お前の好きなものが知りたかったの

 社員寮は便利だけれど、休みの日でも同期や先輩がうろついていて、いつだって油断ができない。
 日曜の朝、廊下でドライブに誘われた。「今からデートなんだよね」とわざと厭味ったらしく断ってやれば、同期は呆れるとも茶化すともとれる笑顔でオレの背中をたたいた。

「ははーん、どうりで。なんか足取りが軽いし気合い入ってると思ったわ。まあ楽しんでこいよ」
「……イマドキ『ははーん』って言うやつ初めて見た。ま〜行ってくる。ドライブはまたな」

 魔導車のフロントミラーで髪型の最終チェックをして、エンジンを入れる。免許を取ったのは去年だけど今のところ、監督生と会社の同期ぐらいしか乗せたことがない。
 監督生は卒業後もナイトレイブンカレッジで働くかわりに、そのままオンボロ寮に住み込む条件をとりつけたので、待ち合わせはいつも学校の最寄り駅だった。
 「今から駅まで迎えに行くー」と監督生にメッセージを入れると、その絶妙なタイミングでスマホが震えた。

「……ジャック?」

 表示された名前を見て、確かめるように呼んでしまう。半年前にデュースたちもふくめて一度飯に行ったきり、会うのは久しぶりだからだ。
 珍しいこともあるもんだと通話ボタンをタップすれば、肉声よりもずっと慳貪に聞こえる声がして。

『……よう。久しぶりだな』
「ジャック、マジ久しぶり。元気だった?」
『まあそれなりにな。前に会った時から大して変わりはねえ。そっちはどうだ』

 オレもジャックにかぶせて「それなり」の毎日だと返す。
 学生のころからべらべらとしゃべるタイプではなかったジャックが、何やら世間話らしきものを繰り出すのに静かに驚いて、オレらも大人になったな、なんて思う。

『お前に聞いていいのか分かんねえが、アイツ……監督生も元気、なのか? 前にエースと会ったときは、確かお前が……』
「あーあー、それなら、せいせいするほど平行線。今日もこれから会うんだけどさ……ってかお前ら、堂々とこの件イジるのやめない?」
『そんなつもりはねえ。少なくとも俺にはな』
「ハイハイ、何とでも言ってくださいよ……てか、ホントに世間話だけ? このあとアヤシイ宗教に勧誘されるとかじゃなくて?」
『違ぇよ! 実は、渡したいものがある。その前に、お前に必要かどうか聞きたかったんだが……どうやら必要みてえだったからな』
「は? オレに? なに」

 無意味にハンドルの上を滑らせていた手をとめる。
 ジャックはすこし口籠ったようだった。「お前ら、寒いのは大丈夫だよな」という前置きが余計に「?」を深める。「お前ら」が誰をさしているのか聞いてみると、

「んなもん、お前とナマエしかねえだろ」

と呆れたような返事があった。





 待ち合わせ場所に佇む監督生のことは、だいたい魔導車を停めてすぐに見つけられる。
 そして毎回、オレはちょっと傷付く。
 監督生はオレと別れて、少しずつ変わっていった。性格や空気感のハナシではない。たとえば髪型だとか服の色だとか、そういうひとつひとつの選択が、だ。
 赤が好きだと言ったオレに

『……よかった。実は、エースが好きかなと思って買ったんだ』

と赤いニットの裾をつまんでいた姿を思い出すのは、あまりにうぬぼれが過ぎると分かってはいるけれど、「あのとき」はたしかに愛されていたのだと、好かれていたのだと実感する。
 あのときに戻ってすべてを大事にやり直せたらどんなにいいか、と毎日思う。あの拙い愛情表現がなににも代えがたいものだと、もっと早く気付ければよかった。
 あれ以来、監督生が二度と赤を纏っていないことには気付いていた。
 それが偶然なのか、意図的なものなのかは怖くて聞けない。情けなくて女々しい男になったものだと頭を抱えそうになる。

「――とか考えても、ムダか」

 エンジンを切れば閉じ込められたみたくしんとした箱のなか、自分の声は寂しげに響いた。
 ふと窓の外の監督生に見知らぬ男が声をかけているのが見えて、弾かれたようにオレは車を降りる。
 監督生の肩に背後から手を回して、「なんの用?」と見知らぬ男に不機嫌そうに言ってみる。

「あ、エース」
「……あ〜、なるほどね。待ち合わせってホントだったんだ。彼氏?」
「元カレだけど」

 正直にそう答えれば、男は冗談ととらえたのかへらへらとおかしそうに笑った。会話が続きそうでうんざりしたので、行こ、とそのまま監督生と歩き出した。
 男が見えなくなった頃合いを見計らって、監督生はいそいそとオレの腕から這い出す。
 べつに、このままでいたかったとは言わない。バカップルみたいだし。でも手くらいは繋ぎたい。細い指を自分の指の間に絡めて、ぎゅうぎゅうと握ったり撫でたりしたくて仕方がない。
 「元カレ」になってから一年間、それすら我慢している自分を褒めてやりたいぐらいだ。

「……エース、さっきはありがとう」
「や、寒いのに待たせてゴメン。一旦どっかであったかいものでも飲もーよ」
「私なら平気だよ」
「ダメ。鼻赤いし。風邪引いたらオレのせいになるし、まだ時間あるし」

 カレッジのころとおなじように、寒さで赤くなった鼻の先。キャンディの包み紙の端を引っ張るみたいに、きゅっと指先で摘む。
 はっとしてのけぞった監督生はオレを見て、鼻先からまるい頬に向かって、じんわりと赤を広げた。

「やめて、それ禁止」
「えーなんで」
「メイクが落ちるから」

 唇をとがらせて先に歩いていってしまう監督生の背中を、ぼうっと見つめていた。
 監督生はオレと別れて、やっぱりちょっとずつ変わっていった。性格や空気感のハナシではない、と思っていたけれど、やっぱりそれも含めて、監督生は変わった。





 今日の予定のメインである映画の上映までは、まだ時間があった。休憩にと入ったカフェで、監督生は温かいドリンクを頼んでいた。「やっぱり寒かったんじゃん」と言うオレに監督生は、まだ赤い鼻をしたまま「ちょっとだけ」となぜか照れながら、フードコーナーのショーウインドウに目をやった。

「なにお前、お腹減ったの? 朝食ってねーの?」
「うん……ちょっと準備に手間取っちゃって……」
「……おしゃれするのに、ってこと? オレとデートだから――」
「ちがう! 髪型変えたばっかりだったから、ブローに手間取ったの。慣れてなかっただけ」
「あーハイハイ、だよね」

 ため息をついてショーウインドウのなかを覗き込む監督生のそばに立った。
 パンプキンのタルトに、ブッシュ・ド・ノエル、ガトーショコラ。ほかにも、名前を知らなくていまいち味の想像のつかないケーキたちが、すまし顔で鎮座していた。

「監督生はどれがいいの?」
「ええと……ブッシュ・ド・ノエルか、洋梨のズコットか……。まだ迷ってる」
「両方にしなよ。食べ切れなかったら食べてあげるしさ」
「え! あ……でも、エースも食べたいのがあるんじゃないの?」
「オレ? オレは朝食ってきたし、チェリーパイもないし、こん中ならどれでもいーよ。素直に甘えとけば?」
「残念。チェリーは季節が違うからね」

 監督生は小さく唸って、またショーウインドウとにらみ合いをはじめた。
 その丸い後頭部に向かって、聞こえるか聞こえないかのボリュームで言ってみる。

「……オレ、お前のチェリーパイがまた食べたい」

 別れてから「本当においしかった」とも「好きだ」とも伝えてきたけれど、これを言うのははじめてだった。
 監督生の言葉の続きをいまかいまかと待ってみる。はっとして振り向いた監督生は、たぶんぎこちないだろうオレの顔を数秒見つめたあと、そっと口角をゆるめた。

「……また近いうちに」

 それがよくある大人の社交辞令なのか、監督生の素直な感想なのかは分からない。
 だからこそ都合よく「後者」だと解釈することにした。

「……マジ? オレ、真に受けて楽しみにしちゃうけどいーの? 取り消すって言われても聞かないけど」
「――考えとくね。じゃあ今日は、ブッシュ・ド・ノエルと洋梨のズコットのふたつにする。エース、食べるの手伝ってね」

 監督生はいたずらをする子どものように笑って、嬉々とした声で店員にそのふたつをオーダーするあいだオレは、返事をするひまもなく突っ立っていた。
 ふとした瞬間に、捕まえたくなってしまう。なにかひとつでも間違えれば、また監督生に「さよなら」「今までありがとう」と告げられてしまいそうな心地が、いつまで経ってもなくならなかった。
 ケーキを頬張る監督生を眺めながら、これから観る映画の話題を持ち出した。もごもごと動く頬のなかを空っぽにしたあと、監督生は不思議そうに尋ねてくる。

「……私はすっごく楽しみだけど、エース、こういう映画キライって言ってなかったっけ」
「あー……言ったっけ? たしかにあんま得意じゃなかったかもね」
「一緒に観ててもよく居眠りしてたじゃん。『ミュージカルってなんなの? なんで突然歌い出すのかイミわかんない』とか言って」

 おぼろげだけど実在する記憶を引きずり出されれば、苦笑しかできなくなってしまう。

「そん時は言ったかもだけど! ……後になってなんとなく観たら、けっこーおもしろいじゃんって思ったの。ホラあの、夕焼けの草原出身だかの役者、あー……名前は忘れたけど、パフォーマンスとか超かっこよくてさ。あの俳優がバスケしたらゼッタイ強くなると思うんだよね」
「ふふ、どの人のこと言ってるか分かるよ。……エースにも、そんなことあるんだね。意外」

 微笑む監督生の持つフォークの先が、オレの頬のあたりにきらりと反射する。 

「……お前が好きなものが、どんなのか知りたかったの」

 熱に浮かされて漏らしたようなその言葉のあと、監督生は呆けたように動きをとめた。
 まぬけに半開きになった唇は艶めいていた。今の監督生が纏う、唯一の赤。にわかに愛おしさが込み上げて、それがほしくなってしまう。
 そっと親指を伸ばして、ふにふにと弾力のあるそこに触れる。いつかの夜にそうしていたみたいに。

「……エー、ス?」
「……チョコ、ついてた」
「あ、ごめん。恥ずかしい」
「取ってあげなきゃよかった?」
「う、ううん。ありがとう。言ってくれなきゃ笑いものになるところだったから」

 オレの嘘もを馬鹿正直に受け止めて、監督生はへにゃりと笑う。
 何事もなかったかみたいに再びケーキに戻っていく視線を見て、胸のあたりで靄のようなものがうごめく。
 ――たぶん、そろそろ白黒つけなきゃなんないんだろうな。
 諦めないって言ったのはオレだけど、あれから一年、オレと監督生のいびつな関係は変わらない。こうやって一緒に過ごす時間をだらだらと続けられるならオレにとっての都合はいいが、同時に耐えがたい切なさにも身を焦がされていた。
 ――監督生に触りたい。抱きしめて、もっともっと近くで好きって言いたい。
 組み敷いたらほんのりと赤く染まる肌のことをもう知っているからか、ときどきキスをして抱きすくめたい衝動に駆られてしまう。
 このやわらかくて脆い関係に限界が来るとしたら、間違いなくオレのほうからだ。

「ね、監督生」
「ん?」
「今日はお前のこと寮まで送ってっていい? 二人でちゃんと話したいことがあんだよね」

 親指の腹にまだ残る、ほかにはない唇の感触。
 かすかに残る赤い塗料が、ほんのちょっとだけでも、自分のために施されたものであればいいのにと願ながら、監督生が頷くのを聞いていた。
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