不安と胎動


『――森の中で四人の兄弟と出会った。彼らの不仲を、彼らの父は嘆いていた。しかしよく見れば、兄弟は深刻なほど仲が悪いようではなかった。全く、兄弟というのは複雑で難しい。私は彼らの父から象を一頭貰った――(第二話「四人の不和」より)』



「タムが消えてしまいました」
 サンディは引き返し、木陰から二人を見ていた老人ルトに向かってそう言った。
 鼻を持ち上げ、頭の上を指す。さっきまで乗っていたはずのタムは、眠ったかと思うと消えてしまったのだ。
「ルト、タムはどこへ行ったのですか」
「まだいるよ。彼の気配を感じるだろう」
 ルトは歩み寄り、困惑している黒い象の鼻を優しく撫でてやった。サンディは嬉しそうに目を伏せる。
「ええ、私の近くにいる気がします」
「その気配も次第に薄れてしまうだろうがね。彼は長い眠りについたんだ。再び目が覚める時、また、彼の気配を感じるだろう。そこに行ってみてごらん。お前にはわかるし、できるはずだ」
 タムが目覚めるまで、サンディもしばらく眠っていたらいいとルトは助言した。タムの睡眠期は長い。
 星の大地はほとんど形成されているので、どの辺りで休むのが適切か教えてやった。
 素直に聞き入れたかに見えたサンディだったが、黙りこんで足元の土をいじりだした。何か不満があるらしい。ルトはしわだらけの手で、サンディの足を軽く叩いた。
「どうした、サンディ」
 この子はいつも、言いたいことをすぐに言わない。内にためこんでしまう。親しい相手には特にそうだ。
 無言で草をむしっていたが、しばらくしてサンディはぽつりと言った。
「どうして私なのですか。私には自信がありません。もっと適任の者がいるはずです」
「うん」
 腕を組み、ルトは頷いた。
 サンディは兄や姉に比べると、体が小さく力も劣る。本人がそのことを気にする素振りは見せなかったが、ここにきて思わず本音が出たのだろう。
「それに、私はあの人と気が合わないと思うのです」
 ルトは目を見開き、笑い声をあげた。サンディが抗議の意味で鼻を寄せてくるので、「すまん、すまん」と笑ったことを詫びる。
「私はな、案外、お前とタムは気が合うと思う。お前達は似ているから」
「そうでしょうか」
 納得がいかないようだ。
「彼がお前を選んだのだ。だから私はお前を彼の従者としてさしあげたのだよ。わかるね?」
 サンディは鼻をのばし、ルトの肩に触れた。
 心細いのだ。彼はまだ若い。その役目や背負うであろう多くのことにルトはあえて言及しなかった。
 それでもサンディは自分がただの奇態で気楽な旅の供になることを命じられたのではないことを知っている。重圧を感じているのだろう。
 ルトは笑みを滲ませ、愛情をもってサンディの体をさすってやった。
「さあ、行きなさい。愛しい我が子よ。しっかり主人を支えるのだよ。お前にしかできないことだ」
 名残惜しそうにしていたが、サンディは後退し、向きを変えると去って行った。
 ルトはこの先に連なる日々を見通す能力を持たない。だがこの決断が誤りでなかったと胸を張って言える。
 二人の出会いは必然だ。しかもそれは抗いようのない粗暴な運命に従わされたというより、双方が無意識に求めた結果なのである。
 森から騒々しく四素人の空気の人、サヌーイが飛び出してくる。
「タムは? 父さん、タムはどこに行ったのよ」
 憤りを隠さず、険しい表情で周囲を見回している。タムがその形相を目にすれば、泡を食って逃げ出しただろう。
「もうお前達の手出しができないところへ行ってしまったよ」
 ルトが愉快そうに言うと、サヌーイは悔しげに地面を蹴った。
「眠ったのね。そうなのね。全く、騙されたわ。お礼の一つも言いたかったんだけど」
 指の関節を鳴らし、遠くを睨む。視界にサンディの後ろ姿が映ったのか、表情が一変した。
「父さん、タムにサンディをあげたの?」
「そうだ。彼が選んだ」
 心配そうに、サヌーイはサンディを見つめている。
「可哀想に。あの子、きっとここにいたかったはずよ」
「ここにいた方があの子のためになると思うか?」
 ふとルトは疲れた顔つきで言った。それに気づかぬふりをして、サヌーイはかぶりを振る。
「いいえ」
 家族を囲むある一つの暗い影。それは刻一刻と濃くなっていた。もうルトやサヌーイには明らかに見てとれる。サヌーイは現実的な予測をすることを拒み、虚しい希望で一時的に気持ちを落ち着けていた。ルトは知っていた。
「サンディは甘えっ子だからな。少し甘やかし過ぎたかもしれん」
「そうね。父さん、私達よりサンディを可愛がっていたもの」
 冗談めかして拗ねたようにサヌーイが口を尖らせる。
「でも、サンディはいい子だわ。タムには反発するでしょうけど。あの二人、似てるもの」
「お前もそう思うかね」
 父と娘はそろって笑った。
 サヌーイにとって、サンディは弟のような存在だ。ルトにとっては息子の一人だ。愛する家族の出立は寂しい。サヌーイとルトは並んで立ち、サンディを見送っていた。

