遅咲きのリナリア 09



 花束は家の花瓶に飾ったあと、ドライフラワーにして部屋に飾ることにした。
 新しい店でアルバイトを始めてからしばらく経ったころ、家を出る前にドライフラワーに視線がいって、そう言えばまだ彼に見せていなかったなと思い立った。
 一紀くんと直接顔を合わせる頻度はめっきり減ったものの、メッセージをする頻度は前と大して変わらなかった。連絡先の上から七、八番目にあるその名前を探して

『もらった花束をドライフラワーにしてみたんだ。綺麗だよ、改めてありがとう』

と写真を添えて送ったら、すぐに返信が来た。

『どういたしまして。そうやって今も飾ってもらえるなんて、いろいろ考えて作った甲斐があった』

 一紀くんがそんなことを言うものだから、アルバイトの時間までたいして余裕もないのに、わたしは壁に吊るしたドライフラワーをまじまじと眺めてしまった。やっぱり綺麗だった。
 思えば一紀くんと出会ってから、こんなに長く顔を合わせていないのは彼の修学旅行以来かもしれない。
 アンネリーを辞めた直後こそ、いつも当たり前のように近くにいたひとが遠くなったことに違和感を覚えていたものの、アルバイトにも慣れて遅くまでのシフトにも入るようになったわたしは、徐々に新しい「当たり前」に慣れていった。


 だいたいひと月かふた月に一度のペースで、本多くんや颯砂くんが店に遊びに来てくれる。
 忙しい風真くんも、極まれに彼らと一緒にやって来ては「お前、いつ来てもいるじゃん。シフト入りすぎじゃないのか?」と眉を下げて心配してくれる。そして、最後には「まあ、お前が楽しそうだからいいけどさ」と勝手に納得して帰っていくのがお決まりのパターンになっていた。
 風真くんの言う通り、わたしはここを気に入っていた。夢の中にいるようなほんのりと甘いにおいも好きだし、花々の色を引き立てるために黒で統一された制服も、スタイリッシュで好きだ。
 それに、これは本当に本当におまけだけれど――高校のころと同じように、誰かと冗談を言い合って笑う颯砂くんのことを、遠巻きに眺めることができるところも。
 とある冬の日の夜も、バイト終わりだと言う本多くんと颯砂くんがふたりで店にやってきた。
 バレンタインシーズン限定のカフェメニューがとても好評で、普段はディナータイムのほうが盛況なうちのお店も、カフェタイムはそれを凌ぐ繁盛具合だった。
 カフェタイムからシフトに入っていたわたしは早めに上がりを迎えて、そのまま彼らのテーブルに加わらせてもらうことになった。

「そう言えば、イノリがそろそろ卒業だよな」

 人気メニューのガーリックライスを頬張っていた颯砂くんの一言で、話題は「一紀くんの卒業」になった。

「もうそんな時期かぁ。ノリくん、うちの大学に来るのかな」
「こないだ模試の判定もよかったって言ってたし、一紀くんなら大丈夫だと思うな」
「さすがみょうじちゃん、ノリくんに詳しいね!」
「そっか、バイト仲間だったもんな。最近もイノリと会った? どう、元気そう?」

 何気ない一言で、わたしが一紀くんと特段親しいというふうな流れになってしまった。
 なにもやましいことなんてないのに、颯砂くんにも最近の一紀くんとの関係を聞かれて、無意識に言い訳をするような口調になってしまう。

「大学のこととか受験のことについて、たまに相談に乗ってたんだ。バイトを辞めてからは直接会う機会はあんまりなかったけど、年末に一度お茶をしたときは元気そうだったよ」
「そっかー、うまくいくといいよな」
「うんうん。ノリくんがまた後輩になったらすっごく嬉しいな。オレ、毎日ラーメン食べに誘っちゃうかも」

 ふたりは頷いて、もうとっぷりと夜に漬かってしまった窓の外を見た。ふたりが「あっ」と声をあげたのは同時で、それでやっとわたしも、外に雪が舞い始めていたことに気付いた。
 電車が停まったりしないうちに、とわたしたちは早めに店を出たけれど、まだ話し足りない気持ちがそうさせるのか、駅に向かうみんなの足取りはゆったりとしていた。
 鼻のしたまでマフラーに埋まった本多くんが「デザートも食べたかったなぁ」と漏らすのを聞いて、わたしははっとしてバッグのなかに手を突っ込む。

「……本多くん、颯砂くん。よかったら、これ」
「なになに、やったー! これ、お菓子?」
「うん。バレンタインが近いから、今日バイト先のひとたちに差し入れで持って行ってたの。ふたりに会えるって知らなかったから、質より量って感じの代物で申し訳ないんだけど……作りすぎちゃったし、もらってくれたら嬉しいな」

 すでにラッピングのリボンを引っ張っている本多くんが「食べてもいいー?」と嬉々として言うので、笑って頷いた。
 颯砂くんの大きな手が、わたしの手から小さな袋を攫っていく。ふと思い出したからバッグから出した、それだけだったはずなのに、わたしの心臓はにわかに鼓動を早める。

「サンキュ。サプライズっぽくて、嬉しいよ。君からもらうの、初めてだよな」
「……うん、はじめて。口に合うといいけど」

 白々しくそう答えて、マフラーに顔を埋める。
 颯砂くんを好きでいるのを続けたせいで、ずいぶんと嘘がうまくなった。高校生のころのわたしにもこのぐらいの器用さがあれば、と今更になって思う。
 二年のバレンタインの日のことを思い出せば、さっき起きたことかのように喉がからからに乾いてくる。あのとき夢中で颯砂くんのバッグに詰め込んできたチョコがどうなったのかわたしは知らない。あのあと彼にも、なにも触れられなかった。
 もしかしたらわたしからだとわかっていたかもしれないが、確証もないから変に恥をかかせたりしないように、やさしい彼は聞かなかったのかもしれない。もしくは、本人に知られないようにバッグにチョコを入れる不躾な女子に嫌気がさして、すぐに捨てたのかもしれない。
 前を歩いていた本多くんがコートを翻しながら振り返った。満面の笑みだ。

