▽江ちゃんにお説教される凛ちゃん、凛真


「お兄ちゃん、ちゃんと真琴さんを大事にしてる?」
「は?なに言ってんだ、江」
突然寮に訪ねてきた江はやけに険しい表情で俺にそう問いかけた。ただ事でない雰囲気を聡く感じ取った同室の似鳥は、出かけてきます!と言い置いて足早に部屋を去っている。
ベッドサイドに腰掛けた江が、手にしたマグカップから一口コーヒーを啜り、じっと俺の目を覗き込む。
「どうして真琴さんのメールに返事しないの」
「……お前には関係ないだろうが」
「あります!お兄ちゃんは知らないだろうけど」
どことなく沈んだ顔をして、視線を落とした江がぽつぽつと呟く。真琴さん、いつも携帯見て、悲しそうな顔してる。お兄ちゃんからメールが返ってこないからでしょ。普段全然会えないのに、メールも返さないって。
「どういうこと!!」
最後には半ば叫ぶようにして江は俺に詰め寄った。思わずたじろいでしまう。どういうことか、と言われても。
「……なんて返せばいいか、わかんねえんだよ」
そう、分からない。返したい気持ちが無いわけではなくて、本当に分からないのだ。額に手を当て唇を噛む。こんな時、自分の性格が嫌になる。
苦い表情を浮かべた俺に、江は
「じゃあ練習しよう!お兄ちゃん、私とだったら普通にメール出来るんだから、練習すれば大丈夫だよ」
真琴さんのために!そう言って腰に手を当てた。
こうなると目的を達成するまでてこでも動かないことを知っている俺は、これから待ち受ける試練を思って気づかれないように息を吐く。
しかし、真琴のためだと思えば、その試練にも耐えられそうな気がしてくるのが不思議だった。



2013/08/15 12:49


▽ドライブする笹真


ジャケットに覆われた笹部コーチの背中にしっかりとしがみつき、バイクの後部座席に恐る恐る体重をかける。
「大丈夫か、真琴」
「は、はい。大丈夫です」
「うし。そんじゃ出発すっか!」
腹部に響くようなエンジン音と、足元から伝わる振動。笹部コーチが一瞬だけ振り向いて、俺に向かってにやりと笑った。慣性で体が大きく揺れた。
頬に当たる風が徐々に強くなる。景色が背後に流れていく。夜の海辺はバイクのヘッドライト以外たいした明かりが存在しない。けれど、全然怖くはなかった。むしろこの状況は、笹部コーチと二人きりで逃避行しているみたいでどきどきする。
コーチの背中に頬を擦りよせて、小さな声でハミングした。目的地に向けて走る間、思いつくまま歌い続けた。



2013/08/15 12:23


▽まこちゃんを噛む凛ちゃん


「痛ぁっ!!」
真琴が情けない悲鳴を上げる。痛い!痛いよ凛!なんて言いながら俺の背中をばしばし叩く。激しい抗議に、俺は最後にひと噛み力を加えて、真琴の首から口を離した。
くっきりと残った自分の歯型に満足し、鼻を鳴らす。半泣きになった真琴が自分の手のひらで歯型を覆う。
「凛に噛まれると痛いんだから、やめろっていつも言ってるだろ!」
「うるせー」
「しかもこんな目立つ場所に!!」
「目立たなきゃ意味ねえだろうが」
ただでさえ真琴は無防備なのだから、この歯型が多少なりとも周囲への牽制になればいいのだ。そんな俺の思惑も知らず、真琴はぐすぐすと鼻をすすって何度も歯型を指先でなぞっている。なんだ気に入ってんじゃねえか、と冗談交じりに呟くと、涙目のまま睨みつけられた。
ほら、そういう顔をするから、悪い虫が寄ってきやがるんだ。



