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 言葉を切り、立ち上がる。睨まれた亜沙子はたじろいだ。私、何か悪いこと言いましたっけ。そう言う前に黒峠は亜沙子の腕を引いて大きな壁穴を通り、隣の部屋へと走った。
「何ですか」
「誰か来る」
 二人が棚の後ろに隠れたところで、男が二人先程の部屋へ入ってきた。一人は背広姿で眼鏡をかけていて、普通の会社員といった風体だ。もう一人は目つきが悪く、白いカーディガンを着た汚らしい男だ。男達が肝試しに来たのではないことは確かだった。突然のことに亜沙子は呆然としていた。
「話し声が聞こえたと思ったんだが」
 目つきの悪い男が言った。
「気のせいだろう。ここには幽霊が出るらしいからな。黄泉の国からの声でも聞いたんじゃないのか」
 背広姿の男は、まるでこの場に相応しくなかった。例えばそこの目つきの悪い男や黒峠なら、ここにいても違和感はない。廃墟というのは異様な雰囲気がただよっていて、だから異様な人物は周囲と調和する。異様なものと異様なものは合うのだ。しかし、背広姿の男は違った。周囲と調和していない彼は、この場をより不気味にさせる。
「冗談はよせよ。本当に聞いたんだ。捜してみようか」
 心臓がはね上がった。黒峠は身じろぎもせず、男達を見ている。
「いや、この時間に来る奴はいないだろう。時間もないんだ。それより、移動の件はどうなった」
「大丈夫だ。地下室と言っても危ないからな。急いだ方がいいだろう。冴木の方はどうだ」
 何の話をしているのだろう。このホテルには、地下室があるのだろうか。男達は声をひそめて話しているので、聞きとりにくかった。背広姿の男がしゃがむ。
「うっ」
 黒峠が口を押さえてごく小さな声をあげた。飛び上がるほど驚いた亜沙子は、出来る限り小さな声で黒峠に聞いた。「どうかしましたか」
「懐中電灯、そこに落とした」
 気を失いそうだった。背広姿の男が拾い上げたのはその懐中電灯だったのだ。
「あかりがついたままだ」目つきの悪い男が言う。
 黒峠は口を押さえたままだ。
「やはり誰かいるな」
 背広姿の男がこちらに向かってくる。突然黒峠は亜沙子を引っ張って走り出した。驚いた男達は一瞬固まったが、すぐに目つきの悪い男の方が追いかけてきた。
「待て、お前ら止まれ!」
「肝試しの最中なのでお構いなく!」
 黒峠が大声をあげた。構うに決まっている。



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