04


 ボランティア探偵というか、趣味探偵と言うか。彼が正式な探偵なのかどうかは怪しい。とにかく何度も「期待しないで」と言っておいた。本当は胸をはって「まかせて」と言いたいところだが、嘘はつけない。
 亜沙子は一人、黒峠の事務所に向かうことにした。今日は、彼に会えるような気がする。

 * * * *

 黒峠探偵事務所は駅から歩いて十分ほどの場所にある、五階建てのビルの二階にあった。事務所入り口のドアは塗料がはげているし、すりガラスに書かれた文字は消えかけていて「里山貞マ戸」となっている。黒峠という男のやる気のなさが、事務所のそこかしこに見られた。
 「探偵」と言えば響きは良いが、実際探偵業界というのは厳しく、生き残るのは大変だった。大手ならともかく、独立開業した探偵事務所が食べていくのは至難の業だ。知られなければ、客はこない。何よりも大切なのは「宣伝」だった。
 黒峠は宣伝など、したことがない。広告を載せようなどと思ったことすらない。儲けようと思わないので、そんなことをする必要がなかった。道端に落ちている石ころのように見向きもされなくても構わなかった。金には困っていないのだから。
 客が来ることは少なく、仕事はほとんどなかった。雑務をこなす事務所唯一の所員は、円知治という男だった。風貌はまるで極道だが、人柄がよく礼儀正しい人間だった。自分のことも自分でしない黒峠の世話をするのも彼の仕事だった。


 気持ちの良い秋の昼下がり。
 黒峠はコンビニで買ったハムのサンドイッチを口にしながら、窓の外の秋らしい高い空を見上げていた。思わず歌でも歌いたくなるような快晴だ。ここから見る景色も悪くなかった。黒峠はこの事務所を気に入っていた。不満と言えば、階段が急で危ないことと、非常口の扉が壊れていて開かないことだ。もし火事にでもなれば逃げ場がない。直そう直そうとは思っているのだが、つい面倒で業者に頼むのを忘れてしまうのだ。
 パンの間からハムだけがずるりと出てきた。そのハムをくわえたまま、また空を見る。こういうのんびりした日常が好きだった。忙しいのは好きではない。会社勤めなどきっと向いていないだろう。一生、のんびり暮らしていたかった。昼にはハムをくわえて空を見上げ、夜はビールを飲みながら星のない都会の夜空を見上げる。それで良かった。そうすることが出来た。
 でも、何故。
 黒峠は考えた。ハムを口の中に押し込む。何故、自分はこの事務所にいるのだろう。よりによって、探偵とは。自分を知る誰もがそう思っているに違いない。
 探偵になろうと思うんです。そう円に相談した時、きっと彼は反対すると思っていた。しかし、円は笑顔で「わかりました」と頷いた。
 ああ、そう言えば。
 サンドイッチを食べ終え、ペットボトルの緑茶を飲みほす。
 確か一年前だったが、珍しく事件が起きたのだ。事件自体は大したことはなかったが、その時会った少女がとにかくやかましかった。それに彼女はやたらと怒っていたような気がする。名前はなんと言ったか。



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