▽試合前の怜真と水泳部


200メートルバタフライの選手は招集場所に集まってください。会場に響くアナウンス。僕は緊張を紛らわすように、殊更ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「……では、行ってきます」
「頑張ってね怜ちゃん!」
「お前なら大丈夫だ」
僕を送り出す二人分の声。明るいそれに少しだけ気分が落ち着いた。でも、一番欲しい人からの激励がまだ聞こえない。あたりに視線を巡らせて探す、僕の目の前に度入りのゴーグルが差し出される。
「忘れちゃダメだよ」
「ありがとうございます、真琴先輩」
つややかなそれを受け渡す、真琴先輩の手が僕の手に触れた。どちらともなく指先を触れ合わせ、長い時間は繋がずに離した。たったそれだけで僕の手の震えに気づき、真琴先輩が微笑む。
「行ってらっしゃい、怜」
励ますわけではないその言葉が何より信頼されている証のような気がして、あれほどまでに煩かった僕の鼓動がなだらかに落ち着いた。大きく息を吸い込み、吐き出す。
「ゴールで待っていてください」
そうしたら僕は誰よりも速く、貴方の元に辿り着くことが出来る。



2013/08/31 17:17


▽怜ちゃんに初恋が訪れました


怜ちゃんの初恋はいつだった?という渚くんの問いかけに、果たして自分にこれまで、恋というものが訪れたことはあっただろうかと首を捻る。結論は、思い当たらず。初恋はまだです、と答えた僕に、渚くんはさして驚きもせず、ともすれば予想していたようなしたり顔で、怜ちゃんは遅咲きなんだねえ、としみじみ述べてみせたのだった。
そんな、初恋も未だ訪れない、遅咲きの僕であったのだが。
近頃自分の行動に、違和感を覚えることが多くなった。気づけばある特定の方向を見つめていたり、特定の声を追っていたり、無意識下でなにか、未知の要素が働いているような心持ちだ。さて、どうしたことだろうと、僕は当然友人である渚くんにそのことを相談した。渚くんはこれもまた、予想していたようなしたり顔で、今が真夏にも関わらず、春だねえ、としみじみ述べたのだった。
余談だが、僕は現代文の成績が良い方である。行間を読むのならお任せあれ、と自信を持って言えるぐらいには。つまり、僕は渚くんの言葉にある、行間を読み、なるほど、これが恋煩いというやつか。不必要に煩くせわしない、自身の心臓を胸の上から掴みながら僕はすとんと理解した。僕の初恋は遅ればせながら、高校一年の真夏に訪れたのだった。



2013/08/31 12:27


▽まこちゃんをお姫様抱っこする怜ちゃん


眠るマコちゃんを怜ちゃんが抱き上げた瞬間、僕は思わずおおっ、と声を漏らしてしまった。意外と力持ちなんだね。怜ちゃんが照れ臭そうに目を逸らす。
「僕は、真琴先輩を部屋に連れていきますので」
「うん。よろしくね、怜ちゃん」
静かに、丁寧に歩く怜ちゃんの背中にひらひらと手を振って見送る。二人は今日同じ部屋だから、怜ちゃんは多分そのまま戻ってこないだろう。
邪魔しないようにしなくちゃね。そう思って、僕は隣をすり抜けようとしたハルちゃんの首根っこをしっかり掴んだ。



2013/08/30 22:46


▽一緒にお風呂に入りたいハルちゃん、遙真


ハルの家の浴槽は狭くて、子供の頃はともかく、今の俺とハルじゃどうしたって一緒には収まりきれないのに。
ざばざばシャワーを浴びていた俺の腕を、浴槽に肩まで沈めていたハルの手が掴んだ。淵に凭れて、俺を見上げるハルがぱちりと一度瞬きをする。
「入れ、真琴」
「…………無理だよ、ハル」
「大丈夫だ」
ハルが一人分の浴槽の、どう見積もっても半人分にしかならなそうな隙間を指差す。
「いける」
「無理だよ!!」
浴室に俺の声が反響する。ハルはすごく不本意なことに、わがままを言うな、みたいな顔をして浴槽一杯に足を伸ばした。そして。
「じゃあ、俺の上に跨がれ」
「最低だよハル!!!」
二度目の絶叫が、響いた。



2013/08/30 17:36


▽渚くんの髪を拭うまこちゃん


「渚!まだ髪濡れてる!」
慌てた声でそう言ったマコちゃんが僕のことを追いかけてきた。その手には大きなバスタオル。淡い緑色をしたやわらかい布に、僕の頭が包まれる。
「ちゃんと拭かないと、風邪引いても知らないぞ?」
「大丈夫だよー、まだ暑いし」
「そうやって油断してると危ないんだ」
「それはマコちゃんの経験から?」
「うっ、……とにかく!髪はちゃんと拭くこと!」
「はあーい」
わしゃわしゃと髪をかき混ぜられながら、間延びした返事をする僕にマコちゃんは小さく溜息を吐く。仕方ないなって言いたそう。でも、僕あんまり心配してないんだよね。だって。
「僕はマコちゃんに拭いてもらうからいいの」
「何か言った?」
「んーん。なんにも!」



