釣り合ってなくない?

 赤や緑のイルミネーションや、魔法で降らせた、溶けても水にならない加工雪。クリスマスを前に一度して、賑やかな飾りつけがあちこちに施された街中。
 けれど、オレの半径1メートルだけはそれに似合わない薄ら翳った空気となっていた。
 なにがどうなったか今のオレはというと、両手にずっしりとした重みをぶら下げながら、今までの人生でまともに足を踏み入れたこともない、レディースものの服やら靴が売っているショップで突っ立っている。

「ねえねえ『エースちゃん』、どっちがいいと思う〜?」
「あ〜、ン〜……どっちもバッチリ似合いそうっすけど〜、オレはコッチ派かな〜」
「やっぱりそう思う〜? エースちゃんってカワイ〜! さすがケイトの後輩!」

 最初から答えは決まっていたかのような口ぶりに、ぞくりと寒気がする。
 この街のイルミネーションに負けない、華やかなルックスをした女性二人は、ケイト先輩の『姉ちゃんズ』らしい。オレのとなりで、オレよりも大量のショッピングバッグを両手に引っさげたケイト先輩の瞳は、濁りに濁っていた。
 次はバッグだアクセサリーだ、と言い合いながら次の店へと向かっていく姉ちゃんズをゆらゆらと追いかけながら、ケイト先輩は諦めたような声で言った。

「はあ、ホントごめんね。たまたま会っただけなのに、エースちゃんまで荷物持ちに巻き込んじゃって」
「……ケイト先輩、ホントに悪いと思ってます?」
「思ってるってば! でももちろん、人手が増えてラッキー! とも思ってるけどね。もう手がちぎれそうだったからさ」
「ホラァ!」

 責めるようにそう言っても、ケイト先輩はへらへらと笑っていた。
 監督生との予定がなくなって、頭を冷やすためにあてもなく街を歩いたのがいけなかった。運悪く、買い物中だったケイト先輩の姉ちゃんにぶつかってしまったのだ。ケイト先輩の口からはさんざん「理不尽な姉ちゃんだ」とは聞かされていたものの、その背後に大量のショッピングバッグを持っている――もとい、持たされている――ケイト先輩を見て、一瞬でその「弟」の苦悩を理解してしまった。

「まあまあ、ちゃんと報酬は出るから安心してよ。エースちゃんも欲しいものあるなら言っときな? 特に今日は姉ちゃんたち、財布の紐ゆるゆるだし。
 ……ちなみにさ、さっき『潰れた』って言ってた今日の予定って、監督生ちゃんとのデート?」
「まあ、そんなとこっすね」
「ふうん。相変わらずドライだよね〜、エースちゃんのほうは」
「なんすか、オレのほうは、って」
「ん〜……前から思ってたんだけどさ、エースちゃんと監督生ちゃんって、釣り合ってなくない?」
「は、ハア? どういう――」

 悪口ともとれるその言葉がケイト先輩の口から零れるのが信じがたくて、思わず吃ってしまった。

「あー違う違う! そういうイミじゃなくってさあ。お互いの想いとか、してあげたりしてもらったりのバランスが、的な? 監督生ちゃんってなんとなく放っとけない子だし、いろんな人に世話焼かれてるしオレもその一人だけど、ただ一人の彼氏のエースちゃんだけが、その逆に見えるんだよね」
「……それ、兄貴にも言われた気がする」

 ケイト先輩は器用に片目をつむって「ホラね」と、なぜか得意気だ。
 そしてそのまま、ケイト先輩は言葉を続けた。

「いくら相手のこと好きでもさ、あげてばっかじゃ疲れちゃわない? 監督生ちゃんはやさしいから、人よりもたくさんのものをエースちゃんにあげられるかもしれないけど、けーくんだったらもうとっくに心折れてる」

 すこし抽象的な言葉だったけれど、ケイト先輩がなにを言わんとしているかは分かった。いや、ずっと分かっていたけれど、気付かないふりをしていたのかもしれない。あいつの隣にいることは、それほどに心地よかった。
 この場だけなら、「ちゃんとやってますって」とか「実はオレだってけっこー健気っすよ?」とか、適当な言葉でいくらでも誤魔化せるはずなのに。それなのに、言葉が出てこない。
 ケイト先輩のペリドットのような色の瞳には、オレを責める意思なんてひとつも滲んでいなかった。ただ単に、一人の人間の興味がふと発露したような自然さで、オレに尋ねた。