「みょうじちゃん、これすっごくおいしいよ! おまけみたいに入ってたキャラメルも、甘くて最高! 残りいっこは、妹におすそ分けするね!」
「あ、じゃあよかったらもう一つ持っていって? あと一つだけ余ってたから」
「いいの? じゃあ遠慮なく!」

 残りは家に帰ってひとりで食べようと思っていたから、予想外にだけれど貰い手が現れてくれてよかった。
 本多くんは地下鉄から帰るのだと言い、地下へ続く階段の上で手を振って別れた。階段を降りていく本多くんの顔が見えなくなっても、高々と掲げられたわたしのお菓子の袋だけが最後までゆっくりと沈んでいくので、「あの有名な映画のシーンみたいだね」と颯砂くんと笑った。
 雪が降り出したせいか、駅のホームは人でごった返していた。半ば流されるようにして電車に乗り込むと、颯砂くんとはぐれそうになる。

「きみ、大丈夫?」

 人混みから頭ひとつほど飛び抜けた颯砂くんがわたしの手首をつかんだので、彼の近くに戻ってこられた。

「吊り革空いてないから、オレに掴まってなよ」

 颯砂くんは吊り革のかわりにその上のパイプを握って、腕に掴まるようわたしに促した。
 とっさに大丈夫、と強がろうとした瞬間に電車が揺れて、半ば反射的に颯砂くんの腕を掴んでしまった。

「ぷっ……いま一瞬、強がろうとしたろ?」
「う、うん……ごめんね。ありがとう」
「ううん! 転ばなくてよかった」颯砂くんは笑いながら首を横に振った。

 昼間とはちがって、車内にはいくつかの会話が瞬くように聞こえていた。陽気なものもあれば、どことなく説教じみたのも聞こえてくる。立ちながらに微睡んでいるひとも多く、ああ今日は金曜日の夜だと合点がいった。
 わたしも例に漏れず、金曜の夜らしく心を浮つかせていた。
 こんなに颯砂くんと近付いたことはない。たまに遊びに行ったときだって、なにかの拍子にわたしの好意が漏れ出してしまうんじゃないかと思うと、ボディタッチも憚られた。
 すこし車体が揺れるだけで、颯砂くんの腕にぎゅうと重みをかけて頼るかたちになる。それでも彼はびくともしない。もしかしたら、どさくさに紛れて後ろから抱き着いてもバレないんじゃないか、なんて思う。
 永遠に続いてほしいような、今すぐに終わってほしいような、不思議な時間だった。

「きみ、降りるの次だよな」
「……うん、次」
「降りるの、きみが先でよかった。最後まで守り抜けて」

 白い歯を見せて彼が笑うので冗談だとはわかっていたのに、わたしは馬鹿正直にどきりとしてしまう。慌てて作り笑いをしながら俯いて、ごまかした。
 こういうふとした瞬間の致命的な重さが、友達とそうでないかを分けてしまうのかもしれない。

「……あのさ、みょうじ」
「うん?」
「オレ、ずっときみに聞きたいことがあったんだけど」

 いつになく彼が落ち着かないようすで声を澱ませるから、わたしも一瞬でパニックになった。
 彼がわたしにずっと聞きたかったこと――まさか「もしかしてみょうじはオレのこと好き?」とか、そういうことだろうか。でも、颯砂くんの口から突然そういうあけすけな言葉が綴られるとは思えない。ましてや、自分はなんとも思っていない相手に。だったらやっぱり、「二年前のバレンタインにオレのバッグにチョコ入れたの、きみ?」の件だろうか――どちらにしたって、わたしは終わりじゃないだろうか。
 ものの数秒でいろんなことが頭を巡って、血の気が引いていく。
 颯砂くんの濃い赤の瞳から視線を逸らせないまま、死刑宣告にも似た彼の言葉の続きを待っているあいだに、彼の表情がさっと曇った。

「……え、おい、みょうじ。大丈夫? 顔色悪いよ、気持ち悪い?」

と肩を揺すられたので、今度はわたしは「え」という番だった。
 ちょうどよく停車したのと同時に、颯砂くんに「降りよう」と肩を抱かれ、そのまま駅のホームのベンチに座らされる。

「オレ、水買ってくる! そこで待ってて!」

 呆気に取られたまま手鏡を出して顔色を見たらたしかに、ひどく気分の悪そうな女の顔がそこにあった。
 ――最悪だ。
 人気のまばらな駅のホームに、自動販売機からペットボトルが落ちる、がこんという音がこだました。
 颯砂くんが心配そうに駆けてくるのが見える。

「はい、水、飲みなよ。満員電車だったし、当てられちゃったのかな。気付けなくてゴメン」

 大きな手のひらが、たぷたぷと揺れるミネラルウォーターを差し出してくれた。
 颯砂くんは泣きそうになるくらいにやさしい。乗り物酔いでもなんでもないのにそんな彼に迷惑をかけて、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 けれど、ほんとうのことはやっぱり言えない。
 もし、さっき彼の言葉を最後まで聞いていたら、わたしは、わたしと彼は、どうなっていたのだろうか。


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