遅咲きのリナリア 02



 お花屋さんのアルバイトに応募しようという気になったのは、窓からグラウンドをぼうっと眺めてから帰るだけの放課後にはあまりにも生産性がなさすぎると二年目にして自覚したからだ。
 初めてのアルバイトは不安だったけれど、電話をかけてみると意外にもすんなりと採用が決まった。
 電話を切る間際、面接をしてくれた女のひとに「そう言えば、はば学の子がもう一人働いてるのよ」と教えてもらった。きっと大人ばかりのなかで働くのだろうと思っていたから、年が近く、学校も同じ子がいるという情報はわたしの心の支えになっていて。
 ――できれば、一緒のシフトになれればいいな。そう思っていた。だって、それが「彼」だと、誰が予想できただろう。

「みょうじさんより少し先に入ってね、高校一年生なのにすごくしっかりしてる子なの」

 初出勤の日、そう店長に紹介された氷室くんは、たいして興味もなさそうな瞳でわたしを見て、「どうも」と、このあいだ砂浜で会ったときと全く同じ調子で会釈をする。

「……氷室くんもここで働いてたんだ」

 わたしが茫然としながら言うと、店長は

「あら、お友達なのね。じゃあいろいろ聞きやすくていいわね。氷室くん、みょうじさんのことよろしくね」

と楽しそうに手のひら同士を合わせて、バックヤードに戻っていった。
 なんとも言えない気まずい雰囲気のなか、氷室くんが口を開いた。

「ノゾム先輩はあんまり花とか興味なさそうだけど、ほんとにここでいいの?」
「ち、ちょっと。こっちは初日で緊張してるのに、からかってるの」
「冗談。それより、エプロンの紐が解けかかってる」彼はわたしの腰にだらしなくぶら下がったリボンを指さした。
「ほんとだ。ありがとう。……これ、結ぶの難しいよね」
「別に普通だと思うけど」

 彼の言う通り、彼の腰に回った紐は左右対称にきっちりと結ばれていた。
 恥ずかしさに口ごもりながらエプロンのリボンを二、三度結び直すわたしを、彼は呆れたように見下ろす。

「……なんとなくだけど、君とは腐れ縁になりそう」
「もう! その腐れ縁って言い方はどうなのかな」
「まあ、君なら退屈はしなさそうかな」

 たぶん皮肉で言われているのだろうという察しはついた。
 颯砂くんの第一印象が「とにかく明るくて屈託のないひと」だったのに対して、氷室くんの第一印象は「息をしているだけで生意気な後輩」だ。正反対とも思えるふたりだけれどそれなりに親交があるのだというから、人間関係って難しい。
 それでも、数か月のあいだ同じ店で働いているうちに、氷室くんには意外と素直な一面もあって、なおかつ面倒見もいいひとだということがわかってきた。
 木枯らしが吹くようになったある日、からからと扉のベルを鳴らして氷室くんが店内に戻って来た。つんと尖ったその鼻の先はほんのりと赤らんでいる。

「氷室くん、バケツ洗いありがとう。外寒いから辛かったでしょ、ごめんね」
「うん、過酷。まあ僕は冬でもたまに海入るし、少なくとも君よりかは耐性あるよ」

 彼は鼻をすすりながら、カウンターにいるわたしの隣にやって来た。

「そっちは花束作る練習してたんだ?」
「そう。店長に、ちょっとずつやってみたらって言ってもらえて。どうかな」
「僕の勝手な意見だけど、チョイスはいいんじゃない? ポイントにオンシジューム使うところなんか、君っぽいし。真上から見たときの形がちょっといびつだけど」
「え? あ、本当だ。気付かなかった」
「イメージした形に束ねるのって難しいよね。僕も練習しなきゃ」

 出会ったばかりのころは気付かなかった。氷室くんには皮肉っぽいところがあるけれど、内側にはちゃんと優しさがくるまれている。ここでは先輩である彼がわたしにアドバイスをしてくれることは多々あるけれど、そのどれもが的確で、わたしという人間の性質を踏まえられたもののように聞こえたからだ。

「ありがとう、氷室くん」
「ううん。別に」

 そのとき、彼の背後の扉がまたからからと音を立てる。入って来たひとの姿を見て、「いらっしゃいませ」の「ま」で声が途切れてしまった。

「おっ、やってるやってる」
「さ、颯砂くん!?」
「よう、みょうじ! 今日はイノリもシフト入ってんだ、ちょうどよかった。また母さんに『お客さん来ることになったから花買ってきてー』って、おつかい頼まれちゃってさ」

