03


 男の腕はゆるみ、抜け出すことに成功した。サンディの方へ駆け寄り、男の方を向く。
 屈強な体つきの、大きな男だった。黒いひげは伸ばし放題で、眼光は鋭い。野外で過ごすことが多いのだろう、天日や風雨にさらされたと見える体はどこも浅黒かった。
 上半身は裸の上に毛皮で出来た袖なしの短い胴着をまとっている。いかにも山賊らしい山賊だった。間違っても官吏ではなかろう。肩にはタムの鞄を引っかけたままである。
 彼はタムとサンディを品定めでもするように眺め、顎ひげを撫でた。善良な人間ならば浮かべることはないであろう、性悪さが滲んだ笑みを見せる。
「体つきは軟弱だがまあいいだろう」
 バーランガは一人で頷いた。
「喜べ、お前らを俺の手下にしてやる」
 タムとサンディはたっぷり沈黙した。
 風が吹き、葉がさやいだ。
 タムが口を開く。
「私の鞄を返せ」
 どう反応するべきか少々迷ったのだが、タムがバーランガに言うべきことは結局この一言に尽きる。
 するとバーランガの目の色が変わった。一度は下げた刀を持つ手を再び上げて、刃先はタム達へと向けられる。すぐさま切りつけるという様子はなく、獣が角を向けるのと同様、威嚇の意味がこめられているらしい。
「お前、自分の置かれている立場がわかっちゃいねえようだな」
 口の端をひきつらせて笑っているが、目は笑っていなかった。
「俺は好意で手下にしてやると言ってるんだ。身ぐるみはいで、痛い目に遭わせてやってもいいところをな。何ならこのまま逃げるか?」
 それはできない。鞄を取り返さなければならないのだ。
 飛びかかって鞄を奪い、走って逃げるのはどうだろう。想像してみるも、とても上手くいきそうにはなかった。
 三人共黙ったまま、時だけが過ぎていく。
 バーランガはタムを睨んでいて、タムはバーランガと目を合わせたり、かと思えばそらせたりしていた。攻撃的な視線を正面から受けただけで、戦意喪失してしまいそうになった。ただタムの場合、どれだけ戦意があったところで、実力が全く伴わないので意味がないのかもしれないが。
 いつまでもこうしているわけにはいかないのだが、蛇に見込まれた蛙のような状態のタムは身動きがとれなかった。バーランガも出方をうかがっているのか、動きを見せない。そんな中、口を切ったのはサンディだった。
「彼に従いましょう」
 タムは半歩後ろに立つサンディを振り返った。
「本気か?」
 山賊の手下になれというのか。
 バーランガは笑みを広げると、刀の背で己の肩を軽く叩いた。
「従者の方は物わかりが良いようだな」
「おい、サンディ」
 困惑するタムの耳にサンディが口を近づける。目はバーランガに向けたまま、葉鳴りにかき消されそうな声で彼は言った。
「今はこうするしかありません。隙をついて鞄を取り上げ、逃げましょう」
 あの山賊と自分に身体能力の差があることは歴然としている。真っ向から立ち向かってもこちらに分がない以上、不本意だがサンディの言うようにするしかないのかもしれない。
「話はまとまったのか」
 バーランガはにやついている。
 はいそうです、手下にならせていただきます。などと屈辱的な台詞を言うのも癪なので、タムは黙っていた。代わりにサンディが頷く。
「それなら、俺についてこい。俺のことは頭と呼べ」
 背を向けてバーランガは歩き出した。
「はい、お頭」
 それにサンディが続く。タムも不満げな顔で従った。例え一時でも悪人の配下に置かれるというのは嫌なものだ。
 鞄さえ盗られていなかったら。
 今は山賊の肩にある自分の鞄をタムは見つめた。ついてこい、と言うものの、どこへ連れて行く気なのだろう。何も言わず、バーランガはただ歩くだけである。広い背中を向けて。
 ――背中を向けているのだ。
 これは好機なのではないか。いくら腕力に自慢がありそうな盗人とはいえ、不意打ちをくらえば怯むはずだ。今しかない。
 タムは思い切って駆け出そうとした。
 しかし、前を歩いていたサンディが察してそれを止める。丁寧な止め方とは言えなかった。彼はタムの腹に肘鉄砲を食らわせ、タムは一瞬息が詰まった。目をひんむいて無言の抗議をすると、サンディは首を横に振った。
「おい」
 バーランガが振り向かずに言った。
「妙な気は起こさない方がいいぜ。俺のことを甘く見ると後悔するからな」
 見てもいないのにタムが何をしようとしたのかわかったらしい。さすが山賊の頭である。あなどれない。
 腹を押さえ、タムはおとなしく歩くしかなかった。
 この男に隙などできるのだろうか。そして山賊、というからには仲間がいるのだろうし、これからその仲間に引き合わせるつもりなのかもしれない。そうなれば、ますます鞄を取り戻しにくくなる。
「お頭」
 サンディは突然バーランガに呼びかけた。彼はこの呼び方に抵抗はないとみえ、すんなり口から出てきた。
「お尋ねしたいことがあるのですが、宜しいでしょうか」
「何だ」
「私が小耳にはさんだ話では、ここらに現れる賊はトラマトラの兵に一掃されたそううですが」
「トラマトラ?」
 タムが尋ねる。
「山の先にある小さな国です。この近くの集落と結びつきが強いと聞きました」
「そうなんだよ」
 舌打ちしてバーランガは頭だけ振り向かせた。
「集落の奴らは、草を刈ってトラマトラに献上しているらしい。上等な紙の材料になるんだってな。他にも貴重な薬草がある。集落の奴らは近頃賊がこの辺りで悪さをするんで困っていて、トラマトラに泣きついた。トラマトラとしてはここの道は主要な交通に使っているわけでもなかったが、頭を悩ませていたのは事実だったし、集落と仲良くやるために――恩を売っておくためだな、一肌脱いで、賊の一掃作戦を開始したってわけだ」
「その作戦は失敗したわけだな」
 残念そうにタムが言う。現に一掃されるべき人間がこんなところをのこのこ歩いているのだ。
「いいや、ほとんど成功したな。俺の仲間はみんな捕まっちまった。総勢二十人はこえていたはずだが、俺と二人を残して捕らえられた。頭を逃がしたわけだから、トラマトラの連中は悔しがっているだろうがな……ざまぁみろ、だ」
 バーランガがにやりと笑い、サンディはさらに質問を重ねた。
「賊が捕らえられたのは十日以上も前になるはずですが、お頭は何故ここへ戻ってこられたのですか」
「戻ってきたわけじゃない。俺達は通り抜けようとしていたんだ。あの騒ぎで一旦退却した。三人に減っちまったが、仲間はまた集めればいい。だが、俺達が逃げたのは山のこちら側――」
 バーランガは来た道を指した。
「南か。南だな。南には貧しい村があるだけで、仕事にはならねぇ。まともな町に行くまでには時間もかかる。北の方が仕事になるんだよ。だから危険を承知で峠を通り、北へ進路をとろうと決めた。トラマトラの兵士が警戒している可能性も捨てきれないが、一度逃げた山賊が戻ってくるとも思っていないだろうから、油断してると見込んでな。結局、兵士はいなかったわけだが……」



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