オンボロ寮のソファはひとりで座るにしては広く、ふたりで座るにはちょっと窮屈だ。その事実をよくよく知っていながら、エースと監督生はいつもそこに身を寄せ合っていた。 

「エースとナマエ、わざわざ狭いとこにいっつもふたりで座って、気色悪いんだゾ!」
 
と、グリムが顔をしかめることもしばしばだった。
 エースの体温は、まるでその皮膚の内側に焼却炉でもあるのかと思うほど、いつもじんわりと熱い。それは、衣服ごしにかすかに触れ合う部分から伝ってくる。
 今夜もいつものごとくエースと監督生は、学園長室のすみずみまでの掃除を手伝うかわりに支給してもらったテレビで、再放送のドラマを観ていた。「部屋は暗い方が没頭できんじゃん」というエースの持論にならって、ベッドサイドのランプ以外の電気を消した部屋。
 ふとエースが視線を落とすと、
 
「あ、グリム寝た」
 
といつもよりも一段階おさえたトーンで言う。
 
「ほんとだ。寝てるときだけはかわいいなあ」
「ふは、いつもツナ缶ツナ缶うるせーもんなこいつ」
 
 ソファにどっかりと乗せたエースの右足。その上で丸くなったグリムの背中を、エースはそろりと撫でる。同時にその毛玉から「ムニャ」とくぐもった声がしたのを聞いて、どちらからともなく笑い声を零した。
 エースと過ごすのは心地が良かった。この世界にとっては異物である自分でも「誰かがそばにいる」ということを感じられる高めの体温も、自分よりおしゃべりでなければ自分より寡黙でもない、ちょうどいい会話の量も。
 それはエースにとっても同じで、いつの間にか今夜のような、静かで平和な夜が二人の当たり前になっていた。
 
「ふわーあ、ねむ。ちょうど終わったし、オレらもそろそろ寝ようぜ」

 エースの欠伸と同時に画面に「To be continued.」のテロップが貼られたので、監督生は両手を宙に突き出して伸びをする。

「そうだね。着替えてくる」
「はいはーい」

 寮でシャワーを浴びてきたというエースは、グリムを彼用のベッドに寝かせるとTシャツに着替え、我が物顔でベッドの中央にその体を弾ませる。
 体重を預けるたびにギシギシと痛々しく軋むが、一文無しの監督生にとっては、すこしの修理を施すだけでダブルサイズのベッドが使えるようになったのはありがたいことだった。
 ベッドにもぐりこむと、それを待っていたかのように、エースも触っていたスマホの光をふっと消した。訪れた暗闇のなかでは、互いの声がより鮮明に鼓膜に響く気がする。それはまるで聴覚と触覚だけしか持たない生き物になったかのようだった。
 
「そういえばさ、明後日エースの誕生日だよね。なにがほしい?」
「そーだね。でもオレのほしいものなんて、お前が用意できる範囲にないよ」
「ひどい」
「じゃあオレが休みの日に履いてるスニーカーあるじゃん? あれのさ、レトロモデルちょうだい。中古で8万4千マドルだけど〜」
「もう、無理だよ。購買のお菓子買ってあげるね。200マドルまで」
「ハハ。駄菓子しか買えねーっつーの」

 元より、監督生に自由に扱える小遣いなどはあってないようなものだと知っていた。それでも、すこし彼女が背伸びをすれば手の届くような範囲のものを欲しいと言えば、自分のほしいものを諦めてでも手に入れてしまう性分をしているということも。
 監督生に背を向けるように身じろいだエースが、衣擦れの音を立てる。