 颯砂くんは安心したように笑ってから、店内をきょろきょろと見渡す。色とりどりの花を目の前にしてええと、と漏らす彼は明らかに自信なさげに見えるのに、突然の彼の来訪に驚くあまり、気の利いた言葉のひとつも出てこない。
 氷室くんがちらりとわたしを見やって何か言いたげな目をしたけど、余計に顔が熱くなるばかりだった。
 「自分の好きなひと」と「それを知っているひと」が同時に存在する空間は、酸素が薄すぎる。

「ノゾム先輩、花とかわかるんですか?」
「ん? オレがわかるわけないじゃん。だからイノリたちがいて『ちょうどよかった』って言ったんだ」
「それなら、みょうじ先輩に見繕ってもらったらどうですか。僕のほうはまだ外で作業があるんで」
「お、それじゃあみょうじ、頼める?」

 颯砂くんがわたしをくるりと振り返れば、そのまっすぐな瞳と視線が合う。ずっと見ていたいような、やっぱり直視すらできないようなわけのわからない感じがして、思わずフリーズしてしまった。

「……アレ、みょうじ? 電池切れ? おーい」
「……あ、ごめん! 今ゴミが目に入って、その……お花だよね、いいよ! わたしのセンスでよければだけど」
「助かるよ。目、大丈夫?」
「あ、うん! だ、大丈夫。今取れた気がする。すぐ選んでくるから、少しだけ待ってて」

 まだ成りそこないだったブーケをばさりとテーブルに寝かせるやいなや、店内を忙しなく駆け回る。
 ラナンキュラスにマーガレット、それからテーブルを気取らない雰囲気にしてくれるタラスピオファリム。きっと、颯砂くんのいるお家にはこんなお花が似合うだろう。
 わたしがそれらを選び取る様子を颯砂くんは「すげーてきぱきしてる。オレより速いんじゃん?」と褒めてくれたけど、実際はこの空間に耐えきれないだけだった。
 選んだお花を見せると、颯砂くんは「おお」と目を見開いて、大袈裟かつ気持ちの良いリアクションをくれた。

「なんかいい感じ! 母さんもきっと気に入るよ! ありがとな、みょうじ」
「う、うん。力になれてよかった」

 颯砂くんが満足気な笑顔で退店した瞬間、ほっとしたのと同じぐらい、どっと疲れが押し寄せてくる。
 扉のベルが鳴り終わったタイミングを見計らって、外から氷室くんが戻って来た。きっと外でやらなければならない用事なんてなかったはずなのに、わたしのために寒い中時間を潰してくれたのだろうか。その鼻の先はますます赤らんでいた。

「……初めて君とノゾム先輩が話してるところをちゃんと見たんだけど、なんていうか君って、あのひとの前じゃただのポンコツだったんだ」
「う……言わないで」
「正直想像以上だった。見ててかわいそうになるくらい」
「氷室くん、さっきは協力してくれようとしたんだよね」
「まあ、君の気持ちを知っている以上そこに長居するのは野暮かなって」
「……それなのにわたし、全然うまく話せなかった」
「だろうね。ノゾム先輩が来てからお会計が終わるまで、タイムアタックかと思うぐらい早かったしね。いろいろ花のこと説明しながらやればよかったのに」

 彼の言う通りだ。せっかく学校の外で会ったのだから、部活やテスト以外の話題について自然に話せるチャンスだったはずなのに。
 ――反省点がありすぎる。俯いて、テーブルの上に置き去りにされたもはやブーケの原型を留めない花たちを見ていたら、氷室くんのため息が聞こえる。

「……そんなに好きなんだ、ノゾム先輩のこと」

 なにかに納得したような声だった。
 改めてその事実を口にされるのは二度目だ。一度目にそれを言われたとき、彼はその顔にわずかな悪意すら浮かべていたように見えた。けれど、今目の前にいる氷室くんはあのときとは違っていた。反射的に「からかわないで」と咎めようとした気持ちが、ろうそくの火を吹き消されたようにふっと失せてしまう。

「……正直今まで君のこと半分からかってたこと、ごめん。君がノゾム先輩のことどれくらい好きかわかったような気がするから、これからは改めて君のこと応援する。むろん、僕にできる範囲での話だけど」

 やっぱり彼の内側には、ちゃんと優しさがくるまれている。言葉よりも態度よりも声色よりも、氷室くんのまっすぐな目が何よりもそれを物語っていた。


prev- back- next



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -