06


「足跡はもうないようだな。雨が降ったせいで消えちまった」
 膝をついてバーランガは地面を調べる。一目でわかるほど、大きな足跡だったそうだ。その足跡から推測するに、自分よりは遙かに背丈の高い動物だろうとバーランガは断言した。
 サンディが武器を下に置き、木々がなぎ倒された周辺に注目している。
 タムは化け物にも化け物がいたところにも近寄りたくなかったので、遠巻きに二人を見守っていたが、サンディがやけに熱心なので妙に思った。
 サンディは折れた木の断面に指で触れ、じっと立って黙っている。それはいつもの彼と何ら変わらない様子にも見えたが、呆然としているようにも見えた。サンディは感情をわかりやすく顔に表さないが、にわかに滲むこともある。
 タムはサンディに近づいて、声をかけた。
「お前は何かわかったか」
 黒曜石の瞳がゆっくりタムに向けられる。瞬きとともにサンディの視線はすぐに地面に落ち、彼はかぶりを振った。
 わからないのか、わかったけれど言いたくないのか、まだ何とも言いがたいのか――タムは「そうか」と言っただけで、問いただしはしなかった。
 サンディは何かを、化け物の件とは限らないが、タムの知らない何かを知っている気がした。しかしサンディは分別があるのだから、言うべきことなら言うはずだろう。しかるべき時がこなければ話せないのかもしれないし、とにかく彼に任せよう、とタムは思った。
 タムはバーランガに言った。
「化け物はどんな形をしていて、どこが急所かくらいは見当をつけているのだろうな」
「形なんか知らないね、俺は見たわけじゃないんだから。馬鹿でかいってことは知ってるさ。動物なんて大体眉間をかち割れば死んじまうんだ。俺は腕が良いんだ、何とでもなる」
 初めからと言えばそうなのだが、先行き不安な話である。動物の眉間が急所なことくらいはタムでも知っているが、化け物が体が大きくその上もし敏捷であるなら、眉間を狙うのは容易ではないだろう。
 バーランガは勝ち気で大雑把な性格であるらしい。行き当たりばったりでやるつもりだろう。運命をともにする羽目になったタムは、大きなため息をこらえきれなかった。
「計画を練ろう」
 タムはたまらず提案した。
「そんなことはしなくてもいい。俺が木の上にのぼって、お前達をその下でうろつかせ、化け物が来たところに飛びかかってしとめるんだからな、簡単だろう」
 そんな簡単にことが運ぶなら苦労はしない。
「もしお前がしとめ損ねたらどうする」
「しとめ損ねたりなどするはずがないだろうが」
 この男とまともに議論するのは相当骨が折れそうである。だが、命がかかっているのでタムも諦めずに話を続けようとした。
「お前は盗賊の頭で、兵の一掃作戦でも捕まえられなかったのだからかなりの実力があるらしいというのは私にもわかった。腕が良いし、自信もあるのだろうが、万が一ということもある。何が起こるかわからないのが人生じゃないか。だから、他にも検討してみてだな……」
 タムが適当なおべっかを交えながら説得を試み始めた時、サンディがはっとしたように首を素早くタムの後ろの方へ向けた。警戒しているせいか、大きな目をさらに大きく見開いている。
 バーランガもほぼ同時に同じ方を向き、一気に顔を険しくする。異常を察知したのだろうが、タムだけが二人の表情を目にして何だろうと訝っただけだった。
「何か来ます」
 サンディの言葉を受けてタムは硬直した。胃が縮まり、喉の奥が締まる感じがする。骨が錆び付いたかのようにぎこちない動作で後ろを振り向き、「何か」とは何だろう――そんなもの、決まってるじゃないか! と自問自答した。
 予想していたよりもずっと早く、ほとんど不意打ちで「それ」は現れようとしている。
 三人が注視する中、葉が揺れ、「それ」がぬっと顔を出した。
 噂よりもずっと小さな生き物だったが、牛ほどの体格である。見た目も牛によく似ていて、ただ脚が長く、付け根が太くて筋肉質だ。被毛は茶色、瞳は黒。前に突き出た二つの角がタムの目をひいた。
 一瞬、三人と一頭の間に緊張が走る。獣は立ち止まり、タム達を凝視していた。
 「で」とタムは発音した。それは言葉の初めの発音で、一気に言うことができなかったのだ。サンディが即座に注意しようと口を開きかけたが、間に合わなかった。タムはこの緊張をどうにか破りたくなって、こらえきれなかった。
「出た! 化け物だ!」
 一歩退くと、踵が地面をこすって音を立てる。
「タム、静かに」
 サンディの忠告は耳に届いたが、タムの動きは止まらない。そのまま逃げ出してしまった。
 すると、いきなり獣も駆け出して、一目散にタムを追いかけてくるではないか。タムは叫びながら逃げた。
 木立の中なら、あの図体では走りにくかろうと考えたが、見かけによらず小回りがきいて、右へ左へと逃げ回るも、しつこく獣は追ってくる。
 木の幹に手をかけて勢いでぐるりと回転し、方向を変えて落ち葉を蹴ちらし走る。獣も踏ん張り、タムを追う。
 同じ辺りをぐるぐるまわり、サンディが地面に置いたままの刀を見つけた。自分のものは気づかぬうちに放り出していたので、それに飛びつき、脅かしてやろうと振り上げるが、握力がないせいか、刀は手から抜けて空を切り、飛んでいく。
 獣は猛然と角を向けて突進してくる。
「助けて!」
 タムは悲鳴を絞り出した。
 そういえばサンディとバーランガの姿が見えない、と思っていると、上から声が聞こえてくる。
「タム、木の上なら安全です」
 二人はタムを差し置いて、それぞれ木の上へと避難しているのだ。しかしそれをなじる余裕はタムにはない。足を止めればたちまち獣の角に突き刺されそうで、がむしゃらに走り回る。
 疲労のせいか、獣との距離は着実に縮まりつつある。
「タム、木にのぼって下さい」
「のぼれるのなら、とっくにそうしている!」
 タムは従者へ怒鳴った。立ち止まって木に足をかけている間に、角がタムの尻を突っつくに決まっている。どうしようもなくてタムは泣き出しそうになった。
「殺される! 助けてくれ! 助けてくれ!」
 情けねえな、とバーランガの呆れ果てた声が聞こえてくる。
「サンディ! 助けてくれ!」
 サンディとバーランガは別の枝にまたがって見物しているようだ。丁度サンディがいる木の下へ差し掛かったところで、タムは木の根に足をとられて転んでしまった。
 立ち上がるのも間に合わない、角で突かれるか、踏み殺されてしまう。目をぎゅっとつぶったところで、サンディがタムと獣の間に飛び降りた。
 サンディは獣に向かって、しゅっ、という、歯の間から息がもれるような、妙な音を立てた。
 タムが恐々様子をうかがうと、何と獣は走るのをやめていた。
 しゅうしゅう、と更にサンディは不思議な音を立て続ける。じりじりとサンディが接近していくと、獣は後ずさりまでし始める。
 サンディがもう一度、しゅっ、と音を出すと、獣は真っ黒い瞳でサンディを見つめていたが、後ろへ方向転換して、駆け足で去っていってしまった。
 呆然としていると、サンディが手を貸して起こしてくれる。何が起こったのかわからなかったが、サンディは大したことをしたわけでもないという感じで平然としていた。
「じっとしていたらあれほど追いかけ回されたりはしませんでした。あなたが声をあげ、逃げるので、あれは興奮してしまったんです」
 とがめられても反発する気力もないので、タムは疑問を口にした。
「お前が出したあの音は何だ?」



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