伝えてはいけない想い


 軋む様な身体の痛み。崩れ落ちる膝。

「ーーーアンコ!」

 それが私が聞いた、ショウマの最後の『声』だった。




 大蛇丸が里を抜けた。
 鬼界島で気を失っていた私は、木ノ葉病院で目を覚ました。

 (置いて、いかれた)

 捨てられたんだ、と。

『アンタには足りないのよ、力求めようとする動機、執念、憎しみ何もかも』

 努力するだけではダメだった。
 強くなるだけではダメだった。

 私は悔しいのか。悲しいのか。苦しいのか。不安なのか。言い知れない感情の渦の中、首の呪印に爪を立てる。

 一人、ベッドに座りぼうっと窓の外を眺めていると、病院にあるまじきドタバタとした足音がこちらに近づいて来た。

「やっと目が覚めたか、アンコ!」

 病室のドアを破るように開け放ち、人の病室に遠慮なくずかずかと入ってくる大男。

「ショウマ、アンタねぇ。ノックくらいしなさいよ」
「はっはっはっ!すまんすまん!」

 からりと晴れたような笑顔。悪いなどとは微塵も思っていないのだろう。

 同期の彼は、壁に立て掛けてあったパイプ椅子を私の前に広げ、どかりと腰を下ろす。予想外の体重がのしかかり、哀れにも椅子が悲鳴を上げた。

「で、何の用」
「お前が入院したと聞いたからな。見舞いに来ただけだ」

 ひょいと渡された団子の包み。
 開いてみると、串までみたらしのタレでべちゃべちゃになっている。

「どれだけ振り回したらこうなんのよ」
「俺は走っただけなんだがなー」

 おかしいなと首を傾げ、ショウマはガリガリと後ろ頭を掻いた。

 コイツは昔からそうだった。
 踏み込んだだけで地面が抉れるし、腕を振るうだけで相手は吹っ飛ぶ。笑うだけで声は木霊し、怒ろうものなら想像するのも恐ろしい。

 (そういえば、ショウマが怒ったところは見たことがない)

 いつも笑っているか、あっけらかんとしていて。時たま遠くを見ていることはあるけれど、誰かの視線に気付くとすぐにまた笑ってみせる。

「ねぇ、ショウマって怒るの」

 ふと気になって聞いてみると、彼は虚を突かれた様な顔をした。目を閉じて天井を仰ぎ、うーんと唸る。

「怒る、かな」
「かなって」
「イマイチよく分からん」

 困ったら掻くのが癖なのか。彼はまた後ろ頭に手をやった。

「怒る、というのは俺が何かをされて怒るということだろう」
「そうね」
「される前に何となく潰してるからなー……」

 論外だった。

「じゃあ誰かに怒られたら?自分も腹立ったりしないわけ」
「相手が怒るには理由があるだろう。それを俺に向けているということは、少なからず俺に非があるわけだ。ならば謝ればいい。謝れば解決する。時間は有限だ。怒るより楽しく暮らす方がいいだろう。こちらまで腹を立てて事を長引かせる必要はない。違うか」

 真っ当な答えだった。
 真っ当な答えだけれど、それを口で言って実践出来る人間がどれだけいるだろう。

 上部で大丈夫と言っても、言われたことやされた事に腑が煮え繰り返るような思いを抱く人だっているはずだ。

 でも、目の前の彼は実践出来ている。

「それでアンタの『すまん』は薄いのね」
「はっはっはっ!物事は次から次へとやってくる。細かい事は気にするな!」
「細かい事、かぁ」

 物事は次から次へとやってくる。
 そうだ。私がここで立ち止まっても、任務は続くし、時は流れる。

 (なのに)

 なのに、こんな時でも師のことが頭を離れないのはなぜだろう。

 膝に乗せた団子に視線を落とすと、ショウマがおもむろに口を開いた。

「お前も里を抜けたいか」

 弾かれるように顔を上げると、真摯な瞳がじっと私を見据える。

「何を、言って」
「お前も大蛇丸の後を追って、里を抜けたいのかと聞いている」

 明け透けな言い方に、私は息を呑んだ。

「アンタ、何考えてんのよ……?!」
「何も」
「は……」
「それがお前の望みなら、手を貸してやると言っているんだ」

 何を焦っている、と逆に訝しまれて肩の力が抜けた。

 (コイツ、本当に何も考えてないわけ?!)

 里抜けは重罪だ。
 もし、この会話を誰かに聞かれたら、いつ罪に問われてもおかしくないってのに。

「俺の口寄せ動物を使えば、国境を越えるのは容易な事だ。お前が大蛇丸の側にいたいと願うながら、昔のよしみでーーー」
「それはない!」

 たまらず声を上げた。

「大蛇丸に置いて行かれたのも、捨てられたのも悔しいわよ!でも、里を抜けたいなんて思った事は一度たりともないわ!」

 そう。
 私はついて行きたいわけじゃない。ただ、認めてもらいたいだけだった。

『アンタには足りないのよ、力求めようとする動機、執念、憎しみ何もかも』

 当然でしょ。
 アイツは力を求めてる。その力は危険なものだ。自分が身に付けてきた術を振り返れば一目瞭然。

 (それでも)

