悲しみの歌


 三代目火影の息子。
 誰もがその目でオレを見る。

 幼い頃は、純粋に、ただただ誇らしかった。里を治める偉大な忍。自分がその息子であることが。そして誇りが憧れになり、憧れが夢になることに時間はかからなかった。

「アスマ、お前も将来は火影になるんだろ」

 周りから言われて無論、同意した。

 オレ自身、そう思ってた。才能があることも自負していた。
 父親の大きな背を追い、がむしゃらに走り続けた。

 しかし、膨らみ過ぎた風船はいつか割れるものである。

「流石は火影様の息子だな。血は争えん」
「三代目は若い頃に二代目に指名され、火影になったからな」

 期待はいつしか重圧になった。

 オレを通して、誰もが三代目火影を見ている感覚。息苦しくて堪らなかった。

 それでももがいて。もがいて。期待に応え、『三代目火影の息子』として恥ずかしくないように努力した。
 それなのに。

「親父!オレ、中忍になったんだ」
「うむ、そうだな。
 して、要件はそれだけか」
「え?う、うん……」
「下がれ」

 突き放された気がした。

「優しい父さんで羨ましいな」

 皆が口を揃えて言う。
 しかし少なくとも、皆の知る『三代目火影』は、オレにとって優しい父親ではなかった。




 火ノ寺。
 森の中に聳える門構え。その前で、相変わらず気難しい面をした友が出迎えてくれた。

「おう、地陸」
「やはり来たか」

 火の国きっての忍寺の忍僧、地陸。彼とは守護忍十二忍の同胞であり、気心の知れた仲だった。地陸はオレの咥えている煙草を見るなり、眉を顰めた。

「境内は煙草禁止だ」
「おっと、そうだった」

 言われて煙草の火を消すと、彼は静かに鼻で息を抜いた。

「風の噂で里を飛び出したと聞いていたが、本当だったようだな」

 二ヶ月ほど前だっただろうか。
 オレは里を飛び出した。抜けるなんて大層なもんじゃない。ただ、家出みたいなもんだった。

 里にいることが自体が息苦しく、どうしようもなく窮屈に感じた。

 十数年と張りつめてきた糸が、突然切れた音がして。気付けば里を飛び出し、何かを探すようにあの村この村と渡り歩いた。

「何か見つけたか」
「いや、さっぱりだ」

 オレは何のために忍になったのか。

 親父のためか、里のためか。はたまた、どこの誰かのためか。この道は正しいのか。それとも他に道があるのか。

「気付いたら、火ノ寺(ここ)に足が向いちまった」
「そうか」
「仏さんにでも縋ろうかと思ってな」

 罰当たりにも戯けて言うオレを、地陸は責めるでもなく、咎めるでもなく、ただ先導した。

「鬼は諭し、仏は道を示す」
「おいおい。諭す鬼ってなんだよ」
「これも巡り合わせかもしれんな」

 どういうことだ。
 オレが問うより早く、彼の足は寺の敷地内、戦没者の墓の元へと向かった。

 数多の墓石が並ぶそこ。
 中には名の彫られていない石もある。

 そんな中で一人、大きな身体をきゅっと小さく丸め込み、屈んでいる人物がいた。目を閉じ、墓石に手を合わせているのは見間違えようのない、ショウマだった。

 彼は一つの墓に手を合わせ祈り、また隣の墓、その隣と。一つ一つに頭を下げていた。

 地陸が手を合わせてから足を下げ、墓地を後にする。対してオレは、ショウマから目を離すことも、その場から動くこともできなかった。

 彼特有の蹴散らすような笑顔と喧騒はなりを顰め、纏う空気はしんと静まり返っている。

 石一つ落とすのも躊躇われるような静寂の中。
 オレは手の汗を握り、その背中に向けて踏み出した。

「……よお」
「アスマか」

 掛けた声は、らしくもない落ち着いた声に拾われた。ショウマはしゃがんだままでオレを仰ぎ見、ぼりぼりと後ろ頭を掻いて眉を下げる。

「あー……、聞き取りづらかったらすまん。あまり大きな声を出すと、地陸に怒られる」
「構わねーよ。オレァ、こっちの方が話しやすい」
「ははっ、そうか!」

 どうやら鬼も僧には弱いらしい。

 思えば、昔から図体も声もデカかったが、荒々しい奴ではなかった気がする。

 (いつからだったかな)

 定かではないが、確かショウマが下忍の時。
 彼が『鬼』と、呼ばれ始めた頃からではなかったろうか。

 オレは手を合わせる彼の隣にしゃがんだ。

 目の前の墓石に刻まれた名前には、聞き覚えも見覚えもない。それでもオレは、彼に倣い目を閉じ、手を合わせる。

 (ひょっとしたら、この中にオレが手をかけた人間がいるのかもしれない。
 そして、オレもいつかはーーー)

 そう思うと、抗いようのない寂寥感が押し寄せる。黙っていたら余計耐えられないような気がして、オレはおもむろに口を開いた。

「世は無情だな」
「情があり、正気でいて、人を殺すことができるのか」

 ショウマは、まるで静かな水面に指先で触れるように淡々と問いかけてきたが、俺は返す言葉が見つからなかった。

「俺が初めて人を斬ったのは下忍の時だった。敵地の子どもに見られた。男の子だった。声を上げようとしたから殺した。
 その子には妹がいた。そして返り血を浴びた俺を見て、泣きながら叫んだ。『鬼だ』、と」
「ショウマ」
「人は、一体どれだけ進めば満足する」

