>>きらりぐさり
そういう状況ではないと分かっている。わかっているんだけどものすごく神田君にインタビューしたいと思った。
頬を張られた感想はいかが?と。
「しんっじらんない・・・」
ビンタとはそれほど体力を消耗するものなのだろうか。一発だけなのに、若干息を切らし気味のリナリーちゃんを私は見つめる。リナリーちゃんは神田君にその言葉だけを吐きかけるように言い、私のほうを向いた。
「大丈夫?」
衝撃は強かったけれど、大丈夫なので私はうなずいた。それよりも実はビンタをされて頬を赤くしている神田君が気になる。私がちらりと神田君へ視線をやると、リナリーちゃんに強制的に遮られた。
「神田のことは、一切気にしなくていいから。」
今日は一旦帰ってもいいけどどうする?と言われ、私は空気的にいづらくて、帰ることを選択した。ラビ君には脚本の削りはまた明日と言って、私は帰る。小会議室に置いていた自分の荷物をすべてまとめて私は帰った。小会議室を出る間際に、神田君と目が合う。私の頬にキスした当初はすっきりした表情をしていたけれど、今はとても後悔している表情をしていた。私はすぐに目をそらして、帰途についた。
帰り道では今日起こった出来事を再生せずにはいられなかった。ただ右頬に感じただけのラビ君からのキスと、優美な顔に怒りを見せていたのとは裏腹に、優しく乗っけられた神田君からのキス。破壊力が強かったのはもちろん神田君だ。だってラビ君のほうは見えていなかったし突然だったし、それに私に恋愛を自覚させるための延長だとわかっているし。でも神田君のは、あれはいったい何だったのだろう。何を意味するのだろう。もちろん神田君には何かしらの恋愛に関係する感情があるのだろうと予測はできる。普通に考えたらそうだ。しかし、それじゃあ私は何をすればいいのだろう。神田君が本当に私に恋愛感情を持っているとして、それを明日かいつか明かされたとして、いったい何をするのがベストなのだろう。私は神田君に対して憧れがある。神田君の声や容姿、演劇に情熱を注ぐ姿、真摯に人と向き合おうとする姿、公平なところ、全てすごいと思う。でも憧れ止まりのこの思いを恋愛へと昇華させるのに神田君からの言葉だけでは不十分だ。
結局、全てをスルーしてしまうのが楽で、私はそうすることにした。一時的な逃亡だ。人生逃げてばかりもだめだけど、たまには逃げてもいいはず。
こういうときに限って、私の周りの人は逃がしてはくれないのだけれど。
「か、神田君って大胆なのね・・・」
「大胆っていうより、ほんと考えなしなんですよ。」
ミランダ先生は女子会のために一生懸命働いた。いつもの倍くらい頑張っていた。恋に関連するとミランダ先生はとても活発になる。そうしてお昼休みの図書室はほとんど女子会へと化して、私たち三人は司書室で三人輪になって話をする。私としてはもう何も考えず逃げ出してしまうつもりだったけれど、私を逃がしてくれる人はいない。ラビ君の、あのもう逃げらんないぞ的な笑みは、きっとこういうことも含まれていたのだろう。
「それで、古市さんはどうするの?」
「えーっと、完全スルーしようかと。」
ミランダ先生にどうするのか聞かれて、私がしようとしていたことを彼女に伝える。ミランダ先生が何か言う前にリナリーちゃんが私の顔を覗き込んだ。きっと私はとても曖昧な顔をしていたはずだ。
「スルー?」
真っ直ぐ見つめられて、私は言葉が出ない。
「それじゃあ二人とも気まずいままじゃない?」
リナリーちゃんの言葉に確かに最初はそうだろうなと思った。昨日、去り際に見た神田くんはとても後悔してるみたいだった。
「私が気にしてないって言うのを態度で表したら、気にしなくなるかなって。」
私の答えはリナリーちゃんにとっては納得し難いもののようだった。それでもやっぱりこれは私と神田くんの問題で、リナリーちゃんは強く言ったりはしなかった。
「そうね、怜唯がそうしたいならそれでいいと思う。演劇部に支障が出るようなら、もう一度考え直してね。」
リナリーちゃんは部長として本当にいい役目を果たしていると思う。
*
演劇部の大会議室では演劇を完成させるために果てしない練習が重ねられている。雰囲気は私が感じ取る限りではいつもと変わりない。神田くんもいたって普通に練習している。
台本の削りはラビくんと本格的に話し始めてからすぐに終わってしまった。ストーリーにあまり影響のないワンシーンをカットすることにしたからだ。そして私たちは大会議室での稽古に参加している。
「なんかさ、普通さね。」
お昼休みの話をラビ君は知らないから、神田君と私の普通さを不思議がった。
稽古の邪魔をしちゃいけないから、私は小声でラビ君にお昼の女子会の話をした。
「え、なんでスルー?」
ラビ君も声を落とした。ラビ君の質問に、私は理由を話そうか迷った。リナリーちゃんやミランダ先生に聞かれなかったから話していなかったことだった。
「だって、明らかじゃね?ユウは怜唯ちゃん好きだと思うけど。」
「あー、うん、私も多少はそうなのかなあって思ってる。」
「じゃあなんで?」
「どうしたらいいか、わからないって言うか。」
私は言葉を濁して理由を伝える。ラビ君は前みたいに言葉の意味をするするとひも解いて、簡潔な言葉を導きだした。
「怜唯ちゃん、ユウのこと好きじゃないん?」
「えっ、いや好きじゃないわけじゃないけど、」
「ふーん、恋愛感情はないってことさね。」
ラビ君、ほんといろいろと察してくれるし鋭い。私は肯定のかわりに苦笑を返す。
そのとき、稽古が区切りのいいところまで行って、部員の人たちが意見を言いだした。私もいくつかいいたいことがあったのでラビ君との話を切り上げてそれに参加した。
「じゃあ、休憩の後はそこを重点的にするわね。それじゃあ十分休憩。」
リナリーちゃんがそうまとめ上げて休憩になった。
「その話、詳しく聞いていいさ?」
ラビ君と恋愛がらみの話を切り上げられたと思っていたけど、なかなかそうはいかないらしい。私は何もすることがないし断る理由がなくて、しぶしぶ頷く。
と。
「ちょっといいか。」
私とラビ君が人が少ないところで話そうと小会議室に行こうとしたときだった。神田君に声をかけられて、私は少し飛び上がった。先ほどまで普通だったから神田君はなかったことにしようとしていると思ったのに。不意打ちだ。
私はちらりとラビ君に視線をやった。どうしたらいいかわからなかった。でもラビ君は高みの見物を決め込んだ笑みを浮かべていて、私は神田君に頷くしかなかった。
私と神田君は小会議室へと入った。二人きりだ。
きちんとドアを閉めてドアの近くに誰もいないことを確認してから神田君が話し始めた。
「昨日は悪かった。」
開口一番の謝罪。とても潔かった。
「別に、大丈夫だよ。気にしないで。」
演劇部じゃないし演技が上手いとも思えないけれど、私は皮膚の下ギリギリまで自分の動揺を抑え込んで答えた。にこりと笑いさえした。
神田君は少し視線を下げる。伏し目がちになった目のおかげで、まつげの長さと綺麗さがとても際立った。神田君の伏し目は憂いを演出していて、私が神田君のことを光源氏だと表したことを思い出す。憂いを含む表情は、情けを誘う。
「・・・俺は気にする。」
神田君の伏し目をじっと見つめていたら、神田君が視線をあげて、がっちりと視線があった。
どきりとしたのは、美男子と目があったからだけじゃない。神田君の瞳はまるで刀の切り先のように光っていて、心臓をそのまま突き刺されそうなほどだったからだ。
「地区大会が終わったら、伝える。」
決心した表情を見せる神田君に私はただただ圧倒された。心臓がとても早く動いて苦しかった。
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