冷徹とまではいかないが、サンディはいつも冷静で割り切った考え方をする。少年に同情したのは、あの子がまだ子供だったからだろうか。
サンディは穏やかに流れる川を眺めた。
「彼は母親を失えば、一人きりになってしまうのです。兄と姉を亡くしたと言っていました」
兄と姉。その言葉に薄っすらとだが特別な感情が含められていた。そしてタムは思い出した。サンディにも、兄と姉がいたのだ。確か、兄が白い象のナティで、姉が灰色の象エメディだ。
現在はどこでどうしているのだろう。同じように兄と姉を持つサンディは少年の悲しみに共感したのかもしれない。
「お前も会いたいだろう、兄と姉に」
タムが何気なく言った途端、サンディは思いがけない表情をした。
目を見開き、明らかに驚いていたのだ。
これにはタムも驚いた。というのも、サンディが表情を変化させるのは稀なことなのである。怒りや不満など、表れるには表れるが、あまりに些細で、注意しなければ気がつかない。いくらか付き合ううちに、ようやくタムも判別できるようになったほどだ。
それが今は、タムでなくとも、初対面の者が見ても、驚いているとわかるのだ。
森の中、弓矢で狙われても落ちついていたこの従者である。例えタムがこの場で口から生きた魚を二十匹吐きだして、それが川を元気に泳いでいったとしても、ここまであけっぴろげに驚かないだろう。
「どうした?」
タムはサンディに顔を近づけた。サンディが目をしばたたかせる。
驚愕の表情は揮発するかのごとく、みるみる消えていった。
妙なことを口走ったつもりはないし、別のものに反応したのだろうか。しかし周囲は静かなもので、特に目につくものもない。
「何でもありませんよ」
そうは言うが何でもないようには見えなかった。ただあまりにも何事もなかったように振舞うので、タムは自分が幻でも見たような気分になった。
サンディは懐かしむように目を細めて、遠くを見た。
「そうですね、会いたいです。ナティとエメディに」
彼はなかなかそういったところを見せないものの、優しい象なのかもしれない。少なくとも、少年と接していた時の彼は優しげだった。
その半分でもいいから主人に優しさを注いでくれたらいいのだが。タムはそんなことを思った。
幾度か休みながら、二人は川辺を歩き続けた。起伏はなだらかで岩場もほとんどなく、歩きやすい。夜が更けてくると、サンディが象の姿に戻りタムを乗せて歩いた。
象くらい大きな動物には、獰猛な肉食獣もそう近寄ってはこないそうだ。襲われない為の予防策、というわけだった。
「ここらにはどんな動物がいるんだ」
タムはひょいと身を乗り出した。
「そうですね……。虎がたまに出ますよ。あれはよく夜に動き回りますからね」
それを聞いたタムは即座に頭を引っ込め、万が一にも転げ落ちないようしっかりと座り直した。縄でもあれば象に体を固定したい。そうまでしないと安心できなかった。
何せ虎である。怖じ気を覚えるのも無理はないだろう。
断じて、臆病なのではない。
サンディはタムが背の上で身を縮めたのを感じたらしい。
「タム、可能性があるだけですよ。虎に出くわすことなどあまりありません」
「そうか」
「虎以外にも恐ろしい動物はたくさんいます」
安心させたいのか脅したいのか。とにかく、タムの心から不安は取り除かれなかった。
サンディは柔らかい草を集めてタムの寝床を作った。タムはサンディの背から降りることをかなり渋った。しかし、彼の上で眠るというわけにもいかないのだ。
「大丈夫ですよ。私がそばにいれば、獣も寄ってきませんから」
従者はどうにか主人をなだめようとする。
「だが、それは絶対の保証があるわけでもないだろう」
寝床の上であぐらをかき、タムがごねる。
「それでは川の中にすっかり沈むか土の中にすっかり埋まるかして眠ってはどうですか。そうしたら安全でしょう」
こういったことにはこらえ性のないサンディは、早くも突き放すようなことを言い出した。これ以上機嫌を損ねるとタムを置いてどこかへ行ってしまうかもしれない。
そうなっては事なので、従うことにした。
横になり、耳を澄ますと水の流れる音が聞こえてくる。森は静かだが、絶えずその息づかいが聞こえてくるのだ。
その中にどうか獣の唸り声がありませんようにと祈りながら、タムは眠った。
翌日。
鳥の鳴く声で目覚める朝というのは、爽やかなものである。体のどこも獣にかじられてはいない。
象の姿のサンディは言葉通り一睡もしなかったようで、ほとんど昨夜と同じ位置で目を開けてじっとしていた。
「起きていたのか」と問うと、答えるかわりに耳をパタパタと動かした。
こういった森に、象の食べるものは豊富なのだろう。サンディは草をむしって食べていた。
川で魚が採れないかとタムは試みたが、浅いところにはいなかった。落ちている小さな木の実を拾って食べることにする。殻ばかり硬くて中身は少なく、腹の足しになるものではない。サンディにすすめられた黄色い花の蜜はうまかった。
「お前はいいな。草で食事が済むのだから」
「そうは言いますが、私だって草なら何でもいいというわけではないんですよ」
そういうものなのか。少々意外だった。
更に他の花へ手を伸ばすタムに、サンディが声をかけた。
「その蜜を吸ってはいけませんよ、タム」
「さっきのやつと同じじゃないか?」
「似ていますが、違います。それには毒がありますから、腹をくだして三日は寝込みますよ」
こんなところで三日も寝込むのは御免である。全く森というのは、危険が多くて油断ができない。
支度を整えると二人は出発した。サンディは人の姿に変わった。
お互い、昨日に続いて言葉少なに足を進める。考えていることは同じだろう。どちらもそのことには触れないが、頭から離れないのだ。
「タム」
サンディがタムの目を見た。「戻りませんか」
タムは微笑んだ。
「いいよ、戻ろう。私もそうするべきだと思っていた」
戻っても状況は変わらない。あの少年に会えるとも限らない。それでも、もう一度あの子に会いに、戻るべきだ。
理由らしい理由や、深い考えがあるわけではなかった。
タムとサンディは踵を返し、来た道を戻り始めた。そしてめっきり口を閉ざして歩き、タムは無心になろうとつとめた。
どうこう考えて答えが出ることではない。考えに考えたとして、それが正しいことであるとも限らない。
時には前を向き、時には空を見上げ、また時には自分のつま先を見つめ、タムは歩いた。サンディは前を見据え、時々頭を動かして川や対岸に目をやっていた。
かなり歩いた。
そろそろ、昨日のところに着いてもいい頃だとタムが思った時だ。
「タム」
サンディはタムに呼びかけ、目が合うと視線を前に移した。
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