 水面が叩かれた。

「この世は地獄だ。斬った先に何も見えん。
 人は鬼だ。自らの正義のためならば、他人などいくらでも踏み躙ることができる。
 それならばいっそのこと、俺は本物の『鬼』になろうと思った」

 何も考えずに。何も想わずに。

 目の前のものをただ斬り、薙ぎ、潰し、殴り、伏せる。

 涙はいつしか他人の血に、嗚咽は狂気に変わった。

 考えなければ、いくらでも進める。
 考えなければ、いくらでも奪える。
 想わなければ、刃は曇らず。
 想わなければ、非情になれたからだ。

「だが、そう上手くはいかなんだ」

 そうだろうな。

 そうでなければ。
 彼が本物の『鬼』に成り果てたのであれば、こうして今も周りに人は集まらないだろう。

「なんと儚く強かなものだ、命とは。
 なんと輝かしく得難いものだ、家族と友とは。
 なんと狂おしく愛らしいものだ、恋人とは。
 そして、なんと愛おしいものだ。それらが在る、この世界はーーー」

 ショウマが切なげに目を伏せた。

「だからこそ、誰しも護りたいと。そう、思うのだろうな」 
「ああ」
「だが『鬼』らしくないか!」
「そんなことねーよ」

 そんなことない。
 オレは冷えた手を、ズボンのポケットに入れてから立ち上がった。

「鬼にも護りたいもんくらいあるさ」

 あるいは。

「宝物(護りたいもん)を盗られそうになるから、暴れてるだけかもしれねェしな」

 オレがそう言って見下ろすと、瞠目するショウマが大口を開けて笑い出す。

「はっはっはっ!こりゃあ一本取られた!」
「こっちの台詞だ。まさかお前に諭される日が来るとはな」

 軽い息を漏らすオレに、ショウマがうっすらと微笑んだ。

『だからこそ、誰しも護りたいと。そう、思うのだろうな』

 そうだ。
 親父の背を追ったのは、ほんのきっかけに過ぎない。

 オレは里を、家族を、仲間を護りたいと思って忍になった。

 この道を選んだのは、紛れもないこの俺自身だったんだ。そして、親父もまたーーー。

『これも巡り合わせかもしれんな』

 地陸の言葉が頭を過ぎる。

「じゃあ、オレはそろそろ里に帰るとするよ」
「応。それはいいがな。帰ったらすぐ紅に謝っておけよ」
「は」
「何も言わずに里を出たのだろう。相当怒ってたぞ、アイツ」
「マジかよ……」

 聞きたくなかった。

「三発は殴られることは覚悟しないとな」
「はっはっはっ!紅は怒ると、俺よりおっかないからなぁ!」

 他人事だと思って、コイツは。

 オレが口元を引き攣らせると、声を上げて笑うショウマの頬を一本のクナイが掠めた。地面に刺さったそれを拾い上げる。括り付けられた短冊には一言。

『喧しい』

 地陸の筆跡だった。

 (坊さん、怖ェな)

 達筆なのが余計に怖ェ。
 ショウマに目配せすると、「そうだろう」と言わんばかりに幾たびも頷いてみせた。

「ショウマはどうする。お前も帰るか」
「んー、まだ回り切ってないからな。終わったら追い越すさ」
「追い越すのかよ」
「ああ。立ち止まるのは、性に合わん」
「だな」

 ニカリと笑う彼に、オレは追従して笑みを返した。




「ガキだったオレは気付かなかった。
 親父は、オレを容易く褒めるわけにはいかなかったってな。親父が火影である以上、父が子に接するようにして、忍であるオレに接することが出来なかったんだよ」

 オレを可愛がれば、それは身内贔屓と取られかねない。オレ自身が認められるまでは、オレはいつまで経っても『火影の息子』でしかいられないのだから。

「結局のところ、親の心は子知らずってことだ。口で言やぁいいことを。
 ……いや、口で言っても伝わらねーから背中で言うのか」

 オレは目の前に注がれた盃を仰ぐ。

 『わらうかど』。
 ショウマの営むその店で、オレはどういうわけか店主である彼と二人酒を決め込んでいた。

 木ノ葉崩しがあったにも関わらず、奇跡的に店は無事だった。

 この店だけではない。
 ここ一帯の店はいずれも倒壊の被害を逃れた。理由は言わずもがな、目の前で快活に笑うショウマである。

「もう少し里が落ち着いたら、紅に告白しようと思うんだ」

 オレがそう伝えると、彼は「やっとか!」「よく決心した!」とオレの肩をバシバシと叩く。そして、腰を上げ店の奥に引っ込んだと思ったら、満面の笑みで両手に酒瓶を抱えて戻って来た。

「いや、まだ付き合うとは決まってねーだろ」

 オレが苦笑するのをお構いなしに、どれを飲むか問うてくるショウマ。

 (こりゃあ失敗できねーな)

 いのに花でも見繕ってもらうか、と考えていると気の早い瓶から祝杯と言わんばかりの酒柱が立った。
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