▽数学を愛する怜と真琴、番外編2


真琴先輩は素数に似ている。無限に広がる膨大な海の中で、1と、自分とでしか割り切れない孤独で美しい数字に似ている。周囲となだらかに融和しながら、その実誰とも違う場所にひとり佇み、あたたかさは全て周りへと分け与えてしまったのだ。真琴先輩は素数に似ている。
「僕はあなたの1になりたい」
それはただ唯一、素数と共に、その孤高の場所に並び立てる数字。僕は真琴先輩にとっての1、そういう存在になりたかった。1になるとは全てを受け容れるということ。それでも、真琴先輩の立つ場所で共にあれるのであれば、構わないとさえ思った。



2013/10/24 13:49


▽美しい日々、怜真


日差しの下に立つだけで肌に汗のにじむ暑い日に、きつめに冷房のきいた部屋の中で、冷たいアイスを頬張るような。何の気なく吐き出した息が途端に白く染まる寒い日に、暖房のよくきいた部屋の中で、薄手の服を着ているような。
そんな、ある種冒涜的な日々の過ごし方を、だからこそ僕は愛しいと思う。自己愛の一種である時間の中に、もしあなたの存在があるならば、僕はきっと電気代の無駄遣いをやわらかく指摘され、あなたにしか見せない怠惰な僕を部屋の片隅に追いやって、季節に即したつまらなく、平凡で、掛け替えのない日々を僕と過ごそうとしてくれるのだろう。
それは、なんて、美しい日々。



2013/10/16 12:48


▽精神的ドMな怜ちゃん、怜真


「怜なんて嫌い、だ」
心にもないそんな言葉を口にして、自分を傷つけ、真琴先輩は涙を流した。その姿があまりにも美しくて、僕の胸は焼かれた鉄のように熱くなる。鼻の奥が痺れるような、そんな感覚に、生暖かい血液が今にも鼻腔を伝い落ちそうだった。
あなたの嫌いという言葉。なんて似つかわしくない、歪な言葉。僕はその響きを頭の中だけで繰り返した。決して言い慣れた様子のない真琴先輩の嫌い、嫌悪。浄らかな清流に汚濁を流すような背徳感。僕の心臓が壊れそうに高鳴った。
「ああ、もっと」
もっと言ってください。どうか、酷い言葉で僕を罵って。そうすればあなたはまた傷ついて、僕の愛しいあなたの姿に近づき同化する筈なのです。



2013/10/13 16:38


▽大福を頬張るまこちゃん、凛真


もふもふ大福を頬張っていた真琴に、口端についた粉のことを教えてやると、真琴はすこしだけ考えた末に、ん、と言って俺に頬を差し出す。望まれたことを正しく理解した俺は、唇と皮膚との境目、そのぎりぎりに付着したそれをくちづけするように舐めとってやる。軽いリップ音と共に暖かさが触れて、離れていった。真琴は照れたように小さく笑う。
「おいしい?」
「これっぽっちで分かるかよ」
「そうだね。じゃあ、半分こしよう」
俺の言葉を勘違いして、真琴が手にしたあたらしい大福を真ん中から半分にしようとするのを押しとどめる。不思議そうな真琴の頬、まるくやわらかなその場所に、大福に負けない甘さで歯を立てた。



2013/10/12 21:26


▽ずっと友達でいようね、遙→真


「俺たちずっと友達でいようね」
なんて、残酷な、言葉なのだろう。真琴は純粋で美しい、心の底からそう思っている声音で俺にそんなことを告げる。友達、親友、枷のような響きがする。
これまで生きてきたほぼ全ての時間は、真琴と共にあったのだというのに、俺が真琴から受け取れる感情は、関係性は、限られていた。その中に俺が望むものはない。決して口にすることのできない、本当に望む関係は。
「ハルが将来結婚して、家族を持って、それでも俺たち友達でいられるよね」
やめてくれ、そんな話は聞きたくない。未来なんて誰にもわからないのだという、幻想じみた希望を俺はまだ、どうしても信じていたいのだ。