2013/08/15 12:23


▽欠けた怜ちゃんを肯定するまこちゃん


例えば、手指の欠けた人形のように、不完全なものが好きだった。小さい頃からそういうものに興味を惹かれて、美しいと思った。そんな僕に両親はあまりいい顔をしていなくて、ことあるごとに新しいものを買い与えられた記憶がある。
何故、美しいものを美しいと思ってはいけないのだろう。幼くも敏かった僕はそんな疑問を口にすることはなく、成長するに従って少しずつ、自分の心を誤魔化して、なんの変哲もない美しいものを美しいと言うようにした。
それだけで全てが上手くいっていた、ある日のこと。
「別に、そんな無理して嘘をつかなくてもいいんじゃないか」
真琴先輩の、一切含みの無い問いかけが僕に思い切り叩きつけられた。僕は動揺して、何と言うべきか分からなくなって、思わずぼろぼろと涙をこぼした。突然泣き出した僕を見て、真琴先輩はあわあわとうろたえ、取り出したハンカチで涙を拭った。
「ごめん、ごめんな怜。酷いこと言ったよな」
「いいえ、違うんです。僕は」
はじめて気づいてもらえたことが、嬉しくて、涙を流しているのだ。あなたは僕のつく足枷のような嘘に、ただ一人気づいてくれたのです。



2013/08/14 18:50


▽間違えてしまった怜真


「始める場所を間違ったんだよ」
仕方なさそうに真琴先輩が言った。そうでないことを信じていたのに、裏切られたような声音だった。
昨日まで繋ぐことの出来ていた手は、抱きしめられていた身体は遠く、腕を伸ばしても届かないところに真琴先輩はいってしまった。
「僕を置いていくつもりですか」
未練がましく縋る僕に、真琴先輩が首を振る。
「最初から俺たちは、どこにも行けなかったから。だから、お互いを忘れた頃に、もう一度会えたらいいね」
そんな見え透いた嘘をついて、真琴先輩は姿を消した。僕に追いかけることさえ許さず、手の届かない場所に、一人で。
「始める場所を間違ったからって、終わりまで間違う必要は無かったでしょう」
僕の呟きを聞き届けるひとはどこにもいない。



2013/08/14 17:15


▽まこちゃんを怒らせた怜ちゃん


遙先輩曰く、真琴先輩は怒らせるとものすごく怖い。
僕が真琴先輩と付き合い始めた頃、忠告のように言われたそれを、今はっきりと思い出している。
「なにか俺に言うことは?怜」
「す、すみませんでした」
「聞こえないなあ。もう一度、大きな声で」
「すみませんでしたっ!!」
「うるさいよ」
普段の穏やかさはどこに消えたのか。絶対零度の視線と、永久凍土の笑顔に晒され、僕の精神は限界だった。小一時間も正座をしていて、重ねた足と伸ばした背中はとうに限界を超えている。
しかし、今回は僕が悪い。紛れもなく、僕しか悪くないのだから、耐えなければならなかった。真琴先輩の怒りももっともだと納得している。今の僕にできることはひたすら謝罪し、許しを乞うことだけなのだ。
怜、と真琴先輩が僕を呼ぶ。その声がやわらかく綻ぶまでに、あと何度謝罪を重ねればいいのか。どうやら道はこの上なく険しく、果てしなく遠そうだった。



2013/08/14 17:14


▽飴玉を食べる凛真


ザラメのたくさんついた大きな飴玉を放り込み、真琴は口をもごもごと動かす。苺味だろうか、微かにとどく甘いにおい。
「それ、どうした」
「渚にもらった」
含みきれないほど大きいそれを、口の中でゆっくり転がしながら不明瞭に真琴が答える。時折頬の内側がまるく、飴の形に膨らんだ。少し間抜けだ。
「美味しいよ。凛も食べる?」
「いらねえ」
「だと思った」
くすくすと喉を鳴らし、やっぱりねとでも言いたげに真琴が俺を見て笑うので、ならば味見ぐらいしてやろうじゃないかと素早く真琴の唇を奪った。それだけで伝わるあまい苺味。なんだか真琴によく似合っている、そう思って。
もう一度味見をしようとした俺の、顔面を真琴の手のひらが覆った。指の隙間から見えた真琴は苺味の飴と同じ色をしている。



