▽さよならする遙真


真琴はいつもと同じような顔で、いつもと同じように笑っている。
「水か好きなのは分かるけど、あんまり長く浸かりすぎると風邪引いちゃうから気をつけるんだよ?」
「ああ」
「毎日鯖ばっかりだと栄養偏っちゃうから、ちゃんとそれ以外も食べること」
「わかった」
「救急箱は電話台の下だし、爪切りとか細かい日用品は、戸棚の上から二番目の引き出しに入ってるから」
「そうか」
「あとは……、うん。これくらいかな。…………それじゃ、行くね」
「…………」
大きなものは既に新しい部屋に送ってしまっていたから、真琴は最低限の着替えや小物を詰めたボストンバッグだけ肩に抱えた。扉に手を掛けて俺を振り向く。今にも泣き出しそうな目が、立ち尽くしたままの俺を捉える。
「楽しかったよ、ハル。……ごめんね」
「…………さようなら、真琴」
微かな音を立てて扉が閉まる。真琴の姿が見えなくなる。居間に戻り、部屋の中を見渡すと、そこら中にあったはずの真琴のものが何もかも無くなっていて、もの侘しく殺風景だった。これからもう真琴は居ないのだと考えるだけで、足元から崩れ落ちてしまいそうで、どうしようもなく息苦しかった。



2013/08/27 12:16


▽御子柴さんに餌付けされるまこちゃん


御子柴さんは会うたびにお菓子をくれるから、もしかして俺って餌付けされてるんじゃないのかな、って思ったのが先週の日曜日。そして、今日は
「美味しそうなチョコレートを見つけたんだ。よかったらどうかな」
「わあ、いつもありがとうございます」
可愛らしい包装に包まれた、一口サイズのチョコレートを受け取る俺を見て、分かりやすくほっとした表情になる御子柴さん。やっぱり、餌付けされてるのだろうか。手の中のチョコレートを見つめて少し考え込む。
「チョコレートは嫌いかい」
俺の様子を勘違いした御子柴さんが、不安そうにこちらを覗き込む。
「いえ、大好きです。ただ、……」
「ただ?」
「……御子柴さんはどうして俺にお菓子をくれるんですか?」
ずっと疑問に思っていたことを、とうとう口にした。とうの御子柴さんは何故か、ぽかんと驚いたような、不思議な顔をしている。そんなこと考えもしなかったって顔。よく日焼けして逞しい腕を組み、唇を引き結んで考え込んでいる。
「あの、御子柴さん?」
「……可愛いから、だろうか」
「はあ……かわいい……?」
「君が可愛いから、お菓子をあげたくなるんだよ」
疑問が無くなり晴れやかな笑顔を浮かべた御子柴さんが、多分ね、と茶目っ気混じりに付け加えた。体温がじわりと上がった気がする。手の中にあるチョコレートが溶けてしまったらどうしよう。



2013/08/26 18:22


▽ちょっと気遣いがずれてる凛ちゃん、凛真


並んで隣を歩いていた凛が、不意に俺の腕を引っ張った。道路とは反対側の方へと強引に移動させられる。
「わっ、な、なに?」
目を白黒させている俺に凛は何も言わない。いつも通り、こちらを見もせず真っ直ぐ前を睨んでいる。
「こっちにいろ」
「こっちって……歩道側?」
「……危ねえだろうが」
危ない、というのが何のことか考えて。俺達の通る少し狭い道を乗用車が通り過ぎていく。あ、もしかして。
「車が?」
「…………」
答えはなかったけれど、凛の顔がなんとなく赤くなっていた。男の俺に対して、女の子にするみたいな扱いだな、と思うけど、その気持ちは素直に嬉しい。俺が凛にありがとうと告げると、凛は相変わらず前を睨んだまま、盛大に舌打ちをしてみせた。



2013/08/26 12:19


▽待ち合わせをする似鳥くんとまこちゃん


角の向こうに見えた人影に向かってぶんぶんと思いっきり手を振った。僕の存在に気づいたその人は、ちょっとだけ微笑んで手を振りかえしてくれる。
「こっちですよ、橘さん!」
「待たせちゃったかな。ごめんね、似鳥くん」
「あっ!えーと、僕も今来たばかりなので大丈夫です!」
嘘だ。本当は今日が待ちきれなくて、一時間も前からここにいた。でも、それは僕が勝手にしたことだし、優しい橘さんに気を使わせてしまってはいけないから。それに橘さんは時間に遅れたわけじゃない。今は指定した時間の十五分前なので、むしろ用心深いくらい。
僕の下手くそな嘘を見抜いているのか、いないのか。橘さんはふんわりとした笑顔を浮かべる。
「じゃあ、行こうか。観たい映画ってどんな話なの?」
「はい!宇宙から来たエイリアンが、地球人に紛れ込んでインフラや金融、市場などの経済面から地球を侵略していくという……」
どちらともなく手を繋いで歩く。今日は人通りが多いから、誰もこちらを気にしたりしない。映画館への道のりはそれ程長くはないけれど、劇場の中でも僕達は繋いだ手を離さないままでいた。



