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「さて」黒峠は言った。
「そろそろ君の家に帰ろうか」
 お前は一緒に私の家へ帰る気か。
「それ、どういう意味なんです。先生は家にあげませんよ」
 冷たく亜沙子に突き放された黒峠は鳥かごを抱え、わざとらしく首を傾げた。
「何故だい?」
「変な人は家にあげない決まりなんです。私の家では」
 そんな決まりはないし、両親から言われたこともなかったが、こうでも言わないとこの男は家にあがりこむだろう。彼に失礼な態度をとることに抵抗はなかった。彼も、自分に対して失礼な態度をとるからだ。
「ああ、そうなの」黒峠は気を悪くした様子もなく笑っている。「でもそれなら、君のご両親も家に入れないはずでしょ。それはともかく、私は君の家にはあがらないよ。確かめたいことがあるんだ。それを確かめたら帰るから、ご安心を」
 それを聞いて、急に不安になった。忘れていたが、両親は変なままなのだ。
「帰っちゃうんですか?」
「変なことを聞くんだね柊君。家にあがるなと、君が言ったんだよ」
 今日もあのおかしくなった両親と過ごさなければならない。二人があの警備員のように攻撃的になるのではないかという心配があった。黒峠を置いてこのまま一人で帰るか、彼を家にあげるか。短い時間だったが、亜沙子は悩んだ。黒峠と目が合う。
「……やっぱり、少しあがっていきませんか」
 家までたどり着くと、そう提案した。黒峠が微笑む。彼に負けた気がした。何が負けたのだろう。不愉快なので考えないことにした。
「いいの?」
「ええ。散らかってますけど」
 今朝家を出る時は部屋中トイレットペーパーが散乱していた。その後はどうなったのか想像したくない。両親が元に戻っていてくれれば嬉しいし黒峠も用無しなのだが、それはあり得ないことだと分かっていた。
 何故なら大学からここまで来る間、まともな状態の人を一人も見かけなかったからだ。電車の中で泣きながら玉ねぎをむき続ける主婦の集団がいたことを思い出し、亜沙子は首を横に振った。
「ただいま」
「あら亜沙子、おかえり。そちらの方は? まあ素敵なコート。お暑くありません?」
 母の美和子は頬に口紅で落書きしていた。いくら黒峠が変人だとわかっていても、こんな状態の母親が他人の目に触れるのは嫌だった。黒峠の顔はなるべく見ないようにした。
「えっと……先生、母です。いつもはもう少し普通なんですけど。お母さんこちらは、」
「黒峠先生ね?」



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