「みょうじ先輩」
「あ、轟くん」
画面越しではない、生身の先輩と会話を交わすのは久しぶりだ。勢いよく話しかけたのは良いものの、話すことは何も決めていなくて空白の時間が流れる。じっと見つめていると、みょうじ先輩は少しだけ焦ったように視線を泳がせた。
「えっと…何、かな?」
「あ、用事はないです。見かけたのでつい、声かけました」
「そっか、それじゃあ……」
会話もままならないまま離れて行こうとする彼女がどうしようもなく名残惜しい。気づけばその手を緩く掴んで確かめるように握っていた。半ば縋るように握った手から彼女の体温が伝わってきて、身体中を熱が駆け巡る。触れてしまった、触れたい、このまま触れていたい。
え、と小さい声がして顔を上げると、頬を真っ赤に染めた彼女が俺を見上げていた。胸を鷲掴みにされたような感覚。なんだよ、可愛すぎるだろ……。
いつもどこか達観しているように見える彼女の動揺は、俺の心を掴んで離さない。
「そ、そろそろ行かないと」
「あ、すいません。」
廊下を通る生徒がチラチラとこちらを見ていた。慌ててその手を離すと、先輩は踵を返して去っていく。
「明日、楽しみにしてます」
「っ…うん、」
赤く染まったその頬は、嫌では無いと取っても良いのだろうか。
「みょうじちゃん、あれが噂の後輩?」
「う、噂って……でもまぁ、うん。」
「へぇ、イケメン。いいじゃんかっ」
一部始終を見守っていた友人にいじられたみょうじは、顔に集まった熱を覚ますように手で風を送る。高揚する気持ちを抑えながら、次の授業に臨むのだった。
次の日、土曜日。待ちに待ったデートの日がやってきた。
クラスメイトの女子に叩き込まれたデートプランをもとに、自分なりに考える。彼女は何が好きなのか、どんなことをしたら楽しめるだろうか。そんなことを考えたら出た答えはほぼ一択だった。
「ごめん、待った……よね?」
3-Cの寮の前で待っていると、大きな門から出た彼女はパタパタとこちらへ駆け寄ってくる。ゆるりとした白いニットにストレートのパンツを合わせたシンプルなスタイルのおかげで、彼女の綺麗な髪が際立っている。どうかした?と顔を覗き込まれるまでその様子をただ見つめていた轟は、彼女の声にハッと我に返った。見つめすぎてしまったようだ。
「私服…いい、ですね」
「あ、…ありがとう。轟くんも素敵だね」
ぱっと顔を上げた彼女の頬がぽっと色づくのを見て、また一つ愛おしさが蓄積する。照れている顔も、焦っている顔も、こうやって喜んでくれているであろう顔も、もっと色々な表情を見てみたい。
一つずつ欲が増えていくのを感じつつ、焦ってはいけないと言ったクラスメイトの言葉を心の中で復唱した。
「今日は、ここに行きたいと思ってて」
「……プラネタリウム?」
彼女の好きなものは何か、喜んでくれるものは何か。それを第一に考えた時に浮かんだのがそこだった。俺の案ではなく、緑谷がそれなら…と教えてくれた場所ではあるが。轟自身もプラネタリウムに行ったという明確な記憶は無く、初めてならば彼女のように詳しい人物と行った方が楽しめるだろうと考えた。
雄英のある場所から電車で数駅先に、星をメインで見られる人気のプラネタリウムがあるということをリサーチし、チケットを事前に取った。事前にチケットを予約をすると、QRコードで入場ができる。その画面を彼女に見せると、嬉しさが溢れ出てしまったかのような表情を浮かべた。
「好き、ですよね?」
「うん。大好き。」
未だ、彼女の口からあの配信者が自分だと肯定されたわけではない。だけどこの問いに対する答えは、彼女にとっても轟にとっても、あの時のあの問いの続きに当たるものなんだろうと察しがついた。
久しぶりに乗り込んだ電車は想像よりも人が少なく、二人肩を並べて座ることができた。触れそうで触れないその距離にもどかしさを感じつつ、口数が多い方ではない轟は当たり障りのない世間話を振る。「とりあえず学校の話だろ!テストとか!」という上鳴のアドバイスを元にした結果だが、そのおかげもあって会話が途切れることはなかったので安堵した。
みょうじ先輩は変わらず波動先輩たちとは仲が良いようで、最近のヒーロー科三年の武勇伝なども聞かせてくれた。そのおかげでヒーロー科といると必ずしも辛いわけではないのかと、また一つ轟の中の不安材料が溶けていく。先輩たちの話をする彼女の表情はとても柔らかかったから。
「轟くんは、どうしてヒーローになろうと思ったの?」
「…俺は、俺も、あぁなりたいって思うヒーローがいて」
「うん。」
「今は、俺が来たら大丈夫だって思って貰えるようになりたいって、思ってます」
親はもちろん、クラスメイトにすらあまり言っていないこと。だけどみょうじ先輩にはスラスラ話せてしまう。みょうじもまた、轟のことを知りたいと思っていた。それが、真っ直ぐにぶつかってきてくれる後輩に対して心を開き始めた証拠だった。
「絶対に、そうなれると思うよ。」
力強い瞳が轟を見つめる。まさかそんな言葉をかけて貰えるとは思わず、彼女から目が離せなくなってしまった。その時間がとても長い時間に感じ、心臓が煩いくらいに鳴る。動揺を隠すように強く頷いてから顔を上げると、彼女がふわりと頬を緩ませて笑うので、思わず胸あたりのシャツをぐしゃりと握り締めた。
修正:20220802