31


 亜沙子がため息をつくと、鞄からメロディが聞こえてきた。携帯電話の着メロだ。携帯電話を取り出してみると、画面に出ているのは知らない番号だった。普段なら知らない番号からかかってきた電話には出ないようにしているのだが、亜沙子は迷った。静かな食堂にメロディが鳴り響く。
「柊君、出て」
 黒峠が言った。そうだ、出るべきだ。出なければいけない気がする。亜沙子は通話ボタンを押した。
「……もしもし?」
「アサちゃーん、元気ぃ?」
 全身に鳥肌がたった。男の声だ。中途半端に高い奇妙な声だった。
「ど、どちらさまですか」
「アサちゃん、僕だよ。悲しいなぁ、忘れちゃったの? 無理もないか。しばらく会ってないものねえ」
 癖なのか、男はいちいち語尾を伸ばして話しかけてくる。
「私、あなたなんか知りません。人違いじゃないんですか」
 声が震えた。しかし、自分で「知りません」と口にしながら、違和感を覚えた。知らない? 本当に? 私はこの声を、この人を知らない?
「まあいいよ。そのうち思い出す。それよりさぁ……」
 声のトーンがいきなり下がった。
「その男、誰?」
 ゾッとするほど低い声だった。思わず辺りを見回す。見られているのだろうか。
「近くにいるんですか」
「いいやぁ、いないよ」
「……私は一人です。男の人なんて側にいません」
 すると男は、急に声を荒げた。
「いるだろうがあああっ! お前の前のソイツだよおおぉおぉおおお!」
 驚いて携帯電話から耳を離すと、黒峠が取り上げて電話を切った。
「大丈夫? 柊君」
 亜沙子は呆然として隣に立つ黒峠を見上げたが、すぐに立ち上がった。
「この変な奴! ……みんな変ですけど、この人近くにいます! 先生が近くにいることを知っていたんです」
「ああ、聞こえた。でもそれらしい人影はないよ。隠れられそうな場所もないし。防犯カメラならあそこについているね」
 振り向くと、小さなカメラが天井から下がっていた。
「数か月前のことだけど、ここの大学の食堂で、置き引きとか、盗難事件が続いてね。犯人は内部の人間じゃないかって疑われていたんだ。あんまり騒ぎにしたくなかったみたいでさ、学生部の呼びかけで、期限付きで防犯カメラを設置することにしてみたらしいよ」



[*前] | [次#]
- 31/94 -
しおりを挟む

[戻る]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -