「聞いてないのなら、いい」
「何の話だよ」
引っかかる言い方である。
「夕食の時にでもミュテがお話になるだろう。食事が終わったら私の部屋へ来い。話がある」
「説教か」
心当たりはないものの、ウグノシュの話と言えばそれくらいしか思いつかない。ウグノシュは軽いため息をついた。
「余所者のお前に小言を言う暇があると思うか。いいから、来い。わかったな」
相変わらずこの男は高圧的である。ムタは肩をすくめただけで返事をしなかった。ウグノシュの方も返事を求めていなかったようで、黙って踵を返して去っていく。背筋がのびていて、靴音は規則的だった。
ムタにしてみれば余所者の自分が命令に従う義務はない。事実これまで幾度となく彼の命令を無視してきた。
しかし今回は聞いてやろうという気になった。いつもであれば冷たく表情を閉ざした瞳が、微かにかげっていたからである。悩み事でもあるのだろうか。
陽は沈み、食事の時間となった。
客室でくつろいでいたムタは女官に呼ばれ、食堂へと案内される。部屋へ入るともうサンディは席についていた。
クロスをひいた長いテーブルには、銀の食器が並べられている。
昼間よりは地味な白い服に着替えたサンディは、笑顔でムタを迎えた。
部屋は広すぎるし、テーブルは長すぎる。食器の数も、給仕の数も多かった。
「お前は毎日こんな落ち着かないところで食事をしているんだな」
「慣れれば落ち着くものですよ」
出てくる料理はどれも野菜や果物が使われ、花や香草が彩りを加えている。彼らは動物の肉を口にしないのだ。体が受け付けないらしい。
よく煮えた豆に花の蜜をかけた料理が並べられる。肉がないということに物足りなさを感じるが、味はどれも申し分なかった。
皿を下げようと、給仕の女がムタの横に立った。甘い香りがする。
花から生まれた黒いゾウの一族は、体に花の蜜が通い、その身に花の香をまとっている。勿論ウグノシュも、サンディもだ。
赤い実の入ったゼリー、白い花弁の浮かんだスープ、花のつぼみのタルト。どれも上品な味わいだ。
サンディは行儀よく料理を口へ運びながら、今度の旅ではどんなことがあったのかタムに尋ねた。
ムタは話しながら、それを聞くサンディがどこか上の空であることを見逃さなかった。
どうやら執事の言った「話」とやらに関係があるらしい。あえてムタは自分からそのことに触れなかった。
そのうち本人から切りだすだろう。執事もそう言っていた。
食事が一通り済むと、ローズヒップ・ティーが運ばれてきた。ムタはすぐにティーカップを持ち上げたが、サンディは液体の表面に目を落としている。そこに映る自分と相談事でもしているかのようだ。
そしてつと顔を上げ、給仕人頭を呼んだ。
「下がっていてもらえますか。ムタと二人で話がしたい」
承知致しました、と腰を折ると、給仕人頭は指示を出し、皆食堂からひきあげていった。元々静かだった食堂が、より静けさに包まれる。
サンディはローズヒップ・ティーを一口飲んだ。
気の短いムタだったが、辛抱強く話が始まるのを待つことにした。
「王位を継ぐことになりました」
それがあまりに出し抜けで、虚を突かれたムタは驚いて目を見張った。当分は沈黙が続くと覚悟していたのだ。
ついでその内容にも驚いた。だが、考えてみれば驚くことではない。
サンディは王の一人息子だ。彼が王位を継承するに決まっている。いずれそういう日が来るだろうとムタも考えていたが、いざそうなるとわかれば、意外なほど自分がその事実を受け入れるのを拒んでいることを知った。
「ですからもうすぐ、城を発たねばなりません。冠を取りに行かなければならないので」
意味がわからず、ムタはサンディを見つめた。サンディが口元に笑みを浮かべる。
「ムタはご存知ないでしょうが、王になる者は己の足で塔へ向かい、そこにある冠を取って帰らなければならないというしきたりがあるのです」
「どこの塔だ」
「忘れられた都の、青い塔です」
「何だって」
かつて古代人が住んでいたと言われる「忘れられた都」の存在は、ムタも知っていた。今や誰一人として住むことのないその都の中心部には、空を突くほど高い青い塔があるという。
「どうして、よりにもよってあの塔なんだ」
ムタは「忘れられた都」に行ったことはなかったし、青い塔というのもその目で見たことはない。だが、そこがいかに危険な場所であるかは耳にしていた。大体ムタは「忘れられた都」などという、感傷的な名前が大嫌いだった。
「まさか本当に行くわけじゃないだろうな」
「行きますよ」
「馬鹿だな。お前は世間知らずだ。あの場所は危ないんだぞ」
ムタは軽い憤りを覚えた。サンディに対してではない。馬鹿げたしきたりに、だ。
「父も同じように冠を取りに行きました。王になる者は自力で冠を手にしなければならない。そういう決まりなのです」
「決まりは破る為にあるんだよ」
ローズヒップ・ティーが急にやたらと酸っぱく、不味く感じた。
王が代わる度に新たな冠を取りに行かなければならないなど、理解に苦しむ。同じものを使えばいいではないか。
しきたりや決まりなどというものは、無意味でくだらないものばかりだ。
サンディもわかっているのだろうか。花畑に花を摘みに行くこととはわけが違う。
「そのことを、ムタに話しておこうと思いまして」
緋色の瞳はまだ何かを話したそうにしていたが、それとは裏腹に彼は話を打ち切ろうとしている。
「そうか」
ムタはそう呟いたきり、ティーカップには口をつけず、沈黙した。
食事が終わると、ムタは真っ直ぐに執事ウグノシュの部屋へ向かった。ノックすると扉が開く。ウグノシュは脇によけると、仏頂面で「入れ」と言った。
部屋に入れたくないのなら入れなければいいだろうに、とムタは思う。しかし、話をするにはここでなくてはならないのだろう。人に聞かれたくない話のはずだ。
初めて入るウグノシュの部屋は、思ったより広くなかった。彼の性格を物語るかのように、全てが整頓されている。部屋全体が汚されることを拒んでいるかのようだった。清潔だが、居心地は悪い。
ウグノシュが肘かけのある椅子を示し、ムタはせいぜいふてぶてしく見えるよう足を組んで座った。
「ミュテのお話は聞いたな」
「ああ、あの馬鹿馬鹿しい話なら聞いた」
だらしなく頬杖をつくムタをウグノシュは一瞬睨んだが、とやかく言うことはなかった。
「サノは王になるそうだな」
ムタがサノ・ミュテを呼び捨てにしても、不敬罪などに問われることはない。それはひとえに、ムタがどこにも属さない者であることが所以である。縛るもの、繋ぎとめるものがない者に対して、罰を与えるのは意味のないことだ。
それをわかっているから、ウグノシュもいちいちムタの無礼な言動を正そうとしたり、仕置きしたりしない。小言を言うにとどまっている。
だからと言ってムタが何をするのも許されているわけでもなく、度を過ぎた行いをすれば制裁を加えられる。もっともその場合、ムタをこらしめるというより、彼らの体裁をつくろうのが目的となるのだが。
幸い今のところ、そういった深刻な事態に陥ったことはない。
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