 それでも彼に認めてもらたいと思った。
 私が彼にとっての弟子だと信じていたから。弟子が師に憧れて何が悪いの。褒められたいと思って何が悪いのよ。

 大蛇丸の弟子。
 確かに私はそうだった。でも、それ以前に。

「私は、木ノ葉の里のみたらしアンコよ。誰が何と言おうとね」

 そこまで見失っちゃあいないわ。

 ふざけた事を抜かす男の顔を真っ直ぐに見返してやると、彼は大口を開けて笑った。

「あーっはっはっはっはっ!そんなんじゃあ、大蛇丸に置いて行かれて当然だなぁ!」
「な……!?」
「こんないい女、あの蛇の手に負えるわけがあるまいよ!」
「は……」

 何がそんなにツボに入ったのか。ひーひー言いながら、目の端に涙浮かべて笑っているショウマ。

 その前で、私はアホみたいにポカンと口を開けていて。

「ショウマ、アンタ今なんて」
「あ?ああ、すまんすまん!蛇に手はなかったか!」
「ふぉふぉふぁふぁいふぁふぉ、ふぉふぉふぁふぁ!(そこじゃないわよ、この馬鹿!)」
「うぉっ!?」

 いい女。

 不覚にも火照る顔を隠す様に、私は団子を頬張りながら彼に向かって串を投げつける。彼はそれを避けてから身を乗り出し、私の手を取った。

「惚れたんだ、お前に。俺と付き合ってくれ」

 真正直な好意を。
 結び合う視線を。
 繋がる手から伝わる熱を。
 
 私は躱す事ができなかった。

「ーーーとか言ってた癖に何よォ!自分が声失くしたくらいで『別れてくれ』って?!アンタ、女ナメてんの?!」

 空になった小鉢。
 その隣に盃を叩きつけるとカウンターの向こうのショウマが、ビクリと肩を震わせる。

 『わらうかど』。
 つい昨日まで病院にいた彼氏が店を開いた挙句、よれた紙に持ち前のヘタクソな字で別れの手紙(果し状)まで寄越してきたのだから冗談じゃなかった。

「あの時、ショウマと付き合うって決めたのはアンタじゃなくて私よ!ハンディ一つで『はい、別れましょ』なんてなると思ったわけ?!」
「……!……!」
「あのね!私だってタダで忍やってないわよ!声がなくても、口の動きさえ見れば何言ってるかなんて分かるし!言ってくれなくても、アンタの短略的な考え方なんてお見通しなんだから!
 差し詰め、今の俺じゃあお前には相応しくないだの、お前を護れないだの考えてたんでしょ!?ほら、図星!」

 どっちなのよ、吐きなさい!と胸倉締め上げると「後者だ、後者だ!」と返ってきた。

 ショウマが忍を辞めた。
 任務で敵の術中に嵌った私を庇い、顎から首にかけて強打し、それが原因で声を失ったからだった。

 声帯を担う神経の麻痺だと、医者からはそう言われた。

「そりゃあ負い目しかないわよ。私のせいで、アンタの忍人生終わらせたなんてやるせないじゃない……!」

 本当は、ショウマの側にいてはいけないのかもしれない。私がいないほうがいいのかもしれない。そう思った事だってあった。
 でも。

『それは違う』

 アンタがそう言ってくれたから。

『俺がアンコを守りたかった。愛する女を守り切ることが出来たのなら、男として本望だ』

 嘘偽りない笑みを向けてくれたから。

「これまでショウマが護ってきたものは、私が護るわ。今度こそ、アンタごと護ってみせる。だからーーー!」

 ああもう、目の前が霞んで見えやしない。

 袖でグイッと顔を拭った。嗚咽を堪えて言葉を詰まらせると、ゴツゴツした大きな手が私の手を掬う。

『笑ってくれ、アンコ』
「ショウマ……」
『俺は強気なお前も好きだが、食い意地張りながら笑ってるお前はもっと好きだ!』
「誰が食い意地張ってるって!?」
「……っ!……っ!」

 分かってる。
 紙がよれてたのは涙と汗のせいだって。どれほど悔しければ。どれほど強く手を握れば、たったの五文字を綴るのにあれだけ酷く皺が寄るのだろう。

「ショウマの馬鹿」
「……」
「馬鹿よ、ホントに馬鹿……!」

 分かってるわよ。
 私が何を言おうと、もう付き合うつもりはないって。それでも。

「アンタが作る甘ったるい煮物なんか、私くらいしか食べられないじゃない……!」

 それでも愛してる、って。
 伝わってくるから余計に辛い。

「今でも思うけど。ショウマって、大蛇丸よりタチ悪いわよね」
『はっはっはっ!なんせ、鬼だからな!蛇なんぞには、まだまだ負けん!』
「どこ張り合ってんのよ、馬鹿」

 ふと立ち止まってみると。
 ショウマに泣いて縋ったあの頃より、豊かになった私の体型。目の前の彼は体格こそ変わっていないが、目頭と口の端の皺が目立つ様になった。

 私はよいしょ、と座り直してから徳利を傾ける。

「とにかく。次の検診で私の体重が今より増えてたら、ショウマの煮物のせいだからね」

 医者に言い付けてやるわと当て付けると、これ見よがしに甘い煮物を装いでくる。

「ちょっと」
『言ったろう』
「はいはい、それもう聞き飽きたわ」
「『食い意地張りながら笑ってるお前はもっと好きだ』」

 貸切の店内に、二人分の笑いが弾けた。
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