「エースちゃんってさあ、なんでそんなに長いあいだ、監督生ちゃんと付き合ってんの?」

 間抜けな「え」が漏れる。
 ふつう、カップルに対して、歩んできた年月の理由なんて尋ねるだろうか。「なんで」の理由なんて、「お互いが大事だから」以外にないのに。
 そこまで考えて、はっとする。きっとオレと監督生の関係は、そう見えていないのかも。

「……オレは――」
「ケイトー! 私の財布持ってる? ちょっと持ってきて〜!」

 言葉もまとまらないまま口を開いたと同時に、レジのほうから高らかに聞こえる声。ケイト先輩は苦笑して、「はいはい」とオレのそばを離れていった。入れ違いに、オレのところにも姉ちゃんズのひとりがやってくる。

「私の荷物持ってくれてるのってエースちゃんだよね? さっき買ったバッグと、この店のワンピース合うか見たいからさ、もう一回出してもらいたいの〜!」

 顔の前で手を合わせて器用に片目をつむる様子に、たしかにケイト先輩の姉ちゃんだと確信して苦笑する。うまく利用されていることは分かっていながらも、なんだか憎めない。やっぱり愛嬌って大事だよな、なんて思いながら、ショッピングバッグを漁った。

「えーとたしか、バッグは水色の袋に……」
「すごーい、ちゃんと覚えてんるんだ! ケイトなんていっつも適当だよ」
「ハハ……まあ、レディースものなんでなかなか覚えらんないっすよね。はい、ドーゾ」

 目だけ笑っていない笑顔で適当に答えるケイト先輩が目に浮かぶ。
 バッグを受け取ったケイト先輩の姉ちゃんは、姿見でいろんな角度から自分のコーディネートを確認すると、

「え〜、やっぱこのバッグと合わせるなら、ワンピースはもっとシックな色のほうがいいかな〜? エースちゃんはどう思う?」

と三日月のように弧を描く瞳に見つめられる。
 勘だけど、これは模範解答がすでに存在している質問だ。ごくりと唾液を嚥下する。さすがに実の弟でもないオレにまで理不尽には当たらないだろう。
 そう高を括って、煮え切らない態度をなるたけ隠したまま、

「オネーサンの好きな色でいいと思うけど。そのほうが着てて楽しいと思うし。でしょ?」

と言ってみると、ケイト先輩の姉ちゃんは目を丸くした。
 ――これは、もしかしてやっちゃったか。
 そう思ったのも束の間、かつかつとヒールを鳴らして歩み寄ってきた姉ちゃんに、頭をわしゃわしゃと撫で回される。

「も〜! エースちゃん、やっぱりカワイ〜! 女心、よーくわかってるじゃん!」
「のわっ、やめてくださいよ!」
「はぁ〜、エースちゃんも弟にしたい〜っ」

 ぎゅう、とペットにするようなハグまでされて、視線で必死にケイト先輩に助けを乞うものの、あいにくこちらには背を向けたまま店員と会話をしていた。
 ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。あいつのとも違う、その香り。似ているものより違っているもののほうが、鮮明に何かを思い出させることがある。

「エース?」

 そのとき、聞き慣れた声がした。首に回された腕のなかでそちらを振り向けば、目を丸くした監督生がこちらを呆然と見ていた。
 その表情がみるみる色を失って強張っていくのがわかる。
 密着した女の人、両腕に抱えたショッピングバッグ。勘違いをするのも無理はない。けど十秒でも時間をくれたなら、後ろにいるケイト先輩を引っ張り出して、説明をつけられるのに。
 そんなオレの直感的な焦りに反して、監督生は弾かれたように踵を返す。

「あ? おい監督生、待てって!」

 すみません、と浅く頭を下げてショッピングバッグをケイト先輩の姉ちゃんに押し付ける。「エースちゃん!?」と、背中に降りかかる戸惑った声に返事をするよりも、誤解を解くのが先決だと判断した。
 器用に人混みを縫って走っていく監督生。その足取りは店が立ち並ぶ街路を抜け、加工雪ではなく本物の雪がまだ残る森の入り口にまで踏み入ろうとしていた。思わず舌打ちをして、「監督生!」と恥をしのんで名前を呼べば、だんだんと監督生の革靴がスピードを失って、やがて停止する。

