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「懐中電灯は返さなくても結構です! 安物なので!」
「止まれ!」
 既視感(デジャビュ)。以前もこんなことがあったような気がする。黒峠と、誰かに追われて廃墟を走ったことがなかっただろうか。
 亜沙子は死にもの狂いで走った。足場が悪いことなんて関係ない。いつの間にか黒峠すら追い抜いていた。
 凄い。私、こんなに速く走れたっけ。そうだと分かっていたら、陸上部に入ったのに。もったいないことしたな。こんな時だというのにどうでもいいことばかり考えていた。いや、こんな時だからこそ、なのかもしれない。脳まで酸素がいっていないようだ。
 何かが見えた。足を止める。
 廊下の奥に、小さな子供と手を繋いだ老婆が立っていた。あの人には見覚えがあった。
「重村……セツさん」
「何してるんだ柊君!」
 黒峠に腕をつかまれ、我に返った。そうだ、逃げないと。私は今逃げないといけないんだ。
 引き続き全速力で走った二人は、廃墟を出てもずっと走り続けていた。草藪を駆け抜け、一般道に出たところでようやく足を止めた。
 もう走れない。脇腹が痛かった。酸素が足りない。体中が酸素を求めている。顔が熱かった。その場に座り込んでいると、遅れて黒峠がやってきた。足元もおぼつかないようだ。走るのは速かったはずだが、体力がないのか長距離は向かないらしい。
「こんなに走ったのは初めてかもしれないな」
 黒峠も座り込む。いつもの白い顔が真っ赤だった。
「重、村」息を整えつつ亜沙子は言った。「重村、セツさん、いましたよね」
 男が追って来ないか確認するように黒峠は振り返った。
「重村セツさんって、重村勝吉のお母さんの?」
 見なかったな、と首を傾げる。だが、亜沙子は確かに見た。あれは重村セツだった。子供を連れて立っていた。
 子供。重村。地下室。カラクリ。いくつかの言葉が酸素不足の脳内を駆け巡る。
「あのホテルの地下室に、子供達が監禁されている可能性はないですか」
「状況から見て、ないとは言い切れないね。我々で調べるのは怖いから、警察に調べてもらおうか」



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