きっと最後は手を伸ばす | ナノ
きっと最後は手を伸ばす
子供は、レウをAKUMAと勘違いしたようだった。AKUMAではないとわかるとレウが獣だということに恐怖心を覚えないのか、ピタリと叫ぶのをやめた。

とりあえず、生存者である。

こういうときの対処は、あのベレーからきちんと指導されているので、彼女はいやいやながらも子供を雄のもとへ連れて行くことにした。

先に歩き出し、子供の注意を引きつけて振り返る。着いてこいと示すように目を合わせて、また少し進む。子供は列から通路へと出て、ついてきた。


「っ!……お、かあ、さ……」


通路から出るとすぐに死屍累々たる有様に体を震わせていたようだが、彼はその中に母親の姿を見つけたらしい。絶句し、それから耳を劈くほどの大声で号泣し始めた。

彼女は、目から涙をこぼす行為がどういうことを表すのか知らなかった。しかし子供の泣き声はいつかの自分を思い起こさせた。



まだ、AKUMAの存在すら知らなかった、幼い頃のことだ。
そのときのレウはイノセンスが身のうちに宿っていることももちろん自覚していない。しかし発動をしていなくても彼女は野をかけ、獲物に牙を立てるライオンだった。

近くには両親がいた。どちらも群れの中では強い位置を占めていた。母親はいつも美味しい肉を持ち帰ってきてくれ、父親はいつも後ろ姿を見るだけで、守ってもらえているという安心感を得ることができた。

レウには兄弟が何頭かいたが、雄の兄弟は二年ほどで群れを離れた。それからどうなっているかはわかっていない。雌の姉妹(きょうだい)は今はレウしか生き残っていない。

それでも、群れには他にもレウと同じ位のライオンがいたし、血が繋がっていようがいまいが、この世界では、こういうものだ。
ただ、そう思えていたのは、自分のいる群れが"たまたま"このフィールド内において頂点に君臨している余裕があったからだったのだろう。

ある日。
父親がいつもとは違う様子で吠えているのが聞こえてきた。そのとき仲間とじゃれていたレウは一瞬、ほうけた。緊急事態だということがわからなかったのだ。他の成獣たちは一斉に警戒を強める中、彼女は出遅れた。成獣たちは父親のもとへとかけていった。レウはそこでようやく、ことの重大性に気づき後を追いかけた。

父親を先頭に、後ろに成獣たちが整列していた。みな一様に唸り声をあげ、目の前にいるものを警戒している。

レウはそこで始めて人間をみた。

人間たちは、飛びかかる仲間を捕獲したり、黒い物体で殺していった。レウは恐ろしくて、草むらに隠れるよりほかなかった。
その光景をじっと、目に焼き付けているしかなかった。そこで人間は、仲間のうち、比較的後方に並んでいたものは殺し、前方にいたものを捕獲していることに気づいた。
なんてことを。レウはただ震えるだけで何もできない自分よりも、人間に対して憎しみを持つようになってきた。人間は明らかにこのフィールドにおいて、イレギュラーな存在であり、この場所にいてはいけない存在だということが考えずともわかってしまったからだった。

捕獲されてしまった仲間に両親はもちろん入っていた。彼らは、レウに気づくと無言の殺気で遠くへと追い払おうとした。彼女は、逃げなかった。草むらでじっとしていた。人間に、復讐する機会を伺っていた。

そのときだ。

捕獲し終え、人間たちが立ち去ろうとした矢先に、一人が体を変化させた。そのときは知る良しもなかったがそれはAKUMAのレベル1だった。レベル1は、ほかの人間を一瞬で塵に変えてしまった。袋の中に入った両親、仲間たちが機会を見逃さず這い出て散り散りに分かれていく。彼女は内心で喜んでいた。早く彼らに額を擦り付けて欲しいと思っていた。
しかし、無残にも彼らは泡のように消え去った。人間と同じように消された。
レウは、嘆き、悲しむように天高く吠えた。悲しみは空へといったん置いて、代わりにみなぎり出した憤怒で、AKUMAに向かって走り出した。

知らぬ間に、爪は岩よりも硬く、牙はあらゆるものを噛み砕く力強さを備えていた。それは、レウが初めて行ったイノセンスの発動である。

気づいたときには、彼女は広い広野にたった一頭になっていた。

彼女は、また天に向かって悲しむように吠えた。



脳内を駆け巡っていた映像と目の前の映像とを同時に見た状態が終わり、目の前だけのものに視界は切り替わった。
子供は、泣き声は止んだものの、涙は止まっていなかった。
レウは、ついてくるように先ほど子供に行った動作を繰り返した。子供と自分がいくら同じような境遇であり同情に値するようなことが起こったとしても、人間に対して、慰めるという行為をする気にはなれない。
子供は、泣きながらついてきた。

個室に着くと、雄は先に戻っていた。


「前方の機関室は異常ない。後部のほうの異常には気づいていないようだ」


そっちはどうだ。とまでは聞かれなかったが(聞かれても答えられるわけもない)、レウは子供を雄の前へと差し出した。子供は、雄を見ると眼光の鋭さに怯えたようだった。列車内を歩いている間に収まりかけていた涙がせり上がって行く。また泣くのだろうかと思われたが、意外にも子供は泣かなかった。涙を一筋こぼしただけだった。

レウは発動をとき、人間の姿に戻った。雄が目を見開いた後、赤らむ顔を背けてしかめ面をし、子供がぽかんと驚いているのを余所に彼女は前回よりも慣れた手つきでジッパーを上げた。


「……」


レウは座席に座った。


「おねえ、さん・・・!?」


先ほどからこの子供は、片言しか喋らない。このくらいの人間の子供というのはまだ言語能力の発達の初期なのだろうか。レウは教団に入ってまだ数日しかたっていないため、教団内にいる子供のエクソシストにはあったことはないので、実はこの子供が始めて接する人間の子供だった。

雄のほうも子供に説明する気はないようだ。戸惑い立ち尽くす子供を余所に資料や車窓の外の風景を眺めている。きっと、雄と子供がライオン世界で言う"群れ"が違うせいであろう。
レウからすれば、どうでもいいことだった。人間は人間、ライオンはライオン。だから自分には関係ない。


子供は立っているのが疲れてきたのか、ちらちらと座席に視線を移し始めた。
どうやらレウがライオンから人間の姿になったことは、そういう自分の知らないような世界があるのだと妙に大人な思考をしたのか、それともどちらも近寄りがたい雰囲気で質問するのが躊躇われたのか。一旦隅に追いやったようだ。

車窓の外を眺めていた雄が子供に視線を戻す。子供はびくりと体をこわばらせた。眦がつりあがって、鋭いのがやはり恐ろしいらしい。
それが決め手となって、子供はレウの側の座席へと座ったのであった。

レウはぴくりと指を反射させる程度で驚いた。まさか、"化け物"のほうへと近づくとは。
軽く目を見開きつつ子供に一度視線を合わせるとばっちりあった。子供は下から上目遣いにこちらを見つめている。この視線に覚えた既視感が、記憶の断片を引きずり出してきた。



それは、いつだったか母の瞳の中に自分の瞳を見つけたときの記憶だ。
自分は母のように常に気高く、鋭い眼光を宿していると信じていたので、そんな自分の瞳を見つけたときは大層戸惑った記憶がある。
そのときの自分は、とても甘えたな瞳をしていた。少し潤んだようなつやを放ち、いつもよりも下向き加減で母親を見上げていた。
その瞳を見つけるのは、決まって母親が狩から戻り、額と額を気持ちよくこすり付けあうときであった。母とのそれは心地よく安心できたので、待ちわびるような気持ちで待っていたせいであろう。



ごつ、と少し衝撃が走り、子供もレウも少し痛そうに眉をしかめた。

気づけば、子供と額を合わせていた。至近距離で目と目を合わせあう。子供の目に恐怖はない。レウは不思議と嫌悪感を感じず、それどころか久方ぶりの額のぬくもりに心地よさを感じていた。


嫌いなはずなのに


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