「はあっ……お前、こーゆーときだけ早えって……ていうか、来て大丈夫だったの。グリムは?」

 監督生の後ろ姿に追い付いたころには、オレの息は切れていた。等間隔で吐き出される白い息は靄になって立ち上る。

「……大丈夫。薬飲んでしばらくしたら平気だって」
「だーから言ったじゃん」
「……エース、それよりさっきのって――」
「さっきのって、女の人のことだよね? たぶんだけど、お前がしてる悪い想像とは違うって」
「……じゃあ、どういうことなの」

 か細い声は不安げに震えていた。監督生はまだオレに背を向けたままだ。かすかに漏れ出る日の光に、空中の雪の粒子がきらきらと照らされている以外には何もない森の中を、ただぼうっと眺めているような後ろ姿だった。

「……アレはケイト先輩の姉ちゃん。たまたま会って、予定ないって言ったら付き合わされて、そんだけ。あーもう、お前が急に逃げ出すから、焦って荷物とか押し付けてきちゃったじゃん」

 ため息を吐くと、監督生は身動ぎもせずに「……そっか。ごめんね」と言った。数か月ぶりに会ったというのに目にするのが後ろ姿だけでは、髪がすこし伸びたことしかわからない。

「……監督生?」

 こいつならすぐにこっちを振り向いて、へらりと笑うと思っていた。とにもかくにも居心地が悪くて、頬をかく。今まで監督生とは一度たりとも苦い空気になったことがなかったと、たった今気付いた。

「……何考えてんの、お前。まだ気になることあんの?」
「いや、ちがう――」
「もー、じゃあなに。めんどくせーよ、お前。思ってることあんならハッキリ言えって。監督生っていつもそうだよね」

 積もった雪もあちこちに佇む針葉樹も、オレの声を吸収してはくれなかった。それほどに荒れていて、刺々しい言葉だった。
 「今のはまずかった」と息をのんだのも束の間、ようやく監督生がこちらを振り向く。
 何かものを言おうとしたけれど、赤く潤んだ目元を見て躊躇する。自嘲気味に笑う顔がひどく痛々しくて、喉元がぎゅうと締め付けられるように痛んだ。

「勝手に勘違いしてごめん。もうエースのこと困らせないから」
「……なんで監督生が謝んの」
「……もう、別れたい」
「は?」
「別れたいの。つらいんだ……でも、エースは悪くなんかなくて、私の問題だから」

 ――「別れたい」って言われたの? オレ。
 何度か監督生の言葉を体内で反芻してやっと、その意味を理解する。監督生から別れを告げられる未来の想像をしたことがないオレは、もちろんそれに対する備えもしていなかった。
 そして、もう自分の中で完結してしまったかのような監督生の言いぶり。「私の問題」だという言葉以外になんの意見も感情もオレにはぶつけられず、ただ曖昧な笑顔が向けられるだけだった。
 沈黙のあと、オレは同じセリフを繰り返すだけだった。

「……だから、いきなり何。言いたいことあんなら、ハッキリ言えって言ってんじゃん」

 その手首を掴もうとすれば、乾いた手のひらで振り払われる。同時に、ばさりと鈍い音もして。はっとして見下ろした足元に、熟したチェリーそのもののように赤いフィリングが散っていた。
 それが、箱から飛び出して崩れたチェリーパイの残骸だと気付くのに時間はかからなかった。監督生が、全てを諦めたようにため息を吐くのにも。

「……お前、本気?」
「本気だよ。だってエース、私のこと本当に好きじゃないでしょ」

 声の出し方も忘れてしまったみたいに、喉元が閉まる。
 その部屋を開けられたのは初めてだった。存在にすら気付かれていないと思っていたのに、ずっと見ないふりをしていたらしい。
 初めから、オレが悪かったことなんて知っていた。監督生の心に大きな傷をつけるかもしれないことも分かっていた。だからこそ、靴底は縫い付けられたかのように動かない。「じゃあね」と小さく告げて去って行く監督生のことを引き留められない。名前も呼べない。
 残されたのは静寂と、真っ白な雪の上でいやというほど鮮やかに赤い、チェリーのフィリング。監督生が初めて見せた泣き顔の目元と、どっちが赤いか。そんなくだらないことを考えているうちに、喉はからからに乾いていった。
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