『――空と大地しかない場所で、名を欲しがる駝鳥と出会った。あまりにしつこいので、私は彼に「ソロイルスーザ」という名を与えてやった。私は彼の名付け親になったというわけだ。勢いで名を決めてしまったことが悔やまれる。彼は喜んでいた――(第一話「創世の祝宴」より)』
開闢の中で私は想起する。
生じたばかりなのだが、もう、多くのものを備えている。
全く不可解だ。
わからない。
私にはわからない。
それともこれが、答えなのだろうか。
わからない。
一切が過程だとしたら、私はその先にあるものを知りたい。
たといそれが、望まないものであったとしても。
然うしてまた、私は眠りにつくだろう。
「ルト、イヨール。あとのことは君達に頼んだぞ」
彼らは言った。旅立ちの時が迫っている。空と大地しかないこの場所に、更なる恵みをもたらすため、彼らは変態するのだ。
一人の青年と一匹の大きな黒猫は、同胞である十三人の彼らと向かい合った。十三人は未だ人の形をしたままだ。横一列に並んだ彼らは同じ型からとった体を持ち、細部にわたって異なる部分は見られない。
一人と一匹はこのメタモルフォーゼに参加する資格は持っていなかった。他に役目がある。
こうしてカタロファー(塊族)は全員最初の姿を捨てることとなった。
一つの時代に区切りがつく。
ルトの気持ちは沈んでいた。
これから起こるであろうことに対しての憂い。始まれば全ては彼の手を離れて無際限に広がっていくのである。
あらゆるものの苦悩。それらはたどれば必ずここへたどりつくこととなる。
ここで始まらなければ起こりえない、数多の悲劇。
「ノフィスカリア(花)のことが心配だ」
彼らの一人が呟いた。
畑のそばに、一輪の花が咲いている。
「ソロイルスーザが嫌っているからな。隙を見ては引っこ抜いてしまおうと考えているらしい。香りが苦手なのか近づくのは気がすすまないようだがな。花もものは言わないが、鳥を嫌っているのが伝わってくる。あの鳥と花は天敵同士だ。花は我らの愛すべき仲間だから、守ってやりたいのだが」
「如何せん、自我のレベルが低いから、自己防衛の術がない。我々の庇護がなければあっという間に鳥に食われてしまう」
ルトは頷いた。
「どれほど待とうとも、花は花のままだろう。私に考えがある。やはり我々のように姿を変えてやるのが一番だと思うのだ。任せてくれ」
ルトが花の面倒を見ることになり、彼らは礼をのべた。
何せこの花はここに存在する、唯一の彼ら以外の自生生物で、親近感を抱き、大切にしてきた。
途方もない長い時間を共に過ごし、こうして言葉を交わすのはこれが最後になるであろう仲間達。彼らは短い別れの言葉を口にすると、実にあっさりと旅だった。
それが彼らの性質だった。深く悩まず、囚われない。
一人感傷的な面を持つルトに比べると、彼らは淡白だった。
見送った後、ルトとイヨールは花のそばに腰を下ろした。
花はひと抱えもあり、この地に在る何よりも白い生き物だ。
秀麗な花だった。派手さはないが、気品が感じられる。純白のしっとりとした花弁が重なっていて、その一枚一枚の間には静かな確信がひそんでいる。緻密で隙がない。
花はこの姿で完成されているのだろう。仲間に約束したものの、ルトには懸念があった。
姿を変えることで、失ってしまうものがあるのではないか。
それについて黒猫のイヨールは「仕方あるまい。そうしなければ花に未来はない。それに、失うからこそ新たに得るものもあるだろう」と言った。
二人はそれぞれ考えに沈み、しばしの間完璧なまでの美しさを備えた花に見入っていた。
世界はあまりに空白が多く、ものさびしい。途方もなく広かった。
やがて、ルトが口を開き、胸の内を訥々と語り始めた。イヨールは前脚を重ね、黙って耳を傾けた。
「この始まりが最初の大きな罪になるのではないかと案じている。責任を負うことを恐れているわけではないのだが」
ルトはため息をついた。
世界や自分の存在がはっきりしたなら、全てのことが明確になると思っていたというのに。
実際はより混迷していくだけだ。
