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 そして仰天した。
 奥の曲がり角のところに、黒峠有紀が立っている。
「どうかした?」
 美樹まで振り向こうとするのを亜沙子は必死で阻止した。それからもう一度確認する。幻覚という可能性もあるからだ。
 しかし、彼はそこにいた。神出鬼没のその男は、にやにやしながら亜沙子の方を見ていた。
「あのー、美樹。悪いけど、私、行けないや」
「どうして」
 とても本当のことを言えそうにはなく、唇をかみしめた。黒峠のことをいちから説明するのは骨が折れる。とっさに嘘をつくしかなかった。
「用事を思い出したの。課題出し忘れたんだ。先生さがしに行かないと」
「またぁ?」
 あからさまに呆れた口調に亜沙子は少々傷ついた。提出遅れの常習犯なので、もう美樹も驚かない。だが、そんな普段の行いのおかげで今回の嘘も怪しまれなかったのは虚しいが幸いだった。
「単位落としても知らないよ」と忠告し、美樹は先へと歩いて行った。
 こちらはこれで済んだ。問題は黒峠。
 亜沙子は挑むように立つと、念入りに瞬きを繰り返してみた。
 いる。
 黒い姿は廊下にくっきりと浮かび上がっている。
 次に、心の中で「消えろ」と念じてみた。
 消えない。
 自分の心が生み出した幻覚ではないらしかった。観念し、足音で威嚇しながら黒峠に接近する。
「先生、通報されますよ」
「何故だい。私は何もしていないじゃないか。もしかして、私は立っているだけで罪を犯しているとでも言いたいのかい? 存在自体が罪だとでも? それは差別発言だよ」
 誰もそこまで言ってない。
「部外者が無断で校内に立ち入ったらまずいでしょって言ってるんです」
「心配ご無用。私はここの学長と顔見知りだからね」
 そういえば、教授にも知り合いがいた。二年前に亜沙子が関わった事件で亡くなってしまったが、文学部の糸香華という人だ。
「それで今日は、学長に用があったんですか?」
「違うよ。昨日のこと、忘れたのかい?」
 と言われてまず浮かんだのは、黒峠が猫をさがすおかしな後ろ姿だった。



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