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「近頃は物騒ね。そう遠くない場所じゃないの。亜沙子、あんたも気をつけなさいよ」
 はあい、と適当な返事をすると、急いでご飯をかきこんだ。のんびり母の話を聞いている暇はない。いつも、どんどん話が長くなっていくので早くこの場を去る方のが賢明だ。この前も引ったくり事件から始まり、何故か母の学生時代、亜沙子がまだ三歳だった頃の話など、脱線した話を長々と聞かされることとなった。
 とにかく課題を終わらせなければ。部屋に戻り、机に向かった。携帯電話を見てみたが、着信はないようだった。いくらなんでも、こう早く黒峠から連絡があるはずはないか。携帯電話は充電器に繋ぎ、課題の為の参考資料に手を伸ばした。課題地獄。そんな言葉が頭に浮かんだ。頑張れ亜沙子。何よ、たかが課題じゃないの。しかし、ここ数日はその「たかが課題」に心底苦しめられている。たかが課題、されど課題。成績に響くものなので、手を抜くわけにはいかない。まあ、手を抜く余裕など初めからないのだが。
 マナーモードにした携帯電話が震えている。電話がかかってきたようだ。まさか黒峠先生?
 しかし、電話をしてきたのは友美だった。
「メール見たよ。亜沙子、ありがとね。黒峠さん、本当にお金、いらないの?」
「あの人、お金にはあまり興味ないみたいだからいいのよ。請求もしてこないし。ところで、やっぱり友弥君、帰らないの?」
「うん……」友美の声は沈んでいた。
「大丈夫よ。今日事務所に行ってしっかり頼んでおいたんだし、すぐに見つかるわ」
 黒峠が頼りになるかは分からないが、少しでも彼女の気が晴れればと思い、言っておいた。
「うん。ありがとう。それじゃあ」
「あ、待って友美」
 電話を切ろうとした友美を亜沙子は引きとめた。気になっていることがあった。
「友弥君ってさ、黒峠先生と関わりとかあったのかな」
 頭を抱える黒峠のあの姿。ただふざけているようにも見えたが、どうも気になったのだ。つまらないことにしか反応しない彼が、「羽田」という名前にはくいついた。
 それに友美。彼女には、一度も「黒峠」という名は教えていないはずだった。「黒い奴」とか「失礼な変人」、「適当探偵」としか言ってない。それなのに今、彼女は「黒峠さん」と言った。もしかして、友美と黒峠は何らかの関係があるのではないかと思った。一瞬黙った友美だったが、あっさりとこう言った。
「実はね、前にお世話になったことがあるの」
「何よ、それならそうと言ってくれればいいのに」
 何故隠していたのだろう。「その人」などと、いかにも知らないふりをして。
「うちの猫を捜してもらったことがあったのよ。随分前のことだけどね。友弥が頼みに行って。結局マリー、ああ、マリーっていうのは猫のことなんだけど、そのマリーは自分で帰ってきたのよね。友弥、探偵さんに変なことを言っちゃったから、自分じゃ頼みにくくなって、それで知らないふりをして、亜沙子に頼んでもらおうと思ったの」
「友弥君、何て言ったの?」
「インチキ探偵」
 吹き出した。友弥は正しい。不正をしているわけではないし、金を騙しとっているわけでもないのだが、何となく黒峠はいんちき臭かった。彼のことだから、猫も真面目に捜さなかったのだろう。
「そういうわけで宜しくね、亜沙子。また明日」
「うん、じゃあ。明日ね」
 亜沙子は電話を切った。そうか、だから一緒に事務所には行けなかったのか。黒峠が気にしていると思っているのだろう。そんなに細かいことを気にする人じゃないのに。
 シャープペンシルを持ち直す。さっさと課題を終わらせないと。そして、ふと携帯電話を見つめた。
 友美が猫を飼ってたなんて、初めて聞いたな。



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