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 あの怪しい黒峠はどこにいるのだろう。何気なく名刺を裏返してみると、右下に小さく数字が印刷されていた。何の暗号かと思ったが、数字からして携帯電話の番号のようだ。普通、こんなところに印刷するだろうか。彼が普通ではないということをすっかり忘れ、亜沙子は思った。
 せめて表に書いてくれればいいのに。裏に、しかも虫眼鏡が必要なくらい小さな字で印刷するなんて。気がきかないというか、良い印象は受けない。
 そうだ。ここに電話をかける方が手っ取り早いのでは?
 携帯電話を取り出し、亜沙子は画面を見つめた。よく知りもしないのに、いきなり電話をするのは失礼だろうか。だが、事は急ぐ。迷った挙句、かけてみることにした。呼び出し音が鳴り続ける。
「はあい、もしもし。黒峠ですが」間違いなく彼だった。何故か底抜けに明るい声だ。
「もしもし、突然すいません。私、東高校の柊と申します。昨日お会いした者なんですが、覚えてますか」
 黒峠は思い出せないのか、電話の向こうで唸っていた。突然あっと声をあげる。
「ああ、覚えているとも。東高校の冷や飯君でしょ。鳥泥棒の」
「柊です! 鳥泥棒じゃない!」亜沙子は怒鳴った。
「おい、そんなに大声を出さないでくれないか。鼓膜が破れたらどうしてくれるんだ」
 亜沙子は携帯電話から耳を離した。今の声は、電話から聞こえてきたのではない。すぐ側から聞こえてきたようだった。振り返ってみた。
「やあ、柊君。そこにいたのか。やけに声がよく聞こえると思ったんだ」
 黒峠は相変わらずコートを着て亜沙子の後ろに立っていた。今日は鳥かごの代わりに、重そうな米袋を抱えていた。
「どうかしたかな。何か用?」
「……どうしてお米なんか持っているんですか」
 黒峠は米袋に目をやった。
「腹が減ったんだよね。今から米を炊こうと思ってさ。柊君も食べる?」
 やはりここに来るべきではなかったかもしれない。亜沙子はため息をついた。

 * * * *

 案内された研究室は、とにかく凄まじかった。一言で言えば、汚い。部屋に足を踏み入れるのを躊躇するほどだった。
 立派な本棚があるというのに、本は全て無造作に床に積み上げられている。そしてその本棚には、本の代わりに整然とレトルト食品が並べられていた。壁には半分だけの世界地図が貼られ、机の上には炊飯器が置かれている。妙な物ばかりが並ぶ棚で特に目につくのは、アンモナイトの大きな化石だった。
「米を炊くから待っててくれ。その辺に適当に座っていていいから」



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