2013/10/11 13:00


▽愛を込めて花束を、御子江


大きな花束を抱えて現れた御子柴さんを驚きと共に出迎える。赤を基調にまとめられた、色とりどりの花の間から私を見下ろす御子柴さんは、ぱちぱちと瞬きを繰り返す私に、普段通りの笑みを見せた。
「こんにちは、江くん。これを君に」
受け取ってもらえるだろうか。そんな、すこし不確かな言葉を私に投げかけて、御子柴さんから差し出された花束を両腕で抱えるようにして受け取る。重たくて、けれどいい香り。胸の中が花の香りで満たされる。
「ありがとうございます。でも、どうして?」
「ここにくる途中、花屋を見かけてね」
それじゃあ理由になっていない。不満を込めて御子柴さんを見る。彼は気まずそうに頬を指でかき、観念したように微笑んだ。
「君に似合うと思ったんだよ。この花束を持った君を見たかったんだ。すまない、これではまるっきり自分のためだな」
罰の悪そうな顔をする、御子柴さんが私から目を逸らす。私は視界を埋め尽くす花束をじっと見つめて、御子柴さん、と呼びかける。御子柴さんの金色の目が私の視線と交差する。
「似合いますか?」
「え、」
「見たかったんですよね」
「あ、ああ。うん、似合う。とてもよく似合っている」
「よかった」
せっかく御子柴さんが選んでくれたお花だもの。似合わないなんて悲しいから。浮かされたような目をした御子柴さんが、小さな声で何かつぶやく。
「なんですか?」
「いや、……なんでもないさ」
「このお花、押し花にして持っておきますね」
溢れそうな色彩の中で、一際綺麗な赤い花。真っ直ぐ空へと伸びていく、その花は御子柴さんによく似ている。



2013/10/09 12:57


▽君を独り占めしたい、怜真


真琴先輩は自身の行為を恥じ入るように、深く俯いたまま顔を上げない。唯一髪の間から覗く、白い柔らかそうな耳たぶだけが赤く染まった肌を晒して、彼が羞恥心に苛まれているのだということを僕に伝えていた。
真琴先輩の指先が、僕の服の裾をしっかりと掴んでいる。その場に留めようとするように、離す様子はない。僕がこれから、手紙の呼び主が待つ屋上へ、向かおうとしているからだった。あまり要求を持たない真琴先輩が、こうして行動に出したという事実。これを、嬉しいと言わずしてなんというのだろうか。
「……真琴先輩?」
「…………ごめん」
「謝るのではなくて、どうしてほしいのか、言ってください」
「…………言え、ない」
「僕が言って欲しくても、ですか」
「だって、こんなの。……ただのワガママだ」
「そのワガママを聞きたいんです」
ぱっと顔を上げた真琴先輩は、今にも泣き出してしまいそうな、不安に満たされた顔をしていた。何をそんなに恐れる必要があるのだろう。なぜそんなにも僕を気遣ってしまうのだろう。真琴先輩は優しい人で、誰よりも理性的な人だった。恋人に、ほんの少しのワガママさえ告げるのを躊躇うかわいい人。
僕は彼を安心させるように微笑み、緊張に震える頬を手のひらで覆った。赤みを帯びている割に、冷たさの際立つ、滑らかな皮膚。
「どうか、望んでください。そうしたら」
言葉を区切る。塊になった吐息を飲み込む。僕も真琴先輩と同じように、けれど全く違う理由で緊張していた。踏み込みすぎて、拒絶されたら、と思うと恐ろしくて仕方なかった。それでも、僕は。
「僕はあなたの望みを叶えられる」
真琴先輩の美しい瞳が僕の輪郭を反射する。薄く血管を透かしたまぶたが、うつろうように閉じられた。音のない空間に彼の、ささめく吐息が零れ落ちていく。
「……行か、ないで。怜」
「はい。いいですよ、真琴先輩」
自身の口端が綻ぶのを感じた。僕よりも背の高い真琴先輩を思い切り抱きしめた。そうだ、僕はこの言葉が、聞きたかったのだ。ずっと、初めて真琴先輩の姿を目にして、彼に恋をしたその日から。



