アラームの音で目覚めると、一番最初にエースの目に映るのは監督生の後ろ髪だった。ベッドに散らばるそれが自分のものよりいくらか艶やかで、かつ細いことから、彼女は自分とはちがう生き物だ、ということを実感する。
 ぼんやりとした意識のなかで、寝ている間にほどけてしまった彼女の指先を、なんとなくもう一度絡め取った。
 エース・トラッポラは、教師陣を除いて、ナマエ・ミョウジが女だと知る唯一の人物だ。
 くわえて「日中は魔法薬でその体躯を男に近付けていること」も「眠っている間にその効果が切れ、朝の間だけ女の姿に戻ること」も、彼だけが知っていた。
 
「……エース、あ、起きてる……おはよう」
「オハヨ。今日はいつもより寝起きいいじゃん」
「いや、まだ眠い。目が開かないよ」
「わっかる。オレもあと四時間は寝てたい。昨日ジャミル先輩とやった1on1の疲れ、全然取れてねーし」
 
 肩をごきごきと鳴らすふりをすると監督生が笑った。男になっているときの声色とは似ているが、空気がこぼれるような彼女本来の声は、なんとなくくすぐったい。
 衣擦れの音とともに監督生が寝返りを打って、絡めた指先を見やる。
 
「……あ、手、繋いだままだった」
 
 本当は、監督生が起きる寸前に自分が絡め直したそれ。なんとなく、ただなんとなくではあるけれど、一晩中繋がっていたことにしたくなった。
 
「……ウン。オレ寝相いーから」
 
 ささいな嘘をかわいげのない言葉で誤魔化した。こういうとき、甘いものを食べすぎたように胸が詰まる理由を、エースはずっと分かりかねていた。
 監督生の正体を知るまでの約一年間、「男友達」として接してきたために、監督生にたいして会話をする距離やスキンシップを遠慮したことはなかった。
 けれど女であるとわかったからと言って、たとえばすぐに肩を組むくせをやめるだとか、オンボロ寮で遊んでそのまま泊まっていくのをやめるだとか、そういう線引きをするのは後退りになってしまう気がしていやだったのだ。
 「気にしないでいいよ」、「できることならこれまで通りに接してほしい」、という監督生自身の言葉を尊重したふりをしていたが、なによりこのままの関係でいたいのは自分のほうだということまでは、自覚していたのだが。
 
「あっやばいエース、今日魔法薬学のテストじゃん!」
「はぁ? そんなこと知ってるけど」
「なるほど、エースは余裕ってことね。私は早く行ってグリムとおさらいしないと」
「昨日もやってたじゃん。ほんっと真面目だよね〜お前って」
「グリム、あんまり覚えられてなかったし」
「そう言うお前もけっこう忘れっぽいトコあるけどね」
「ひどい!」
 
 指先がほどける。すこしだけ名残惜しい。
 監督生がベッドから立ち上がって、棚から取り出した魔法薬の小瓶を飲み干した。窓から差し込む白い光にふちどられた監督生の体躯が、じょじょにシルエットを変えていく。
 それはもっとも見慣れた監督生の姿だったが、エースはこの瞬間にも一抹の名残惜しさを感じるのだった。
 
「なあ、その薬ってマズイの?」
「……めちゃくちゃマズイよ」
 
 潤いをはらんだ声で、監督生は苦笑した。
 エースもつられて「げえ」と苦々しく舌を出すと、彼女に釘付けられていた視線を振り切って、ベッドから這い出る。
 むにゃむにゃと顔をこするグリムの背中に「起きろー」と呼びかけながら顔を洗い、壁に掛けておいたブレザーのジャケットに袖を通した。
 
 
 
 
 






 一限目の前のナイトレイブンカレッジ敷地内は混んでいる。そのせいか、近道目的でメインストリートではなく植物園側の裏道を通る生徒も多い。オンボロ寮から魔法薬学室への近道も、裏道にあたる。
 ようやく眠気のとれてきた二人に、反対方向から歩んでくる明るいオレンジの髪が手を振った。
 
「あ、おっはよー! エースちゃん、監督生ちゃん!」
「ケイト先輩、ちーっす」
「おはようございます!」
「あ〜、またお泊りしてたでしょ。仲良しだね〜! 遊ぶのもいーけど、リドルくんに目付けられないようにしなよ?」
「はいはーい、オンボロ寮でもちゃんと消灯時間に寝て起床時間に起きてマース」
「ならオレはいーけどさ! じゃね、エースちゃんたちも授業頑張って〜」
 
 軽やかに去ろうとしたケイトの背中に、別の背中がぶつかる。その拍子に、彼のトレードマークでもあるキャラクターもののスマホケースが地面に落ちた。
 別の背中――ヴィル・シェーンハイト――はブロンドの髪を揺らして、反射的にこちらを振り向く。その隣には同じくポムフィオーレ副寮長のルーク・ハントの姿もあった。
 
「あら、ごめんなさい……ってケイトじゃないの。さては、よそ見してたのアンタのほうね」
「わーごめんごめんヴィルくん! 一年生ちゃんたちがかわいくって、手振ってたらつい!」
「はあ……べつに構わないけど、スマホは大丈夫なの?」
「大丈夫! このスマホケース、オレに似てタフだし!」
「……ならいいわ。ケイトは相変わらず朝から元気ね。それと、さっきから気になってたんだけどアンタ」
 
 すい、とヴィルの視線が移動してくるので、監督生は思わず身をこわばらせる。特別親しいとはいえない他寮の寮長の持つオーラと威圧感は、計り知れないのだ。
 
「ネクタイが曲がってるわ。みっともない」
「あ……すみません! 朝急いでて……!」
「これでいいわ。ちゃんとしなさいよ」
 
 指先までくまなく神経が通っているような流麗な動作で、ヴィルは監督生のネクタイを自ら直してみせた。そしてそのまま、教室へ向かう生徒たちの群れに交じっていく。
 朝から姿勢を正されるような出来事に、監督生はふうと息を吐いた。
 
「……ぶ、ッハハ! 監督生、ヴィル先輩相手にあんなビビるか? ネクタイ曲がってんの注意されただけじゃん! オレはレオナ先輩とかのほうがよっぽど怖えと思うけどな!」
「だって、なんか美しすぎて恐れ多いというか、近寄りがたいオーラがあるじゃん。あんまり話したこともないし」
「へー? やっぱ男と女で違うもんなのかなあ。やー、マジで動画撮っときゃよかった。お前、マンガみたいにギュ! って目瞑ってたし、ウケる」
「……そんなに笑わなくてもいいじゃん」
 
 口を尖らせて歩みを速める監督生の後ろを、エースは懲りずに笑い声を上げながら追い掛けた。

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