12


 いつからこんな異常な事態になっていたのだろう。今朝電車に乗った時は、遅刻の理由を考えるのに夢中で気が付かなかった。何がどうおかしいのかは分からないが、何もかもおかしくなっていることは間違いない。目的の駅に着くと、亜沙子は全速力で家に向かった。

 * * * *

「ただいま! お母さんいる?」
 息を切らして飛び込んできた娘を見て、母の美和子は弾けるように笑いだした。
「あんた、どうしたのぉ、そんなに血相変えて。金魚に食べられた牛みたいよ」
 亜沙子は金魚が牛を食べるところを想像しようとした。意味が分からない。金魚がどうやって牛を食べるのか。激しく首を横に振り、寝間着姿の母の肩をつかんで揺さぶった。
「お母さんこそどうしちゃったのよ!」
「どうしたって何が」
 母は大笑いしている。
「変だよ、お母さん!」
 亜沙子が「変」という言葉を口にすると、美和子は笑うのをぴたりとやめた。驚いた亜沙子は、母の肩から手を離した。
「変? 何を言っているの亜沙子。どこがおかしいの」
 明らかにさっきまでとは様子が違う。
「あなたこそ変よ。熱でもあるんじゃない?」
 美和子は娘の額に手をあてた。その様子は、娘を心配するいつもの優しい母そのものだ。
「どうかしたのか」父親が歩いてくる。
「あなた、亜沙子が変なのよ」
「あたしは変じゃない!」
 亜沙子は大声をあげた。母は興奮する娘をなだめ、ソファーに座らせた。
「疲れているのよ亜沙子。受験生だもの、プレッシャーでも感じているんじゃない? 今日はもういいから、学校は休んで少し寝なさい」
 自分が変だと言われるのは心外だが、確かに自分は疲れているのかもしれないと思った。今見ている限り、両親はいつもの様子と変わらない。至って普通だ。もしかして今までの出来事は、全て悪い夢だったのだろうか?
 そうだ、きっとそうに違いない。亜沙子は安堵した。本当に、おかしかったのは自分の方かもしれない。
 ふと、あることが気になった。
「ところでお父さん、仕事は?」
 その瞬間、両親は今朝のように顔を見合せて大声で笑った。亜沙子を指さし、笑い続ける。
「お前はおかしいんじゃないのか亜沙子! 何度言ったら分かるんだ。どうして俺が仕事に行かなければならない?」
 坂下先生と同じように、父は真面目な人だった。普段も大声で笑うなんてことは滅多にないし、冗談も言わない。今目の前に立っている父はまるで別人だった。
「そうよ亜沙子。あなた変よ」
「ああ、変だ変だ」
 ここは確かに自分の家のはずなのに、見知らぬ異世界にいるような気分だった。むせかえりながら笑う二人に向かって、泣きそうになりながら亜沙子は叫んだ。
「変なのは私じゃない、みんなでしょう? どう考えても普通じゃない!」
 父の純一は、急に真顔になって亜沙子に呟いた。
「亜沙子、俺達は普通だよ」
 美和子が繰り返した。
「私達は普通よ」
 二人は笑う。もう何を言っても無駄だ。亜沙子は家を飛び出した。



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