「私は臆病なんだな」
ルトが自嘲すると、イヨールは否定した。
「そうではない。君は我々より思慮深く、優しいんだ。だからこそ君を代表者に選んだ。君の意思は我々の総意だ」
慰めるような笑みを浮かべ、イヨールは続けた。
「確かにこれは、罪になるのかもしれない。我々の気紛れだ。その思いつきで誰かが苦しむのなら、それは過ちになるのかもしれない」
イヨールは前を見据えていた。射抜くような視線は、未来に向かっている。更なる力を欲しているようだった。
ルトとて同じだ。彼らは全知全能の存在ではない。だからこそ、惑う。
「しかし、これは法則なのではないかと思うのだよ」
「法則」
ルトはイヨールの言葉を繰り返した。
「結局我々は委ねられ、我々も委ねるしかない」
「そうだな。そうかもしれない」
ルトは噛みしめるように頷いた。
「もしもこれが過ちであるなら、仕方がない。我々は君一人に背負わせたりはしない。その時は、私も君と共に前非を悔いよう」
重々しい口調で猫は誓った。
今はただ、進んでいくしかない。
それでも、望みがないわけではなかった。彼らは「比較」と「選択」が許された生き物なのだ。
ルトの頭に、一人の青年のことが浮かんだ。
「タムのことだが」
「ああ」
イヨールはため息のような返事をした。かぶりを振ると、ひげが揺れた。
「彼は難しい存在だ」
「タムは法則から逃れられるだろうか?」
猫は答えなかった。
どちらにしても、タムは苦しむに違いない。
彼の存在についてルトは考えてみたことがある。
彼は救済のためにやって来たのか、或いは――。しかし、これ以上のことをイヨールと話し合おうとは思わなかった。
“骨はいつしか 夢を喰い
空をまたいで 星になる“
遠くから、陽気な歌が聞こえてきた。弾むような歌声。どことなく挑発的だ。
“星はまもなく 絶望し
落ちて再び 骨となる“
「ソロイルスーザだ」
イヨールは立ち上がると、声のする方へ顔を向けた。警戒して目を光らせる。
「あいつはほとほと手に余る。近頃は特にやりたい放題だ」
カタロファーの中で個体差があらわれたのはソロイルスーザ、ルト、イヨールの三体だった。その三体の中で、ソロイルスーザが飛びぬけて厄介者だった。
皆で何かをとり決めても、それに従うということがまずない。反抗的で自己主張が激しかった。
最近は目をはなしておけない危険因子の一つで、イヨールが常に彼のことを見張っていた。
「ソロイルスーザの様子を見てくるよ」
「平気か」
「私の方が彼より上手だからな」
片目をつぶると、イヨールは軽やかに駆け出した。つやのある黒い毛並みが緑色を帯びて輝く。
ルトは彼の背に乗って、よく畑の見回りをした。いたずらをするソロイルスーザを二人で追いかえしたこともある。
今回は、一人きりで行くイヨールを待つことにした。
しかし。
ルトには拭いきれないものがあった。
最も初めに個体差があらわれたのは、ソロイルスーザだった。彼は先を進んでいる。彼の力は未知数で、カタロファーの中でも特別なのだ。
“聞け、酔いどれめ! 恥じ入るがいい!”
“大威張りでのせた冠 実は土くれ
種まきなんてしてみても みんな迷惑するだけ
善意の押しつけ もううんざり
偽善者どもは 酔いしれるだけ もううんざり“
“聞け、酔いどれめ! 恥じ入るがいい!”
ソロイルスーザは高らかに歌う。その意地の悪い歌は、いつまでもルトの胸に響いていた。
聞け、酔いどれめ。恥じ入るがいい――
一切が過ぎていく。止めようにも術がない。
皆法則に従って足を進める。
行き着く先も知らぬままに。
しかし、願わくはいつかの終末が――
ルトは顔を上げた。
空に光が溢れ、眩しさに目をつぶる。
天地が燃え上がった。一様に白く染まり、境目もなくなって全てが一つに溶け合う。
鮮烈な光は容赦なく幕開けを告げた。
立ち尽くし、いつまでも太陽を見上げるルトの目には涙が浮かんでいる。
それが何を意味するのかは、彼自身にもわからなかった。
[*前] | [次#]
- 1/5 -
戻る
[TOP]