2013/10/08 17:34


▽タイムリープするまこちゃん、怜真


はい、どうぞ。そう言って差し出されたのは四角いパックジュースだった。白地に青いラインのパッケージ。僕の好きな、ヨーグルトジュースだ。
「ありがとうございます」
受け取り、ふと思う。浮かんだ疑問を何気なく、尋ねてみる。
「僕がこれを好きだと、真琴先輩に言ったこと、ありましたか?」
ぱちん、と瞬きをした真琴先輩が、少し考えて、薄く笑った。
「うん。前に、ね」
「そう、ですか」
覚えはないが、肯定されたということはそうなのだろう。真琴先輩は僕の隣に腰掛けて、自分の分らしい、コーヒー牛乳のパックにストローを差し込んだ。一口含み、喉を上下させる。不明瞭な視線で空を仰ぎ、ぽつりと呟く。
「明日は雨だから、傘、忘れないようにしないと」
「雨?天気予報では一日、晴れだと」
「うーん……でも、夕方降るからさ。持ってきておきなよ」
不思議な確信を得ている顔で、真琴先輩がそう言った。僕は、やはりそうなのだろうか、と。ずっと抱き続けていた、わだかまりのような予感が喉元までせり上がる。口にしようとして、躊躇う。到底真実ではあり得ない、荒唐無稽な予感だった。おかしい奴だと思われてしまうかもしれない。けれど、そうだとしか、考えられなくて。
僕は深く、息を吸い込んだ。冗談にできるような声音で聞けば、きっと誤魔化されてしまうから。ただ美しく真剣な装いで、ある種の予感を、口にする。
「今回で何度目、ですか」
「……なにが?」
「繰り返しているのでは、ないのですか」
この夏を。僕にとっては終わりかけている、平穏無事な一週間を。
僕の問いかけに、真琴先輩が瞠目する。柔らかく開かれた唇が、なにか言葉を紡ごうとして幾度も、幾度も開閉される。ひととき、彼は現実を受け入れようとして、失敗した顔のままとめどなく、涙を零した。そこにある途方もない孤独を思って、僕の胸が締め付けられる。どれほど辛かったことだろう。どれほど寂しかったことだろう。僕は思う。彼が孤独に押しつぶされる前に、気づくことができてよかった。
そうして僕は真琴先輩と共に、一週間へと囚われる。



2013/10/04 18:24


▽渚くんに嫉妬するまこちゃん、怜真


怜の肩に飛びついた渚が楽しそうな声をあげる。怜は、危ないでしょう!とか、突然飛びつかないでください!とか、そういうことを言うわりに全然嫌がっている様子はなくて、照れ臭そうにしながらも渚を振り払うことはない。いつも通りの光景、よくある景色。だというのに、俺は、どうしてしまったのだろう。二人の様子を見ていると、息が苦しくて、胸が痛い。まっすぐ見つめていられなかった。思わずそっと、目を逸らす。
その場から立ち去ろうとして、踵を返した俺の背に掛けられる、落ち着いた声。
「真琴先輩?」
どうして、こんな時ばかり、気づいたりするのだろう。仕方なく振り向いた俺の目の前で、怜は渚に断りを入れてこちらへ歩み寄ってくる。心配そうな、気遣わしげな顔をして。
来ないで。俺を見ないで。こんな俺のことなど、どうか、知らないふりをしていてよ。醜い心を必死に押し隠す、俺の呟きは怜に届かない。



2013/10/04 12:15


▽お互いの体温を確かめる怜真


意外と筋肉質な腕に抱きしめられ、その肩口に鼻先を押し付けながら、怜の高めの体温が好きだなあ、なんて思う。ふわふわとした気持ちが身体中を満たしていった。ずっとこうしていられたらいいのに、そんな現実味のないことを思わず考えてしまうほどに。
「真琴先輩は暖かいですね」
「怜の方があったかいんじゃない?」
「そうでしょうか。……ちょっと、すみません」
怜の手のひらが俺の頬に触れる。覗き込むように近づけられた、怜の綺麗に整った鼻梁。透き通った紫暗の瞳。鼓動が高鳴り、顔が熱くなる。
「……やはり、真琴先輩が暖かいのでは?」
「そ、れは……!」
怜のせいだよ、と言おうとして、間近にある怜の顔がいたずらっぽく笑っていることに気づく。もしかして。
「わざと、やっただろ」
「はい。先輩の照れる顔が見たくなりまして」
意地悪なんてしません、みたいな顔をして、こんなことをしてくるのだから。怜のそばにいる限り、俺の心臓が落ち着く時はどうやらまだまだ遠そうだった。



2013/10/03 18:10


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