微睡みの花3


 ノフィスカリアは前に向き直り、目をしばたたいた。目を伏せると長い睫毛が影をつくる。
「わからないのです。私は神官に、しばらく眠っているように指示されました。迎えにくるから、待っていろと、彼は私に言いました」
 それでは彼らが滅びた理由も彼女は知らないわけだ。彼らが花を残していった理由は何なのだろう。
「何千年も一人で眠っていたら、さぞさみしかったろう」
「はい、少し」
 ノフィスカリアは夢を見ていたのだそうだ。夢の中でも彼女は眠っていた。夢の中の、数千年の孤独。タウなら正気でいられそうもない。
「目が覚めたわけだが、君はどうする気でいるんだい」
「待っていろと言われたので、待ちます」
 だが、いくら待っても待ち人は来ない。孤独が続くだけだ。
 タウは説得を試みた。ここに一人でいても得することはないのだと説いて聞かせる。世界は広い。いくら時間があっても見尽くすことができないくらいにものはある。できるだけたくさんのことを体験し、見聞きしなければ損である。というのがタウの持論である。
 飄々とした態度で軽口も挟みながら話したということもあって、真剣に受け止められたかは不明だ。だがこの話し方はタウの癖であり、本人は存外まじめに語ったつもりだった。
「でも、私は花ですから」
「花でも石でも構わないじゃないか。歩けるならできるだけ歩くのがいい」
 彼女をここへ置いておきたくない理由は他にもあった。
「いいかい、これは聞いた話だが、最近西の国で空飛ぶ乗り物がつくられているらしい。思うに、きっとすぐ完成する。そうしたら人間の行動範囲は広がる。たくさんのものが発見される。地上の道がどれほど険しくとも、空から行くことができるようになるんだ。いずれこの場所は暴かれるよ」
 いくら優れた技術を持つ謎の一族でも、人が鳥のように空を移動するなど考えていなかっただろう。強欲な悪人どもにノフィスカリアが利用されるのは目に見えている。
「私、あの人を待ちたいのです」
 あの人とはどの人だろう。
 少女は頑なだった。どうしたものかとタウは頬杖をつく。蝶が舞う。影が地面でひらひら泳ぐのを見るともなく見ていた。
「この神殿からは出るべきではないと教わりました。私は創世の花。私の存在は混乱を招くのです」
 タウは大きな欠伸をした。こうも温かいとつい眠くなる。疲れも出てきた。昼寝でもしたい気分だ。
「いいじゃないの、招いたって。君がいようといまいと、世界は常に混乱しているさ。君の世話役が何て言って君を脅かしたかは知らない。だけど、君が眠っている間に世の中では“自由”というやつが流行り出したんだ。誰にでも自由を求める権利があるよ」
 それに、隠れていてもいつか見つかってしまうのだ。タウが同じ立場なら、隠れるより逃げ回る方がまだましだ。
 タウは二度目の欠伸をした。ここへ来るまでに失くしてしまった食料のことを惜しむ。
 心身共に弛緩しきっていたが、つと眼差しを鋭くして顔を上げた。気配を感じたからだ。
「タウ、どうかしましたか」
 待っていろ、と身振りで示し、タウは立ち上がる。部屋の外へ顔を出した。
 神殿内部に何かがいる。それも獣ではなさそうだ。ここから離れて侵入者の捜索をするべきか否か迷った。彼女を一人にしては危険だ。
 直感だが、侵入者は善良な人間ではない。しかも何故か、気配が一瞬にして移動する。
「タウ」
 ノフィスカリアに呼ばれてタウは振り向いた。そして目を見張った。
 彼女の腕を見知らぬ男がつかんでいたのだ。
 禿頭で目つきは悪く、顔の筋肉が作り出す表情はいかにも卑しい。
 悪党のお出ましだ。
 タウは頭を掻いた。自分の失態のいくつかを思い出したからだ。
「俺は仕掛けられた罠の大半を壊してここまで来たからな。同じ道を通れば随分と楽だっただろう」
「お前みたいな若造が一人で来たとは驚きだな」
 男の唇の端がつり上がった。笑っているのかもしれない。
 ノフィスカリアはタウに視線を送っている。男が無骨な手に力をこめ、彼女の腕を引っ張った。
「乱暴はやめろ」
 気分を害してタウが言い放つ。男はせせら笑った。
「こいつはただの花だ。折れたって構わない」
「その笑いを引っ込めな。お前のような醜男の笑顔は見苦しい」
 気の短そうな男は舌打ちをして、懐から小さくて細いものを取り出した。ペンだ。
 思った通り、文字使いだった。妙な気配がしたのは術を使って移動していたからだ。
「お手並み拝見といこうか」
 タウも自分のペンに手をかけつつ、余裕のある口ぶりで言った。
「ほざけ」
 悪党、と書いた紙札を額に貼ってやりたくなるほど悪人面の男は、流れるように空中に文字を綴った。みみずみたいにのたくった字でも書きそうだが、思いがけず流麗な筆致だ。面相と不釣り合い甚だしく、余計にいらつかせる。
 空気の塊が放たれる。タウは即座に文字を書き、打ち消した。部屋の隅で小さな風の渦が発生し、埃が舞う。
「素人じゃなさそうだ」
 男はペンを握ったまま言った。
 今のは力量を測るための攻撃だったらしい。男が再び文字を書く。速記が得意のようだ。タウは手を下ろしてそれを見守る。ピリオドを打つと文字が揺らいで消え、次いで男も消えた。
 タウが後ろに飛び退くと、元いた位置に男が出現する。振り下ろした拳は空振りに終わった。
 ノフィスカリアが巻き込まれないようにと部屋を出る。男はひとまず邪魔者を消すことに集中するつもりなのか彼女を置いてついてきた。
 男の術で石つぶてが飛んでくる。防ぐには数が多いので、避けることにした。男は何度も移動して執拗にタウを殴りつけようとする。タウも相手の側頭部を蹴りつけてやろうと試みるが上手くいかない。図体の割にすばしっこいのだ。
「どうした、お前も文字使いだろう。術を使って、かかってこい」
 距離をとりながら二人は向かい合う。
「あんたのような初心者には危なくて使えないよ」
 タウが肩をすくめると、男は片眉を上げて鼻で笑った。
「恐れをなしたか。俺はなかなか才能があると師匠にも褒められた。その師匠も倒してしまったがな。教本を奪って一人で学んだ。それからは向かうところ敵なしだ。ノフィスカリアも手に入れて、俺はいよいよ世界の頂点に立つ」
「石ころ飛ばしたくらいで威張るな。そういう大言壮語はまず俺を倒してから吐けよ」
 半ば呆れたようにタウが言う。男は怒りの噴出をどうにか抑えて笑みに変えた。もう容赦しないという意味が含められているらしい。
 男が文字を書くとそれは赤く光り、刃のように宙を滑ってタウに襲いかかった。文字の数は増え、空中を乱舞する。タウは跳んだ。
 男が下から見上げると、タウの靴底にはすでに文字が書きつけてあるのがわかっただろう。文字は閃き、タウは空中を跳び回って赤い刃をかわす。天井は崩れていたのでどこまでも昇っていけた。
 男もすかさず追ってくる。
 タウが赤い字をかき消すと、またも男が殴りかかる。どうあっても一発殴りたいという顔だ。
 からかい半分にタウはわざと、あわやというところで避けてやる。悪党はもうめちゃくちゃに腕を振り回すがかすりもしなかった。
 そろそろいいかと地上に降り立つ。男は遅れて降下しながら、何事かわめいて文字の刃を降らした。



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