誰かが走ってやって来る。小さな人影はまぎれもなく昨日の少年だった。
「おおい!」
叫びながら手を振り、軽やかな足取りで走っている。
「お兄さん達、この辺りにまだいたんだね。もう会えないと思ってた。会えて嬉しいよ」
息を弾ませる少年は、満面の笑みを浮かべていた。再会を喜ぶにしては大袈裟すぎるほどの表情である。
「聞いてよ! 俺のおかあ、病気が治ったんだよ!」
握った両のこぶしを上下させ、少年は言った。タムとサンディが顔を見合わせる。
「本当か?」
半信半疑でタムは尋ねた。昨日の今日のことである。
「本当だよ。そっちのお兄さんに貰った種をおかあに食べさせたんだ。そうしたら、すぐに治ったよ。水だってろくに飲めなかったのに、今朝は煮た豆を一碗ぺろりと食べたよ。熱も下がって、すっかり元気になったんだ」
まさか、そんなことがあり得るだろうか。第一あれはただの花の種だ。サンディも俄かには信じがたいようで、何も喋らない。
だが少年の様子を見ると、嘘でないことは明白だ。押さえきれない喜びが全身に表れていて、今にも踊り出しそうだ。
「早く帰って、おかあのそばにいてやらなくちゃ。お礼を言いたくてここに来たんだ。だから、会えて良かった。あなた達のおかげだよ。ありがとう!」
戸惑いつつも、タムは笑って頷いた。象にも宜しく言ってくれ、と少年は言う。
「お兄さんはタムっていったね。あなたは?」
「サンディです」
サンディが静かに答える。
「そう、サンディか。ありがとう。本当にありがとう。お礼はできないけど、タムとサンディのことは忘れないよ。ありがとう!」
少年は元気に言うと、駆け出した。昨日とは対照的な後ろ姿であった。希望に満ちている。
「何があったんだろう」
タムは首をひねった。
「さあ」とサンディ。
「簡単に治るものなのか、燃える悪魔という疫病は」
「いいえ。そうだったら、皆恐れませんよ。ただ、治る者もいるにはいるそうです」
タムはあることを思い出した。
「お前、種に何かしたんじゃないか。手を重ねたあとに、やけに白くなったように見えたぞ」
サンディは小さくかぶりを振って否定する。
「まさか。何もしていません。見間違いでしょう」
本人がそう言うのなら、見間違いか。
「あの子の想いが届いて、奇跡のようなことが起きたのでしょう」
サンディはそう結論づけた。
そうかもしれない。甲斐甲斐しい息子の看病が、母の身に奇跡を起こした、そういうことがあってもいい。
歩き詰めだったので、足が痛くなった。肩の荷もおりたようでほっとした。タムは座り込むと鞄から本を取り出し、ペンを走らせた。
――不思議なこともあるものだが、こういうことならいくらでも起きていいだろう。何はともあれ、よかった――
サンディがタムの横に座った。
「良かったですね」
抑揚もつけずに彼は言うが、その目はどこか安心しているようでもあった。
「ああ、そうだな。よかった」
タムは何度も頷いた。
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