 サヌーイはそっと父の方を盗み見た。
 父さんは、歳をとった。
 背はほんの少しであるが縮み、顔に刻まれるしわも多くなった。それに、痩せたようだ。
 老いた父の姿を見ていると、悲しみと寂しさがうっすらと自分の中に積もった。サヌーイは俯いた。
 そしてその感情は、もっと別の不安も思い出させた。
「父さん、イヨールから連絡がなくなってからかなり経つわ。前はよく、顔を見せに来たのに。こんなに長いこと音沙汰がないなんて、今までなかったわ」
 監視者であり父の友である黒猫イヨール。信頼できる仲間だ。彼の消息は現在不明だった。
「イヨールの身に、何かあったのかしら」
 口に出してしまってから後悔した。おぼろげだった不安は不意に重みを増して迫り、サヌーイを震わせた。
 ルトもわずかだが頬を強張らせた。
「イヨールは聡い猫だ。そう簡単にへまはしでかさないだろう」
「ええ」
 そう思いたかった。
 ルトの眼差しは温かだった。どのような状況でも彼が望みを捨てることはない。サヌーイはそれに励まされた。感じていた寒さも弱まった。
 それでも尚、心は晴れなかった。
 イヨールが追いかけていたのはあのソロイルスーザだからだ。
 ルトは娘の憂いを察したのか、鳥について一言だけ述べた。確執があるわりに、穏やかな言い方だった。
「ソロイルスーザは強情なだけだ。私はよくわかっている」
 ずっと気にかかっていたことについて、サヌーイは話し始めた。
「私達四人は『ゼラの言葉』を生み出したわね、父さん」
「そうだな。それによって多くのものがもたらされた」
「私達、大方のことができるわ。いいえ、大方のことができると思っていた、と言う方が正しいかしら。私達の『ゼラの言葉』の他にも、彼が理解する言葉があるかもしれない。彼っていうのは、つまり――」
「“沈黙のゼラ”」
「そう。私達にはおそらく、これ以上の言葉は生み出せない。でも、もっと優れた『ゼラの言葉』をいつか誰かが生み出すかもしれないって思うのよ」
「そうだな。全くないとは言い切れない。必要なのは創造力だ」
 ルトは森の方へと歩き出した。サヌーイもそれに続く。
 はたと足を止め、ルトは振り向いた。
 木漏れ日の下のその顔は、これまでにないほど老いて見えた。
 消耗だけではなく、果てしない煩悶のせいで、老けこんだのだろうか。数々の暗い可能性――亀裂から生じる暗黒。
 決して取り越し苦労ではない。
 ルトは深淵を覗きこみ、覚悟していた。しかし、瞳は光を失わずにいる。そこに宿った鮮やかな光。信じることこそが彼の役目だった。
 自分達兄弟にもやらなければならないことがある。怯えている暇はない。
「タムはこの森を不審に思っていたようだよ。虫も獣もいないからな」
「父さん、それじゃあ、ついにやるのね」
「ああ。マシンを作る。もう一度、あの地に戻ろう。私の最後の大仕事だ」
「頑張りましょう」
 果たすべき役目がある。
 サヌーイは父の肩に手を置いた。



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