「そのことか。いいか、俺は執事の取り引きには応じない。執事の命令も頼みも、気が向かない限り聞いてやらないんだ。だが、友人の頼みは断らない」
引き受ける内容が同じであっても、依頼してくる相手が異なればそれはムタにとって全く違うことなのである。
サンディは苦笑した。
「それでは、なっていただけるのですね」
「勿論だ」
ムタはサンディの前に跪き、右の拳を左胸にあてた。
「今から俺はお前の従者になってやる」
「主に向かって『お前』とは、甚だ無礼な従者ですね」
サンディは笑い出した。
「お前のさっきの発言よりは酷くない」
「退屈しのぎに王になってやろう、ですか」
「そうだ」
「どうでしたか」
「面白かった。こんなに笑ったのは久方振りだ」
どちらも悪童のような顔をしている。見つめ合って、こらえきれずに吹き出した。
ムタの耳飾りが煌めく。
碧落は高く透き通り、そよぐ風はあたたかい。そのうち何がおかしいのかもわからなくなって、それでも二人は笑っていた。
見送りはいない。
何ともさみしい出立である。これも「しきたり」なのだそうだ。
旅立つ前に式典をとり行ったらしいが、じっとしているのが苦手な性質のムタは出席しなかった。
ウグノシュがムタを呼び付けてあれこれと喋ったが、ほとんど聞き流した。覚えているのは「七十日以内に帰ってこい」という部分くらいだ。行って帰ってくるだけでも大変だというのに、期日まで設けられているとは。
文句を言ったところでどうせあの忌々しい「しきたり」という言葉が返ってくるだけなので口はつぐんでいた。
執事はムタがサンディの従者になったことを喜んでいるような嫌がっているような、複雑な表情をしていた。
夜明けである。
天気は良くない。雲が多いのだ。夜は白々と明けていった。
旅支度を整えたサンディは緊張した面持ちで、門の前に立っていた。飾り気のない質素な服に質素な外套。およそ王族らしくない格好である。
もっとも旅に派手な装飾は不要なわけで、これからのことを考えれば正しい服装だ。
「私は今まで、周りの言うことにただ従うだけでした。中身のない、虚ろな人形と同じです。しかし、ムタに名を貰ってから、自我が芽生えたように思えるんです。自分というものが、少しだけわかった気がする」
サンディは、こんなことを言った。ムタは頷いた。
彼は震えていた。冷え込んでいるからか、それとも、不安だからだろうか。
「怖いか」
ムタは尋ねた。
「怖さ半分、楽しさ半分、といったところです。城の外へ出ることなど、滅多にありませんから」
赤い唇を引き結んでいる。
「安心しろ。友であり主人であるお前の身は、冠の文字を見るついでに俺が守ってやる」
「ついでですか」
困った従者だ、とサンディは笑った。
「それでは行こうか」
「はい」
ムタとサンディは、一歩、踏み出した。
(終)
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