始祖鳥の血1


 ムーはこの日も、部屋のありとあらゆるものを消毒していた。
 食器を煮沸消毒し、薬剤を噴霧機に入れてソファーやテーブルなどの家具にふきつける。消毒薬をしみこませた布で念入りに棚を拭く。毎日こういったことを繰り返しているのだ。
 手をやすめ、ふと顔をあげた。
 最低限の調度品しかない殺風景な部屋である。天井も壁も床も、ほとんど全てが白い。
 ムーはもう長いこと、この部屋「九〇二号室」で生活していた。他には特にするべきこともないので、部屋の消毒が日課となっている。
 棚の上には半円形の鏡があった。そこに映っているのは、髪の黒い、生気のない顔をした一人の青年だった。
 体にぴったりと合ったボディ・スーツはシルバーホワイト。その上にアイビーグリーンのパーカーを着ている。ボディ・スーツは首から足のつまさきまでほぼ全身を包み、薄い割に保温性に優れているので重ねて服を着る必要はない。
 それでも、ここはあまりに白すぎて――清潔感があるのはいいことだが――時々息が詰まる。だから、色のある服を着用したくなるのだ。
 ムーはエチル・アルコールの入った容器を手にとった。
 もっと、消毒しなくては。
 目に見えぬ菌が部屋のどこかしらに潜んでいる。
 いくら消毒しても足りないように思われた。焦燥に駆られる。
 もっと、もっと消毒を。
 新しい清潔な布をさがしていると、ドア・チャイムが鳴った。誰かが来たらしい。
 訪問者には心当たりがあった。今日あたりにドールが届けられる予定だったのだ。
 ここの住人は皆、ドールと呼ばれるアンドロイドを二体まで所有することが許可されている。
 愛玩用だったり種々雑多の用事をやらせたりと、使い方は人それぞれだ。ムーも以前ドールを一体持っていたのだが、役に立たなかったうえにすぐに故障してしまった。
 手が足りないなどと困ることがあるわけではないのだが、一人でいるとどうも気が滅入ってしまい、話し相手がほしくなって注文した。
 プログラムに従った受け答えしかできないでくのぼうでも、いないよりはいいだろう。前のドールはのろまで最悪だった。あの会社の商品は二度と注文するかと心に誓ったほどだ。
 今度はもっと良いものであることを祈りながら、ムーは白いドアを開けた。
 そこにはドールが立っていて、ムーに頭を下げた。髪は白銀で短く、肌もボディ・スーツも白かった。
 目は奇妙なことに、左右で色が異なっていた。右は澄んだアクアマリーンだが、左は濁っていて鉛のような金属の色をしている。
 これはこういった趣向で、わざと色を変えているのだろうか。それにしては変だ。欠陥品かもしれない。
 彼――彼女だろうか。
 いや、そういった区別はドールには無意味だ。ドールは主が好きなようにカスタマイズできるようになっている。フェイス・パーツやボディ・パーツを取りかえ、服を着せ、自分好みのドールに仕上げる。
 だからドールは最もシンプルな状態で届けられるのだ。このドールも目のことを除けば印象の薄い、ノーマル・タイプだった。
「お名前を」
 高くもなく低くもなく、個性のない声でドールが言った。
「ムー」
「登録しました。ムー、あなたが私の主です」
 ドールは微笑みを浮かべた。ドールが初めに笑みを浮かべるように設定されていることは珍しくない。初対面の印象をよくする為だ。
 それにしても。
 ムーは違和感を覚えた。
「私はブラック・エレファント・カンパニー製のサンディ121350号です。サンディとお呼び下さい」
「そうか、サンディ。部屋に入れ」
 サンディはなめらかな動きで部屋の中へ足を進めた。人間のような動きをするものだ。その精巧さに、ムーは感心した。肢体はしなやかで、作り物とは思えない。
 サンディが部屋の真ん中辺りで立ち止まり、首をめぐらせる。
「ムー、昼食はお済みですか」
「もうそんな刻限か」
 ムーはシルバーグレーのケースからタブレットを十二粒取り出して小さな皿にのせ、テーブルに運んだ。殺菌処理されたミネラル・ウォーターの注がれたグラスも置く。磨かれたテーブルの天板には、素っ気ない照明の光が反射していた。
「私もいただいて宜しいですか」
 サンディがそう言うので、ムーは少々驚いた。
「お前もタブレットを飲むのか」
「いいえ。水だけで結構です」
 ムーとサンディは向かい合って席についた。
 ムーは一粒ずつタブレットを口に入れ、三つ舌にのせると水で流しこんだ。味などはない。栄養があるだけだ。サンディは黙って、丁寧に一口ずつ水を飲んでいる。
 誰かと二人きりになることなど久方振りで、どことなく気詰まりだった。
「ムーは、このボックスで暮らしているのですか」
 口元の笑みを絶やさず、サンディが尋ねる。
 ボックスとは何だろう。首をひねった。
「ボックスです。九○二号室です」
 ああ、部屋のことか。おかしな言い方をするんだな。ムーは頷いた。
「そうだ。ここで暮らしている」
「ずっとですか」
「ずっとだ」
「そうですか」
 サンディが笑みを広げた。その表情の意味がわからない。
 彼は頭をやや傾けて、ムーを観察している。
 ――そうだ。「見て」いるのではなく、「観察」している。どういったつもりだろう。
 ムーは不快感をあらわにしてサンディを睨めつけた。
「あまりじろじろ見ないでくれ」
「失礼しました」
 サンディは微笑んだまま視線をそらす。
 ムーはサンディに対して俄かな警戒心を抱いていたので、その後の会話は弾まなかった。
 このドールはどこかおかしいのだ。しかし、違和感の正体はつかめなかった。
 それとも、自分は神経質になりすぎているのかもしれない。前のドールがここへいたのは随分と前のことだし、人ともほとんど会わない。まともに誰かと喋るのが久々だから、緊張しているのだ。
 そうに決まっている。
「なあ」とムーは言いかけて、ぎょっとした。
 サンディの左の目の色が変化している。鉛のようだったのが、クロムイエローになっていたのだ。
「目の色が違うぞ」
 ムーが指摘すると、サンディは片手で左目の下に手を触れた。
「そうなのです。私の左目は、色が変わるのです」
「どうしてだ」
「さあ」
 サンディは色の異なる両目でムーを見つめた。この瞳に見つめられると、居心地が悪くなる。
 この目はこちらの表面を眺めるだけではなく、奥深くの何かまで探ろうとしているかのようだ。
「故障だろうさ」
 ムーはぞんざいに言い放った。
 するとサンディが身を乗り出し、ムーの腕をひっつかんだ。あまりにも素早い動作で、呆気にとられた。だが引き寄せられそうになり、抵抗する。



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