アラームの音で目覚めると、一番最初にエースの目に映るのは監督生の後ろ髪だった。ベッドに散らばるそれが自分のものよりいくらか艶やかで、かつ細いことから、彼女は自分とはちがう生き物だ、ということを実感する。
 ぼんやりとした意識のなかで、寝ている間にほどけてしまった彼女の指先を、なんとなくもう一度絡め取った。

「……エース。おはよう」

 台本に書かれているかのように絶好のタイミングで、彼女の瞼はひらいた。

「オハヨ。今日はいつもより寝起きいいじゃん」
「うん。実は、あんまりよく眠れなかったんだよね」
「お前が? どーしたの。ヤな夢でも見た?」
「見てないけど、なんかちょっと寒気がして」
「なにそれ、大丈夫なの? 風邪だったらサイアクじゃん。エースくんが抱き締めてやろっか? ほらオレ、体温高いし」

 半分本気、半分冗談の申し出に、監督生は小さく「うん」と頷いた。
 予想の斜め上の反応に、言い出しっぺであるエースはぎょっとしたものの、表情には出ないよう、強いて冷静を装う。
 窓際の棚から魔法瓶をひとつ取ってくると、監督生はぽすんとその体を再びベッドに沈ませた。向かい合った監督生と視線を通わせると、えもいわれぬくすぐったい空気が充満して、噎せそうになる。

「……あのさ、言ったはいいけど、ナマエ、女のままでされるの、ヤじゃないの?」
「……男のほうが違和感ない?」
「ハハッ、たしかに」

 頬を掻いて笑うエースが、すらりと長い両手を広げる。

「……ハイ。来なよ、こっち」

 グリムが起きる前にさ、と付け足してから、それじゃあなんだか後ろめたいことをしているみたいだ、とすぐに後悔した。
 「……うん」と掠れた声が紛れもなく女の子のものだということに、耳もとで発せられて初めて気付いたみたく、急に息が詰まってしまった。
 自分よりも狭い背中に回した腕。首に回った、自分よりも細い腕。
 エースが自分で思ったよりも頭は冷静だった。ぎゅうと腕の直径を縮めてゆくと、自然と密着する体と体。髪が頬をかすめて、甘い香りを残していく。

「ねえ、エース。こうしたまま、薬飲んでいい?」
「……げ〜。でもおもしろいから、零さないならいーよ。どんぐらいデカくなるか身体測定してやろっか」
「もう。そんなに変わらないよ。知ってるじゃん」

 きゅ、とコルク蓋が捩れる音。こくり、こくり、と喉を下していく音が続く。無言で聞いているのもばつが悪くて、エースは背中を軽く手のひらで叩きながら尋ねた。

「なあ、その薬ってマズイの?」
「……めちゃくちゃマズイよ」
 
 潤いをはらんだ声で、監督生は苦笑した。
 エースもつられて「げえ」と苦々しく舌を出す。

「……ねえ、オレにも一口ちょうだい。味もだけどさ、男のオレが舐めたらどーなんのか、ずっと気になってたんだよね――」

 途端、背後でごとんと瓶が床に落ちた音がして、しゃべるのをやめる。
 それと同時に、にわかに重みを増す、腕の中の体。からくり手を失った人形のように項垂れて、髪を宙に翻し、エースの腕のなかからずり落ちるように上体が倒れた。
 ベッドの手すりに打ち付けられる前に、エースははっとしてその頭を再び抱き留める。
 おい、と零れ出た声に、その人形は返事をしない。
 
「……おい、監督生? どーしたの!」

 急に魂を抜かれたみたいだ、なんて縁起の悪い考えが頭を過って、背筋が凍る。普通じゃない彼女の様子に、瞬く間に冷静さを失っていく。
 床に落ちた、空の小瓶。魔法薬を飲み干したはずなのに、なぜか華奢なままの肩をつよく揺すった。

「ねえ、ちょっと監督生、ナマエ。笑えない冗談やめろって。返事して。なあ、起きてよ」

 しん、と残酷なまでの沈黙だけがエースを見ている。反対に、どんどん荒くなってきた呼吸。
 その顔をもう一度、自分の頬の横まで抱き寄せる。聞こえない呼吸の音に、声にならない声が漏れて。

「監督生……? いい加減にしてよ、ナマエ……オレ、お前がいなくなったらどーすんの。無理だよそんなの。聞こえる? ナマエ。聞こえてると思うけどさ、念のためでかい声で言うから、返事しろって。っ……ナマエ、オレお前のこと、めちゃくちゃダイジなの。ねえ、わかるでしょ? 好きって言ってんの、お前のこと。な……だから返事して。起きろって、マジで。勝手に寝ないでよ、ナマエ……なあ――」

 そこからの記憶はあいまいだ。
 スニーカーが途中で脱げたことは覚えている。どのあたりだったか、右か左だったかは覚えていない。
 監督生を両腕で抱えたまま、早朝の校内をひたすらに走って、縋るように重い扉を叩いた。ノックの意味を知らない野蛮な男のように、何度も何度も、最初に思い付いた人の名前を呼びながら。
 開いたドアの奥に、相変わらず煌びやかなベルベットの赤と、艶やかな白黒の毛並みが見えた。
 ただごとでない生徒の様子に一瞬、表情を険しくしたクルーウェルは、すぐに眉間の皺を解いた。
 そして、愛する仔犬を抱えたエース・トラッポラの、てらてらと涙で濡れた頬を拳で拭い、その寝ぐせのついた赤茶色の頭をも、乱暴に撫で付けた。

「……お前のことを信頼して、間違いなかった。騙すような真似をして悪かったな。だが……心の底から感謝する、トラッポラ」

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