微睡みの花4


 ひねりのない攻撃だ。
 悠々とかわしたタウだったが、それはそちらに気をひきつけるための罠だったと気づく。視界の隅にちらと別の男の姿をとらえた。
 体勢を立て直そうとしたが遅かった。
 もう一人の男も文字使いで、術によってタウは吹き飛ばされた。壁に背中を打ちつける。
「油断は大敵だな。俺には仲間がいたんだよ」
 仲間はタウが対峙していた男よりは細身で、飢えた獣のように目をぎらつかせている。勝利を確信した大男はとどめにペンを走らせた。
 爆発音が神殿を震わせる。

 土埃がおさまり、邪魔者が瓦礫の下に埋もれたことを確かめると、男は満足そうな表情を浮かべた。
 もう起き上がることもあるまい。
 部屋に戻ってみると、ノフィスカリアが所在なげに立っていた。どう見ても女である。しかし、花だ。
 男はタウと違い、その情報もあらかじめ入手していた。
「ノフィスカリア。お前は名を呼んだ者の願いを叶えるそうだな」
 高圧的な物言いにも彼女は臆する様子もない。というより感情の表出が見られない。つとめてそうしているのか、元々感情など持ち合わせていないのか、それは不明だ。
「タウは」
 平淡な口調で少女は尋ねた。怯えもせず真っ直ぐに男を見つめる。
「もうお前の前に現れることはない」
「そうですか」
 少女は下を向いて呟いた。
「皆、私の元から去ってしまうのですね」
 声音に変化はなかったが、初めて、その言葉には彼女の気持ちがこめられていた。
 それが男には不愉快だった。ノフィスカリアの手首をつかむ。
「さっさと願いを叶えてもらおうか」
 その時突然、周囲に霧がたちこめてきた。霧は瞬く間に男達と少女を包んでしまう。天候や気温からいっても、尋常なことではなく、男の仲間は狼狽した。
「式が間違ってるよ」
 霧の中から声が聞こえた。男は周囲を見回すが、どちらを向いても白一色である。
「教本を鵜呑みにするのはよくないな。筋はいいが、まだまだ未熟だ。金を払えば俺が直々に指導してやってもいいよ」
 男達はいきなり部屋の反対側まで吹き飛ばされた。一気に霧が晴れる。古びた石の台に立て膝で腰かけているのはタウだった。煙管を咥えている。
「そんな」
 男が困惑の声をもらした。
「幽霊でも見たような面だな」
 馬鹿にしたようにタウが吹き出す。
「悪いが俺は、あんた達より腕がいいんでね。俺とあんたでは大人と子供くらい実力の差がある」
 負傷したようでもないし、ましてやそれを隠しているわけでもなさそうだ。全くの無傷。男には信じられなかった。若造の笑顔は今やただ生意気なだけではなく不気味さも加わっていた。
「お気の毒さま。俺には勝てないよ。だって俺は、モノリスの守り人、タウだから」
「モノリスの守り人だと」
 仰天して男は聞き返した。タウは頷く。
「十九番目の守り人タウ。二十七代目だ。シグマより後、イプシロンより先」
 モノリスを見つけ解読した二十四人にはそれぞれ名前が与えられた。モノリスの守り人だ。恐るべき才能を持った賢者達。彼らに選ばれた者だけが、その名を引き継ぐことになっている。
「守り人は帝都の学院にこもっているはずだ」
 男の手と唇は震えていた。
「モノリスなんてただの石だ。あんなものと年中建物の中にいてはかびが生えるじゃないか。出てきたのさ。見ろよ、このペン。俺の継いだ名が彫ってあるだろう」
 事実ならその筆記具は城すら買える値がつく。何せ守り人のペンだ。
「お前がタウである証拠などない。ノフィスカリアは渡さないぞ」
 男は目の前の青年が守り人であるか確認することを恐れた。のびている仲間の横に立ち、ペンを振る。最前よりは豊富な種類の術を見せたが、ことごとくタウによって弾かれる。しかもタウの式は高等で、打ち消しか別の攻撃か、男には意味もわからなかった。
「あんたとまともにやり合う気はないよ。弱いものいじめみたいで、可哀想だ」
 消えたはずの霧が濃くなり、タウの姿はかき消えた。

 男が動揺しているうちに、タウはノフィスカリアの手をとって逃げ出した。
 走りながら、タウは言う。
「君が待っている奴は、迎えに来ないよ。だから俺とここから出よう。そいつの代わりに俺が迎えに来た。それでいいじゃないか」
 彼女は手を引かれ、無言でタウについてくる。
「君はここから出る理由なんてないと言うかもしれない。でも、理由なんて何だっていいんだ。例えば、つまらなかったとか、さみしかったとか。俺とここから出よう。絶対、外の方が楽しいよ」
 神殿の入り口まで行き着いた。後は階段を下りるだけだ。
 神殿とノフィスカリアの封印は解かれた。これがどれほど大変なことかタウは知らないし、知りたいとも思わない。ただ、それに自分が関わったということは何かしら意味があると感じていた。自惚れではない。だから酔うこともない。
 あるのは真っ直ぐな衝動だった。考えるより先に、この足が動く。
 ノフィスカリアは頷いた。
 タウは笑った。
 雄叫びをあげて人相の悪い例の男が出現する。タウは入り口で捨てた、ぼろ布のようなマントを足ですくいあげ、男の顔に投げつけた。差し出した男の手は宙をかき、タウは少女を連れて飛んだ。振り向きざま、男に眠りの術をかける。
 羽根のように軽くなり、二人は階段を飛び越した。
 緑の上にふわりと着地する。
「タウ、あなたは私の名を呼びました。あなたの願いを叶えましょう」
 手は繋いだままだった。強く握ることも離すこともできず、タウは照れ笑いをして少女に目を据える。
「ありがとう。でも、いいんだ。そんなつもりで君を連れ出したわけじゃない。それに、願いは自分で叶えることにしてるから」
 微かだが、ノフィスカリアは意外そうな顔をした。まばたきをして、神殿を仰ぐ。タウもそれにならった。
 神殿は、音もなく崩れていくところだった。
 崩れていくという表現は適切ではないかもしれない。徐々に徐々に、白い鳩となって飛び去っていくのだ。壁や柱が、さも自然に鳩に変ずる。
 やがて一斉に鳥は飛び立った。ほとんど羽音も聞こえない。粛々と神殿は解体される。
 幾千もの欠片になって、遺跡は消失した。
「壮観だ。俺達だけが目にするなんて、勿体ないほどの光景だなあ」
 世にも珍しい、まばゆく神聖な光景だった。そこに建物があったことなど現実とは思えず、転がっているのは小汚い悪漢だけだ。
「ところでこの先、君をノフィスカリアと呼ぶのはなるべくよそう。有名なようだし、名前を呼ばれる度に願いを叶えるんじゃ君もしんどいだろう。俺が新しい名前をつけてもいいかな」
 ノフィスカリアが小さく頷く。
 花の名前がいい。タウは旅先で見つけた、白い可憐な花のことを思い出した。
「サンディ。サンディはどうだろう」
 少女が笑った。
 じんわりと、溶けるような笑みだ。それがふっと、タウの心の面を撫で、さざ波を起こす。
「嬉しい。名前を貰ったのは初めてだから」
「喜んでもらえて嬉しいよ」
 タウとサンディは歩き出した。
 彼女と会うために自分はここに来たのだとタウは確信する。
 これは始まりだ。タウはサンディと共に、どこまでも行くのだ。



(終)



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