09


 それはご遠慮いただきたかった。黒峠なら両親が怪しむような封筒で手紙を送りかねない。仕方ないので電話番号を教えることにした。悪用されることはないだろう。ひとまず亜沙子は家に帰り、連絡を待つことにした。
 この事、友美にも言っておいた方がいいかな。
 駅へと向かう帰り道、携帯電話の画面を開き、友美にメールを打ち始めた。

 * * * *

「有紀さん」
 里沙はテーブルで、宿題をやっていた。算数のプリントらしい。円は窓辺に佇む黒峠に声をかけた。黒峠は振り向かずに答えた。
「円さんも聞き覚えがありますか、『羽田』という名前」
「ええ。それが誰で、どのような時に耳にしたのかは記憶にありませんが」
「同じです。おそらく、一度聞いた程度でしょうね」
 記憶の糸を手繰りよせようとするものの、あまりに遠く、たどり着けそうもない。それを聞いた時は、重要なことではなかったのだろう。興味がなかった。だから、はっきりとは覚えていない。記憶の中の「羽田」と「羽田友弥」という人物。まさかとは思うが、関わりがあるのだろうか。
「羽田友弥、か」
 黒峠は駅へ向かう柊亜沙子の背中を見つめた。久しぶりに会ったと思ったら、また面倒なことを運んで来てくれたらしい。平凡な日常からは、もしかしたら暫く遠ざかることになるかもしれないな。

 * * * *

「ただいま」
 あの後も本屋に行ったりなど寄り道をしていたせいで、家に着く頃には夜になってしまっていた。母は先に夕飯を済ませたらしい。「今日はサンマよ」
 食卓にはサンマや大根おろしが並んでいる。サンマの濁った眼が、亜沙子を睨んでいた。柊亜沙子、寄り道をしている暇があったのか。もうすぐ提出しなければならない課題があるのではなかったのか。そうその眼が言っている気がする。早く食事を済ませ、課題を片付けてしまわなければ。
 部屋の隅にある鳥かごの中では、九官鳥のオコゲも食事の最中だった。このオコゲ、九官鳥であることは間違いないのだが、全く言葉を話そうとしなかった。毎晩父が教えても、一言も話さない。父は「こんにちはこんにちは」と鳥かごの前で繰り返すのが日課になっていた。こんにちは、と人の言葉を真似るどころか、鳴き声すら滅多にあげることはない。
 冷めたサンマを口にしながら、亜沙子はテレビを見ていた。内容は頭に入らない。やっつけなければならない課題のことばかり考えていた。あれを提出しなければ大変なことになる。間違いない。先生がそう言っていたのだから。適当に済ませられる課題ではないし、手こずりそうだ。
 今日のニュースのおさらいが終わると、アナウンサーが「ただいま入ってきたニュースです」と言って原稿を読みあげた。
「……区の山中で、変死体が発見されたということです。被害者は三十代の男性だということです。警察は身元の確認を急いでいます。目下調査中ということで、詳しいことは分かり次第お伝えしたいと思います」
「まあまあ」
 母がエプロンで手を拭きながら、台所からやってきた。



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