2013/08/30 12:17


▽まこちゃんの爪を切りたい怜ちゃん


お願いがあります、とやけに真剣な顔で言われて、なんだろう。もしかして大事なことかな、と、こちらも真剣に向き直った結果。
「爪を、切らせてもらえませんか」
怜が口にしたお願いは、予想もしない、そんなものだった。きょとんとする俺の手を握ったまま、怜は熱に満たされた目で俺のことを見つめている。
「…………なんで?」
「真琴先輩の手が美しいということは、以前お話ししましたよね」
「ああ、うん。そうだった」
「僕は、美しい貴方の手に関わりたい。……干渉したいんです」
その手段として、爪を切りたいと。つまりそういうことらしかった。考え込むまでもなく、俺が頷くと怜の顔が輝く。
「本当ですか!」
「断る理由もないしね」
その代わり、と付け加えた言葉に怜の肩が緊張する。別に無理難題を押し付けたりしないのに。怜の様子に少し笑って、彼の指に自分の指を絡めた。
「俺も、怜の爪、切りたいな」
干渉したいのは、ねえ、怜だけじゃないんだよ。



2013/08/29 17:44


▽まこちゃんの認識に苛立つ怜ちゃん


僕の唇を人差し指で押しとどめ、真琴先輩は笑う。どこか寂しそうに。優しく、眦を下げて。
「いつか、本当に大事な人のために、キスだけはとっておきなよ」
僕の手によって真白いシャツをはだけられておきながら、薄っすらと日に焼け汗の滲んだ肌を晒しておきながら、そんなことを言った。僕は言葉を失ってしまって、何も言えないままでいた。あんまりだ、と思った。この期に及んでなんて馬鹿なことを、とさえ思った。僕がただ遊び半分で、こんなことをしていると考えているのだ。この人は。僕がただ酔狂で、自分よりも背の高い、性別も同じ、真琴先輩の身体を組み敷いているのだなんて。
がち、と音を立てて歯を噛み合わせた。悔しさはちっとも紛れない。真琴先輩の優しい笑顔を、ぐちゃぐちゃに崩してやりたくなった。人差し指を押し退けて、強引に唇を奪ってみせる。
いつか、本当に大事な人だって。馬鹿な、それでは僕の目の前にいる、僕にとって本当に大事な人は一体なんだと言うのだろう。真琴先輩の薄い唇に何度も噛みつきながら、全てをこれから嫌という程、教えてさしあげますと告げた。



2013/08/29 12:20


▽まこちゃんを夢に見る怜ちゃん


「ーーーー」
「え、何?」
「ーーーー」
「ごめん、聞こえなかった。もう一回言って?」
「ーーーー!」
「……やっぱり聞こえないよ。ごめんね、怜」
急速に意識が覚醒する。弾かれたようにベッドの上で身を起こす。自分の部屋の、見慣れた景色。
「夢……?」
深く、安堵の息を吐いた。額に冷や汗が滲んでいて、湿ったシャツが肌にまとわりついている。気持ち悪いが、どうしようもない。
いくら呼びかけても。必死に声をあげても。真琴先輩に届かない。
真琴先輩はいつも、僕や遙先輩、渚くんの声を聞き逃すことがない。常に誰かの声に耳を傾け、やわらかく受け止めてくれていた。けれど、さっきの夢はその真逆で。
起こした身を再びベッドに倒す。まぶたを無理矢理閉じる。意図的に呼吸を深くして眠りを促す。
これを、少し変わった夢ではなく、悪夢として認識するあたり。僕は随分と真琴先輩に心を預けているのかもしれなかった。



2013/08/28 18:10


▽まこちゃんを構ってあげる凛ちゃん

「何聴いてるの」
少し離れた場所で本を読んでいた真琴が、そう言って俺の隣に擦り寄る。無言でイヤホンを片方外し、真琴に差し出すと白いコードの片割れを形のいい耳に押し込んだ。
肩に真琴の頭が凭れる。不快ではないその重さに、手を伸ばして髪をゆるやかにかき混ぜてやる。薄いまぶたが閉じられた。幸せそうな、顔。
「構ってほしかったのかよ」
「うん」
あくまで、仕方なさそうに。俺は真琴に向き直り、真琴の望みを叶えてやる。それを許してしまう真琴の甘ったるさ。鼓動が自然と速くなる。
お互いを繋ぐ白いコード伝いに、この心音が真琴に伝わらないことを祈った。



2013/08/28 12:30


▽合宿最後の夜、怜真


喉の渇きに目を覚ます。身を起こし、外に置いてあるクーラーボックスを覗きに行こうとしたその時。
「どこ、いくの」
「真琴先輩」
不安そうな声と共に、真琴先輩が僕の腕を掴む。揺れる瞳が僕を射抜く。
「あ、……ちょっと、喉が乾いて」
「……そっか」
痛いほどの力が緩む。真琴先輩の手が離れた。掴んでいた手のひらで、真琴先輩は目元を覆った。唇だけがごめん、と動く。僕は真琴先輩の肩に触れた。
「よかったら一緒に行きませんか。水を飲むだけ、ですが」
「……星は見えるかな」
「恐らく。今夜は晴れていますので」
「……じゃあ、行く」
一言ずつ、躊躇いながら、それでも了承した真琴先輩と手を繋いでテントの外に出た。肌を撫でていく涼しい風。見上げた視界一面には予想以上の数の星。隣に立つ真琴先輩が、やわらかな息を吐く。



2013/08/27 17:45


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