きっと最後は手を伸ばす | ナノ
きっと最後は手を伸ばす
「おまっ、服を着やがれ!」


振り返った瞬間に、雄が慌てたような顔をして顔をそらした。服を着やがれ、というのはどういうことかとレウは思った。服であれば、今まさに着ているではないかと。


「早く前を閉めろっつってんだよ!」


雄が最後に舌打ちをする。レウは自分を見下ろし、ああそうか、この前を見えないようにしなくてはいけなかったということを思い出し、手をかける。
ジッパーをあわせるために一番最初にとめなければならない金属部分がなかなかかけられず手間取る。だんだんと時間が経過するにつれて苛立ちを増す雄の雰囲気にレウもいらいらとしだして、合わせられるものも合わせにくくなる。
ようやく合わせることができ、上まで引き上げる。金属部分のジッパーが触れる肌が染みるように冷たい。

ようやくジッパーを閉めると、レウは雄に何も言わずに、前を通って自分の部屋のほうへと行くことにした。先ほどまでの興奮のおかげでもう眠気がどこかへ行ってしまった。もう部屋を出る必要がなくなってしまったのだ。


彼女が雄の前を歩き出すと、雄はその後をついてきた。もちろん、行き着く場所が一緒であるので当然のことであった。それはいいけれど、後ろからの視線を感じるのはよくない。背中からはいずる何かに身をよじりたくなってしまうほど気持ち悪かったからだ。

彼女は歩調を早めた。はいずるものを振り払いたかった。

部屋へ入るとすぐにはいずるものは消え去った。そのことにほっと息をついて彼女は座席に座る。
直後、雄が部屋へと入ってきた。彼女はちらりと一瞥して視線を窓の外へと移す。二人の間にはもちろん沈黙しか訪れはしないため、彼女は車内と車外の両方だけに意識をあてた。

車内は不思議なほど静かで、窓の外はずっと風景が左から右へと過ぎていっている。

それはしばらくの間続いた。通路のほうからは微塵も人の気配や物音がせず、それはなんだか長閑さを演出していた。車窓から差し込む午後の日差しも柔らかく、日向ぼっこをすれば気持ちよさそうなほどだった。

しかし彼女は少し疑問に思った。AKUMAは、車内にいる人間全員を殺してしまったのだろうかと。
レウはこの動く箱を人間たちが動かしていることは理解している。だからAKUMAのせいで人間が殺されれば、箱は止まるか、何か不具合を起こすにちがいないことも自ずと理解していた。
何かがある。彼女はそう直感していた。人間の第六感よりも優れた野性の勘がそう告げている。

彼女は立ち上がると服のジッパーを開けた。


「おい、なにして、」


レウが裸体をさらしたために驚く雄を余所に彼女はイノセンスを発動させる。雄はそこで、彼女が何かに警戒をしていることに気がついたようだ。驚きで広がった表情を引き締める。

彼女はドアを開けて廊下に鼻先だけを出した。匂いを嗅ぐのだ。先ほどは死臭が濃く、倒したAKUMAよりも遠い位置にいるAKUMAの匂いを感じることができなかったのかもしれない。
すん、すん、と鼻から空気を吸う。口から息を吐き出す。


「どうなんだ。AKUMAはいるのか」


後ろから答えろといわんばかりに傲慢な雄が声をかけてきた。レウは一度目だけで雄を見ると"うるさい気が散る"という意味を込めて睨みつける。雄は不服そうに口をつぐんだ。
すん、すん。先ほどの残り香だろうか、死臭の匂いがまだ漂っていた。先ほど嗅いだよりも古い匂いだった。やはり、ほかは殺されたと見るのがいいのかもしれない。
もっと匂いがしないかを探ったが、におわない。きっと、もう少し近づかなければにおってこないのだろう。

彼女は慎重に通路に出た。一般車両のほうへと彼女は向かう。
雄がついてこようとしたので彼女はしっし、と雄を鼻で追いやる。お前は違うところをみて来い。と。

そうして別行動を取ることにした彼女と雄は、気配を消してそれぞれ歩き出した。

一番最初にAKUMAと遭遇した場所まで、やはり無人だった。かすかに残る死臭はそこに近づくほどに古かったので、AKUMAの進行方向は後ろの車両から前の車両の方だったのだと推測できる。前に行く途中でAKUMAとレウは遭遇したのだ。
そこからさらに奥へと向かうと古い死臭に混じり血の臭いがしだした。その中には煙くさい臭いや人間のつける香料の臭い、髪を洗うときのものの臭いなども嗅ぎとれる。その種類が多岐にわたるため、奥には大勢の人間がいることが察せられる。血の臭いの濃さが人間の臭い以上に強いため、死んでしまった可能性が高いが。

彼女はスライド式のドアを前足でガリガリと引っ掻いてドアを開けた。

視界いっぱいに埋め尽くしたのはやはり屍と床を埋め尽くす真っ赤な真珠を思わせる血のボールだった。

触ってみると、柔らかいものから硬いものまで様々あった。どうやらこの球は最初は水分を含んでいて柔らかかったらしいが時間が経って水分がなくなったせいで硬くなっているらしい。柔らかいものに爪を立てると幾つかは外側の薄い膜のようなものが破れ血がどろりとこぼれ出した。血の臭いが溢れかえり鼻にこびりつく。

これがあのAKUMAの能力だったか。
まだAKUMAの能力が続いているならば球の質は変化はなく均質に保たれているだろうしレウが爪を立てた位では破れなかったはずだ。

そして、このことから他のAKUMAがいないことも容易に判断できる。AKUMAはそこまで頭が良くない。ゆえに、他のAKUMAの残したものなどに注意が行くはずはなく、ここをAKUMAが通れば血の球は床を埋め尽くすほど残ってはいないだろう。
この奥のほうにも、もう部屋は残っていないのだし。

どうやら、自分の野生の勘は思い過ごしだったらしい。

くるりと踵を返す。発動は解かず、一応警戒を続けたまま戻ることにした。

勝手に閉じてしまうスライド式のドアをまたガリガリと引っ掻いて開ける。

どん

そのとき、ドアを開けているのとは別の音が聞こえた。
弾かれたように振り返る。
先ほどと同じ光景が広がっているように見える。しかし、中央の左側の列から粘着質な血が通路に向けて流れている。何らかの衝撃が加わったのだろう。

レウは血の玉を掻き分けるようにすり足で近づいた。
新手のAKUMAか。はたまた・・・

神経を張り巡らせながら、席を覗き込む。


「う、うわぁぁぁぁぁ!!!」


甲高い響きが耳に突き刺さる。
そこにいるのはAKUMAの臭いすらしない、ただの子供だった。


かさなる面影


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -