は、意中の人の連絡先を無事に手にしたしたのだった。
…話したいって言えなかったな。
こんなに緊張したのは初めてかもしれねぇ。
「轟くんっ!よかったね!」
「あぁ…」
手元のスマートフォンには、彼女の名前がしっかりと映し出されていた。波動先輩たちが呼んでいたその名前、俺も呼んでもいいんだろうか。
宇宙以外に、彼女は何が好きなんだろうか。
そもそも…あの動画の主は彼女なのか。
なんで、動画を配信しているのか。
聞きたいことは山ほどあったけど、いきなりそんな話題を出せるわけもない。悩んで悩んで送ったのは、自己紹介と『よろしくお願いします』の一文だけ。
既読がつくかつかないか、それすら気になってしまってスマホの画面を切る。
バシッと決められたかと言われればきっとそうではないが、一歩を踏み出せたはずだ。
ポケットのスマートフォンが震えて画面をみると、『みょうじなまえです。いきなりでびっくりしたけど、よろしくね!』と、今にも彼女の声で再生されそうな文章が浮かんでいた。
勝手に表情が緩むのがわかる。慌てて口元を抑えると、隣の緑谷も嬉しそうに俺を見ていた。
「…なあ緑谷……この先、どうすればいいんだ。」
「……え。」
緊急会議が開かれたのは、ヒーロー基礎学前の男子更衣室だった。
「連絡先交換したのかよ!やるな轟!」
「あぁ。でも、この先どうしたらいいのかわかんねぇ。」
「とりあえず喋る約束取り付けるべきじゃねぇ?デート…は外出るの厳しいから、"昼飯一緒に食べませんか?"とかか?」
昼飯か、それならいけそうだ。
上鳴のアドバイス通り、比較的軽めな文章を心掛ける。『よかったら、明日昼飯一緒に食べませんか。』と送信すると、すぐに既読がついた。
既読早!という周囲の驚く声に、少しだけ胸が高鳴る。理由はどうであれ、見てくれていると言うことは嫌ではないということだろう。
『ぜひ!食べよう。』
「おい、脈ありすぎじゃねぇ?イケメンずりぃー!」
「なんだよ轟!全然心配する必要ねぇじゃん!」
肯定の返信と共に、女子に人気のキャラクターが『OK!』と喋っている可愛らしいスタンプまで添えられていた。あの先輩がこれを選んで俺に送信したことが嬉しくて、つい画面を見つめてしまう。
後から聞いた話だが、緑谷曰く
『あんなに幸せそうな顔をする轟くんを、あの時に初めて見た』だそうだ。
俺としては、全く無自覚だった。
修正:20220802