2013/08/25 23:02


▽六話にてまこちゃんを心配する凛ちゃん


賑やかに夕食を摂る皆から離れて、ひとり浜辺でぼんやりと海を眺めていると、ポケットに入れていた携帯が単調な振動を伝えてきた。長く、何度も震えている。どうやら電話らしくて、取り出し画面を眺めるとそこにはとても、珍しい名前。通話ボタンを押し込んで、耳元に携帯を近づける。
「もしもし、凛?」
『……真琴か』
「どうしたの。突然」
珍しいね、凛から電話なんて。と笑う俺に、凛は苦々しげな息を漏らした。通話口の向こうで、何か言いかけている気配のあと。
『……大丈夫、なのか』
なんのこと、と尋ねる前に『海』という端的な呟き。
「もしかして、心配してくれた?」
凛からの返事はない。でも多分、絶対にそうだ。ぶっきらぼうではあるけれど、凛はとても優しいから。俺が海に居ると知って、わざわざ電話を掛けてきてくれたのだろう。嬉しい。すごく嬉しくて、自然と顔がにやけてしまう。
『何笑ってんだ』
「ううん、なんでもない。……ありがとう、凛」
『……無理すんじゃねーぞ』
ぶつん、と音を立てて電話が切れる。もうちょっと話していたかったけれど、凛はああ見えて照れ屋だから。幸せな気分のまま、携帯を見つめてにやけている俺の背に、コウちゃんの呼び声がかかった。
「部長!ピザ無くなっちゃいますよ!」
ああ、行かなきゃ。でもその前に。
緩みきったこの顔を、どうにかしてもとに戻さないと。



2013/08/25 13:49


▽夏と水泳部と部長の日常


プールサイドを裸足で走ると、熱く焼けたコンクリートが容赦無く足裏を焦げ付かせた。渚とコウちゃんが騒ぎながら水を撒いて、ようやく立ち止まれるぐらいの温度になるけれど、撒いたそばからどんどん蒸発していくから二人は休まる暇もない。俺の隣で怜が「……非効率的です」なんて呟いている。ちゃっかり、熱くならないプールの淵に立ちながら。
あまりの熱さ、それに暑さにすぐさまプールへと飛び込みそうなハルを引き止めて、にっこり笑いかける。
「準備運動してから、ね?」
「…………」
「そんな目してもダメだよ。ハル」
訴えるようなハルの目に絆されたりすることもなく、俺たちはしっかり準備運動を終える。待ってましたとばかりにハルがプールに飛び込んでいく。後を追う渚。怜も続こうとして、不意に俺の方を振り向く。俺が何か、話そうとしていたことに気づいたのかな。迷う怜にゆっくり首を振る。
「大丈夫。今日の練習メニューの確認だけだよ。予定表と変更はないから」
納得した表情を浮かべた怜が、俺に手を伸ばし、腕が掴まれる。声を漏らす間もなく全身を覆う冷たい水。肺の奥から漏れた息が泡になって水面へと昇っていく。目一杯の光を含んだその景色を、とても綺麗だと思った。



2013/08/24 23:46


▽溺れるまこちゃんの独り言


泣くことは、溺れることに似ている。エラで呼吸をするように、断続的に、途切れ、ながら。息をすることさえ、ままならない。視界は、すべてぼやけて、どこまでが自分なのかわからなく、なって。
確かめるために、手を伸ばす。輪郭も、パーツも、歪んで、水に溶けてしまいそうな君に。手を、伸ばして。
「ーーーー」
俺のかたち、を、教えてもらう。君が触れた、場所から、俺は少しずつ、自分のかたちを思い、出す。君のかたちをいつまでも、俺は知らない、まま、なのに。



2013/08/24 16:40


▽泣く凛ちゃんを慰めるまこちゃん


凛の嗚咽が慟哭に変わる。顔を覆う指の隙間から、透明な涙がぼたぼたと落ちる。震える肩に、手を伸ばそうとして。
「わ、」
その手を掴まれ、引き寄せられた。俺のことを抱きしめて、凛はしきりに鼻を啜った。昔から、泣き虫なのは変わってないね。声に出さずそう呟く。
「凛、頑張ったね。やっぱり凛はかっこいいよ」
「……真琴」
凛の背中を何度も撫でて、その肩口に鼻先を埋めた。肺いっぱいに広がる凛の匂い。冷たく、あまい、氷砂糖みたいな。
いつもは俺が凛に胸を貸してもらっていたから、今日は俺が貸してあげる。泣き止むまで傍にいるから、ね。



2013/08/23 23:15


▽怜ちゃんに振り向いてほしいまこちゃん


駅の方に遠ざかる怜の背中をじっと見つめる。綺麗に伸びた背筋に向かって、視線を鋭く、突き刺して。
「……こっち見ろ、怜」
聞こえるはずのない声で、呟いたはずなのに怜はゆっくりと振り向いた。見送る俺を視界に留めて、俺の好きな笑顔を浮かべた。さようなら、またあした。確かにそう唇が動く。
怜はいつも、どうしてだろう、俺の望むことをすべて、余さず知っているのだ。



2013/08/23 12:58


▽まこちゃんと手を繋ぐハルちゃん


手袋を忘れたらしい、真琴の手がかじかんで、赤く冷たくなっていたから俺はその手をはっしと掴んで自らのポケットにまとめて入れた。真琴が驚いた顔で俺を見る。黙ったまま見つめ返す。
「冷たいな」
「……ハルは、あったかいね」
肌同士をぴたりと触れ合わせて、お互いの温度を近づける。真琴の節ばった指が絡んだ。ごく控えめに力がこもった。
はにかむ真琴のやわらかな色合い。吐き出される白い息が空へと立ち昇っていく。明日は俺が手袋を忘れてくることにしようか。



2013/08/23 12:01


prev | next




「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -