きっと最後は手を伸ばす | ナノ
きっと最後は手を伸ばす
彼女が予想していなかったこと。それは"鼻を床にぶつけた"ことだった。これを正確に言えば、足に"何か"が引っかかって転んだ、と言うことになる。しかし転んだという表現に、自分が馬鹿にされているように感じる彼女はあくまで鼻を床にぶつけたと言いたいのだ。
まだ人間の姿に不慣れな彼女はほんの少し足元に何かが引っかかっただけで転んでしまうのである。
次に彼女が予想していなかったのは、嗅ぎ慣れた臭いを嗅ぎつけたことだった。それはAKUMAの打った弾丸に被弾した人間の死臭である。危険信号を伴いつつも、彼女が求めてやまない、そんな臭いだ。
おそらく、彼女が先ほど"鼻をぶつけた"原因は誰かの死体だったのだろう。AKUMAのウイルスが完全に侵食する前の、まだ崩れ去っていない状態の。
彼女の団服はワンピースのようになっていて前のジッパーだけであわせてあるだけなので、彼女はジッパーを乱雑に開けるとすぐさまイノセンスを発動させた。

雄の方も、彼女と同じタイミングでイノセンスを発動させていた。

レウは死臭に混じる別の臭いを嗅ぎとろうと鼻先をひくつかせた。
死臭の臭いは吸うごとに彼女を凶暴化させていく。麻薬を吸ってしまったかのように思考を侵食しAKUMAのことのみを考えるように誘導する。逆に言えば、彼女はAKUMAを倒すことに関してはどんどん鋭い思考と感覚を持つようになっているのだ。
そして彼女は見つけた。濃い死臭の中にほんの僅かに混じる、AKUMAのそれを。


「――――」


彼女は咆哮を上げた。AKUMAに自身の存在を知らしめ、正々堂々とかみちぎってやるためだ。

そして彼女は床を蹴った。走り続ける列車に少しばかり劣る速さで、壁にぶつかるのも構わずに。
嗅ぎ取ったAKUMAの臭いから、そんなに多く数がいるとは予想されない。というより、一匹だけだ。相当強いAKUMAなのだろう。
しかし彼女に迷いはなかった。今まで何体ものAKUMAを倒し、身につけた戦い方と野生の勘を最大限に発揮させ、死臭のせいで視界不良の中に飛びかかった。


「ガぁっ……っ!」


彼女はAKUMAの首を確実に捉えていた。彼女の咆哮を聞いてもなお余裕たっぷりに歩いていたAKUMAの側面から襲いかかり、固い首筋に自慢の牙を突き立てたのだ。AKUMAの呻き声がレウの耳にきちんと届いた。
硬度からして、どうやらこのAKUMAはレベル3らしい。なかなか噛みちぎることの難しい状況で、彼女は本能のまま食らいついている。


「……は、なしやがれこのバケモノがアアアア!!」


噛み付かれている状況を打破しようとAKUMAが叫び、レウのわき腹の当りをつかんだ。レウは鋭い爪で自分をつかむAKUMAの腕を引き裂こうとするも、首筋に噛み付いたままではうまく力が入るわけがない。彼女はこのままだとやられるだろうと冷静に判断してすばやくAKUMAと距離をとった。


「……」


AKUMAがやったのだろうか、割れた窓から空気が入り込んで、死臭を押し流していた。おかげで視界良好となったため彼女は改めてAKUMAを観察した。
やはりAKUMAはレベル3だった。頑丈そうな肌をしている。
何の目的でここまでやられにきたんだか、と彼女は心の中で相手を馬鹿にする。たった一体だけで、何をしに来たというのか。しかし馬鹿にしつつも相手を過小評価はしない。そうすれば自分が殺されるというのは分かりきっている真理だ。


「まさか、こんなところで会うとはなァ」


AKUMAは首を右、左と曲げながら優雅に言った。


「しかも、こんな獣がエクソシスト」


"こんな"だと?と彼女は怒りをにじませる。獣が人間に劣ると勝手に思っていることがありありと分かる台詞である。
自分を"こんな"呼ばわりするAKUMAには思い知らせてやらなければならない。彼女は自身の牙に集中した。


「なんだ?」


彼女の牙が光を帯び始めていることに気がついたのかAKUMAが首をかしげた。まだ余裕があるようで、彼女が牙に集中している隙をつこうとは考えていないらしい。彼女は自分を完全になめきっているAKUMAに馬鹿の称号を与えつつ、さらに牙へと神経を注ぐ。そして彼女の牙が一瞬眩い光を放った瞬間にAKUMA余裕はすべて"溶かされた"


「……お、俺の腕が……」


そう、AKUMAの片腕とともに。どろどろに溶けた片腕は液体となって床にぼとぼとと落ちていた。まだ残っている体のほうはなくなった片腕の根元から液体を零している。さすがレベル3といったところだった。まだ片腕にまでしか彼女の毒が回っていなかったとは。
認識すらできなかった出来事にAKUMAは未だ信じられていないようだった。痛みすらもまだ感じていないはずだ。
レウはゆったりと歩きAKUMAとの距離を縮めた。


「く、くるなっ……くそっ、なんで動けねえ……」


かろうじて言葉は口に出せるようだが、やはりほかの部分はあまり動かせないようだ。
レウはあまり口端を吊り上げることができない獣の口でわずかに口端を吊り上げて見せた。先ほどAKUMAが余裕そうにしていたときに行っていたことをまねしたのである。

どうだ、お前が勝手に人に劣ると決め付けた獣が、お前に恐怖を与えているのを身をもって知るのは。


「うがァッ……」


彼女は牙をAKUMAの首に突き立てる。深く深く抉るように。
じわじわと毒が牙から染み出して、AKUMAを蝕んで行った。彼女の毒はスイッチを入れるかのように彼女が牙に力を込めない限り猛威を振るわないので、そこもAKUMAにとっては恐怖のはずだ。レウの気分次第で己がいつ破壊されてしまうのかわからないのだから。


「……くそガッ……!!」


体が麻痺している中、絞り出されるAKUMAの声が彼女には敗者のものであるとしか思えなくなっていた。
これ以上聞いていても聞き苦しいだけである。そしてそろそろ毒が全身に回った頃だろうと予想して、彼女は牙に神経を張った。
牙が光を帯びる。AKUMAは痺れた表情をわずかばかりこわばらせる。

もう一度レウが口端を引き上げたのが合図だった。
一瞬にしてAKUMAは液体となって終わった。床一面にAKUMAと同色の液体が広がっていた。久しぶりに毒で嬲り殺したので心地よいものが体に吹き抜けて行くのがわかった。やはり、壊れる直前のAKUMAの表情を見るのが最高にいい。レベル2や3でしか味わえないこの快感は誰かわかるのだろうか。

レウは満足気に鼻を鳴らすと、イノセンスの発動を解いた。

ようやく神経がAKUMA以外のほうにも行き渡るようになって、あたりを見回すと、後方のほうには、静かにこちらを見る雄の姿があった。


魅惑の破壊


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -