ゆらゆらとする頭を必死にまっすぐに戻しながら下駄箱を開けると、上履きがなくなっていた。絶望。
犯人なんて気にならない。それでも、きっと彼の耳にもこの話が入っているんだろうと思うと、視界が暗転しそうだった。
職員室でスリッパを借りて教室に入ると、軽蔑の視線が突き刺さる。せめて、グループワークや体育がないテスト期間でよかったと思うしかなかった。普段から友達とつるむ方ではないけれど、多少なりとも会話を交わしてくれていたクラスメイトと目も合わない。コソコソと聞こえる会話の内容は、きっと全て私に関することなんだろう。自意識過剰とかではなく、この空気はきっと事実だ。
「近藤くん、みょうじさんに振られたってほんと?」
「あんなビッチ、俺からフッたに決まってんじゃん」
「あはは、おとなしい顔してそうなんだぁ」
コソコソされているうちはまだよかった。予鈴が鳴ってそろそろ先生が入ってくるから、やっとこの空気から解放される。そう少しだけ息を吸った時、大声で会話をするマッチくんと、私に付き合っているのかと尋ねてきた女の子。あぁ、噂を流したのは本人だったのか。
最悪、最悪。誰が?誰が誰をフったって?
憎悪と悔しさと男子の気持ち悪さが混ざり合ってぐちゃぐちゃになる。心臓がバクバクと嫌な音を立てる。全部吐き出しそうになってしまって、必死に両手を握りしめた。
当たり前だけど本日の教科はボロボロ。特進クラスなのに赤点取ったらどうしよう。考えてもどうにもならないようなことばかり考えていた。休憩時間になるたびに飛んでくる言葉のナイフを必死に避けながら、深呼吸を繰り返した。
帰りたい、もう、嫌だ。
「ねぇみょうじさん、今さ、どんな気持ち?」
やっと長かった午前中が終わり休憩時間に入る。こんなところに居たくないからお弁当を持って立ち上がると、クラスメイトの女子数人が私の腕を掴んだ。くすくす、ケラケラ、悪意たっぷりの笑顔で見つめてくる。
どんな気持ちかって?
最悪以外の何物でもないけど。
言い返そうとするけれど、そのあまりにも鋭い視線に怯んでしまう。怖くないわけがない。普段から教室の隅っこにいる女が、言い返せるわけない。
「…」
「何?何も言えないの?」
「…やめて、」
陰キャラのくせに、釣り合わないと思ってた、おとなしい顔して、云々。
それに加えて、これでいて菅原くんの幼馴染なんて汚らわしくない?菅原くんかわいそう、なんて、もっと関係ないことを重ね始めた。全部嫉妬、妬み、わかってる。それでも私は、菅原に迷惑が掛かるのが一番嫌なのに。これ以上、幼馴染として足を引っ張りたくないのに。
何も言わず俯いている私に、私には全く関係のない悪口が降り積もっていく。なんで私がこんなこと言われなくちゃいけないんだろう。こんなに言われるほど悪いことをしてしまったんだろうか。自分のつま先を見つめて必死に耐えていたけれど、じわじわ視界が歪んで必死に瞬きを繰り返した。絶対に、こんなことで泣きたくない。
「なまえ」
「…す、が」
大好きな声が、私の耳を掠めた。メンタルが最悪すぎて幻聴が聞こえたのかと思ったけれど、その声の主はずかずかと教室に入ってきて私の腕を掴む。彼の登場に、後ろから悲鳴にも近いような声が上がった。焦る女子生徒の声がして、一瞬振り返って視界に入ってきたマッチくんは青白い顔をしていた。
訳がわからないまま教室から引っ張り出されると、どうしてもその手の暖かさに気づいてしまう。なんで助けてくれたの?ずっと避けてた癖に。ねぇ菅原、離してよ。頭ではわかっているのに、今の私から漏れるのは涙と嗚咽だけだった。
「っ…ぅ、」
やだ、ばか、離してよ。ただでさえ悪目立ちしてるのに、こんなんじゃもっと目立っちゃう。
腕を掴まれた私は、半ば引きずられるように三年の廊下を駆け抜ける。道ゆく生徒たちが物珍しそうにチラチラと視線をこちらに向けているのがわかった。
「…」
「っ、…はぁ」
菅原は、逃すまいと私の腕をがっしり掴んだまま屋上までやってきた。なんで入れるのか、鍵を持っているのか問いただしたい気持ちだったけれど、正直、笑ってそんな問いができるほどのメンタルは持ち合わせていない。一度溢れてしまった私の涙は止まる様子もなくて、焦れば焦るほどじんわりと視界が歪んでいく。
雫が一つ、また一つと地面に吸い込まれていく様子を見ていた。多分菅原も、同じようにそれを見ていた。
その間、ただ、隣に座ってくれていた。