「……いーよ。お前がおめでとうって言ってくれればそれで」

 てっきりその後に皮肉が続くのかと思いきや、掠れた声はそのまま夜に溶けてしまう。

「……ふうん、そっか。そんなんでいいんだ」
「じゃあ、あと部活終わりのマッサージもよろしく〜」
「わかった。楽しみにしてて」
「はいはい」

 沈黙が緞帳のように重く降りてくる。その裏で、いっそう潜めた声で交わす言葉にはなんの意味もないが、だからこそ愛おしかった。

「おやすみ、エース」
「おやすみ〜…………つってからもなかなか寝ないよな、オレら」
「ついついくだらない話しちゃうよね」
「監督生の話ってオチなくてちょっとつまんないから、いい感じに眠くなんだよね」
「……じゃあもう何も話さない」
「はは、めんどくさ〜! 冗談だって。てか、そんな端で寝ないでよ。お前ぜったい床に落ちるってば」
 
 エースはベッドの際で背を向けた彼女のTシャツの首根っこを掴んで、ぐいと引き戻す。さっきよりも距離は近付いたが、ベッドの中央には申し訳程度の線引きである、半身分ほどのスペースが鎮座していた。
 ふと、互いの指先が触れる。監督生の「相変わらずあったかいね」という言葉にはエースは何も答えず、するりと指を深く絡めた。手を繋ぐとスイッチが切り替わったかのように、会話が少なくなる。代わりに指先で対話ができるかといったら、けっしてそんなことはないのに。
 たまにエースの熱い指の腹が彼女のそれをこすったり、ぎゅうと潰すことはあっても、監督生はその行為からはなんの意思をも汲み取ることができなかった。
 ちょっとした事故でエースが「監督生は女である」という事実を知ってしまうその前から、こんなふうに一緒に眠ることがあった。高校生の男女が寝床をともにするという行為が「ただごとではない」ということは理解しつつも、友達として過ごしてきた一年を今更どんなふうに変えればいいのかがわからずに、揺蕩うようなこの距離感を保っていた。
 それはどこか、じっと息を潜めながら生きるように窮屈さもはらんでいた。
 
「……監督生はさ」
 
 珍しく、エースが掠れた声で切り出す。
 
「例えばさあ、オレが死んだら、お前どんぐらい泣く?」
「……え? なに、急に。死んじゃうの?」
「ふは、死なねーよ」
 
 笑っているのが声でわかる。「死」という言葉に反して深刻でもなんでもない空気から、今夜観たドラマがエースのなかで尾を引いているだけだろうと推理した。「コイツかっこいいよな。わりかし好きかも」と言っていたキャラクターが死んだとき、エースが小さく「えっ」と漏らしていたことをぼんやりと思い出したのだ。
 そうだなあ、と近場にあった言葉で沈黙を埋めると、「遅い」と言わんばかりに人差し指がぱちんと弾かれる。
 
「……私は、めちゃくちゃ泣くと思うよ。でも、エースがいなくなったってことを信じられてから。しばらくはそんなこと自体、信じられないし考えられないと思う。こんなに毎日、当たり前みたいに一緒にいるんだから」
「ふーん……へえ。監督生、オレがいないとなーんもできなそうだもんな」
「そんなことないよ。ていうか、大真面目に答えたのに返事軽すぎ。……エースは? 私が死んだら、ちゃんと泣いてくれる?」
「どーかなあ。でも泣き顔なんかダセーし、一生見せたくねーよ。もしそんな日が来ても、一滴も涙零さないように毎日練習しとく」
 
 どんな練習なのそれ、と笑って返せばエースも笑っていた。続きなんて考えていなかったらしい。
 エースには言わないが、もし自分が死んだら、この体をきつく抱き締めていてほしいと思う。せめて、十五分ぐらいは。
 エースの体温は、まるでその皮膚の内側に焼却炉でもあるのかと思うぐらい、いつもじんわりと熱い。今も指先から伝導するその熱が、ひどく心を落ち着けてくれている。
 だからきっと、彼の赤い瞳から大粒の涙を零してもらえるよりは、そっちのほうが自分にとっては幸せな最期だろうと思うのだった。
 まぶたが重くなるのに任せてそのまま伏せると、絡めた先の指もふっと緩むのがわかる。
 
「おやすみ、エース」
「……ウン。おやすみ、ナマエ」
 
 溶けかけのチョコレートのようにやわく、そして甘やかなその声を聴きながら、意識を手放した。

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