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 亜沙子はびっくりして黒峠を見た。何故母が彼の名前を知っているのか。まさか、全て黒峠が仕組んだことだったとか? しかし黒峠もまた驚いた表情を浮かべていた。
「柊君。私のこと、話していたのかい?」
「いいえ。お母さん、黒峠先生のこと誰から聞いたの」
 美和子は踊りだした。娘としては、目を覆いたくなるような姿だった。
「今ね、誰か来たのよ。その誰かが『これから亜沙子さんと男の人が来ますよ。その人は黒峠先生という、夜月大学の教授です』って言い残して行ったの。ついさっきよ」
「会ったのに誰だか分からないの?」
「だってひょっとこのお面をかぶっていたんですもの」
「柊君、パス!」
 黒峠は鳥かごと鞄を亜沙子に投げてよこした。投げるには、近すぎる距離だった。
「どこに行くんですか!」
「追いかけるよ。まだそこらにいるかもしれない!」
 黒峠はあっという間に去っていった。至近距離で投げられたので鳥かごで顔面を強打した亜沙子とその母親は、その場に立ち尽くしていた。
「黒峠先生、いい男ね。結構ハンサムじゃない?」
「……そう?」
 黒峠の顔をじっくり見たことがなかったので、ハンサムかどうかは分からなかった。顔より行動の方が目につくのだ。

 * * * *

「いやあ、見つからなかったよ」
 黒峠は怪しげな木の実をたくさん抱えて帰ってきた。
「どうしたんですか、その木の実」
「これ? たくさんなってたんだ、途中で見つけたんだよ。甘いよ、食べる?」
 ひょっとこのお面をかぶった男が見つからなくても当然だろうと思う。男より木の実に目がいったのだろう。おそらく彼は子供の時からおつかいを頼まれても、そのことをすっかり忘れて好きな物を買ってくるような性格だったに違いない。他人の家の庭から勝手に盗ってきたのではないことを祈るばかりだった。
「それで、確かめたいことってなんですか」
 リビングにはやはりトイレットペーパーが散乱し、加えてティッシュペーパーもあった。亜沙子はそれらをゴミ袋に押し込み、黒峠にお茶を出した。
「え? 何が確かめたいって?」
 黒峠の言葉を聞いて、亜沙子は木製のテーブルを叩いた。彼と会ってから、何度堪忍袋の緒が切れたことだろう。
「何だい柊君。癇癪持ち?」黒峠は笑いながら木の実を食べている。お茶菓子を出す必要はなさそうだ。



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