2013/08/14 12:18


▽水の匂いのあなた、遙視点


真琴は水の匂いがする。プールは塩素、海は潮風、雨はオゾン。真琴はそれらすべてを混ぜ合わせて溶かしたような、生ぬるく心地よい水の匂い。
知っているのは俺だけだと思っていた。なのに。
「知ってますか、遙先輩」
「なにをだ」
「真琴先輩からは透明な水の匂いがするんですよ。特に首の辺りから」
勝ち誇ったようにそう言って笑う、怜の顔を睨みつける。
ああ、俺だけではなくなってしまった。とうとう、俺から真琴が離れてゆく時がきたのだと思って。
それでも俺は、真琴の幼馴染であり続けることを、諦めるつもりはなかった。これから先も、ずっと。



2013/08/14 12:17


▽クロスワードとつり橋理論、怜真


四角い空白を埋めていく。新聞を見つめている僕の、背後から真琴先輩が覗き込む。
「クロスワード?」
「はい。中々難しくて」
枠数自体は少ないのだが、問題の難易度が新聞の片隅に載るには不釣り合いに難しい。まだ半分も埋まっていないそれを指差し、真琴先輩が言った。
「つりばしりろん」
「なんですか?」
「吊り橋理論だよ。恐怖とか、緊張感を共有した人同士に連帯感だったり恋愛感情が生まれたりする」
「……聞いたことは、あるような」
僕の肩に顎を預けて、もたれかかる先輩の体を背中で受け止める。首を傾けて僕の顔を覗き込んだ真琴先輩が、突然僕の座っている椅子を倒れない程度に傾けた。驚いて、声を漏らす。
「ちょっと!危ないですよ!」
「生まれた?」
「は?」
「恋愛感情。どう?」
悪戯っ子のような幼い笑顔を浮かべた真琴先輩に、深々と溜息をついてみせた。そもそも元からありますよ、と告げればますます笑みを深くして、つり橋必要無かったね、なんて嘯く姿がにくらしかった。



2013/08/13 17:47


▽御子柴さんに告白される江ちゃん


ろくでなしに捕まるんじゃねえぞ、とは、お兄ちゃんが私によく言い聞かせてきた言葉。ろくでなしの意味も知らなかった小さい私は素直にうん、と頷いて、お兄ちゃんに頭を撫でられていた。
じゃあ、お兄ちゃん、この人は。
「江くん、俺と付き合って欲しい」
どうなのだろう。ろくでなしでは、ないと思うのだけど。
お兄ちゃんの所属する鮫柄水泳部の部長さん。真剣な、切羽詰まった顔をして、私に手を差し出している。その手をとったら、お兄ちゃん怒るかな。離れて暮らしていたせいで、あのぶっきらぼうな兄がどんな風に思うのか分からない。
自分の部活の部長さんと、自分の妹が付き合うっていうの、お兄ちゃん的にはどうなの。ダメなの?
そこまで考えて、ひとつ気づいたことがある。お兄ちゃんのことばかり考えていたけれど、私は、私自身は、別にこの申し出を嫌だとは思っていないってこと。
じゃあ、話は簡単じゃない?結局お兄ちゃんはお兄ちゃんなのだし、こういうことで大事なのは自分の意思のような気もするし。
私は心の中で小さく、お兄ちゃんに謝って、目の前に差し出された広い手に自分の手を重ねた。よろしくお願いします、と言うと御子柴さんは驚いて、それから満面の笑みを浮かべて。
「松岡に報告しないとな」
律儀にそう言うものだから、私は付き合うことになった、と告げられたお兄ちゃんを想像して、なんとなく楽しく、面白くなった。一体どんな顔するのかな。



2013/08/13 17:46


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