燃える悪魔:01


 タムは目を覚ました。
 視界がぼんやりとかすんでいる。
 赤い影があった。次第に焦点が合い、それがくすんだ赤い色の上着を着た人間だということがわかってくる。頭に布を巻き、髪は銀で、肌は黒い。
 その誰かは大量の、葉の茂った枝を膝にのせていた。口にも枝を押し込んで、乱暴に噛みちぎっている。入りきらなかったものはいくらか口からはみ出していた。
 タムはぎょっとして身を起こした。
「サンディ、何をしているんだ」
 サンディは首だけ動かしてタムを見ると、草食動物らしくゆったりと顎を動かして葉を食べてからこう言った。
「食事をしています」
「うまいのか」
「ええ。この葉は、柔らかくて口に合います」
 彼が枝ごと葉を食べるのを見ているだけでのどがちくちくしてきた。いくらその正体が象だとはいえ、人の姿のサンディがひたすら葉を食む図は異様である。主に葉を食べているようだが、枝も一緒にかじっていることには特に頓着していないようだ。
 どうやらここは川辺のようだった。目の前には流れの速くない大きな川があり、対岸には木立が並んでいる。こちらの背後も森だ。
 サンディは飽きもせず、ひたすら草を無感動に食べていた。
 タムも腹が減ってきた。しかし、従者と同じものを食べるわけにもいかない。あんなものを口に入れれば、のどに刺さってしまうだろう。タムは象ではないのだ。
「タムも食べますか」
「草はいいよ」
「魚の燻製です」
 サンディはふところから布の袋を取り出した。受け取って開けてみると、確かに赤茶色の魚の燻製が一切れ入っている。チーズの欠片のようなものもあった。
「これはどうしたんだ。お前が作ったのか」
「いいえ。行きずりの商人から貰いました」
 タムが目覚める前、ある一人の商人が道端で往生しているところにサンディが遭遇したそうだった。
 品物を乗せていた車の車輪が泥にはまり、さらにそれを引く馬の機嫌がすこぶる悪く困っていたらしい。商人は一度馬に蹴られ、運よく大事にはいたらなかったものの、死ぬところだったそうだ。
 サンディはまず高ぶっている馬の気をしずめ、それから商人と共に車を押すのを手伝ってやった。その礼に食料を貰ったのだという。
「私は魚など食べないのですが、タムなら食べるだろうと思って受け取りました」
 燻製は塩気が強くてうまかった。チーズも質のよいものでもなかったがまあまあの味だ。
 サンディが森の中に入り、新たに枝を集める。タムもそれについていった。草を食むサンディの隣で木の根に腰を下ろしのんびりとしていたタムは、ふと空を見た。煙がのぼっている。
「人がいるようだな」
「川下へ行くと小さな村があるのです。しかし、寄らない方がいいでしょう。そこでは今、疫病が流行っています。あなたにうつるとは思えませんが……」
 そこでサンディは枝を握ったまま、自分の言葉にびっくりしたようにタムの顔を見た。わけのわからぬ反応に、タムは首をかしげて見つめ返す。
「タムは見かけによらず丈夫そうなので平気だと思っただけです」
 タムが何も言わないのにまるでサンディは言い訳でもするように付け加えてから、こう続けた。
「とにかく、用心するにこしたことはないでしょう。ここには長居するべきではありません」
「お前に病気はうつらないのか」
「この辺りで流行っているものは人にしかうつりません。私は象ですから」
 人に化けていても、やはり象は象なのだ。
 そんなわけでここから早く離れようということで意見は一致した。川辺に出て、川に沿って歩くのが森の中を行くよりも安全だそうだ。
 草をかきわけて二人は再び川辺に出た。
 すると、大きな一羽の白い鳥がひょこひょこと走っていた。羽の先は黒く、嘴も黒い鳥だ。
 それを一人の少年が追いかけている。
 少年は鳥を捕まえようとしていたが、鳥ははばたき、空へと逃げてしまった。悔しそうに少年は顔を歪める。
 それから気配を察知したのか、さっとこちらへ視線を走らせた。
「誰」
 十歳くらいだろう。痩せていて、見るからに貧しそうだった。大きな目は不安げに見開かれている。
「私はタムだ。こっちは私の従者」
「旅の人」
「そう」
 少年はじっとこちらを見て、突っ立っている。
「鳥を逃がしてしまったな」
 タムが笑うと、少年もはにかむように笑った。
「捕まえられると思ったんだけど」
「捕まえてどうするつもりだったんだ?」
「決まってるよ、食べるのさ。おかあに栄養をつけさせてやりたかったんだけど……」
 残念そうに、鳥の去っていった空を見上げている。そういうこの子も、栄養不足のようだった。もっともこの時代、栄養が足りている者の方が少ないのだろうが。
「鳥はダメだったから、魚にしようかな。上流には魚がいるんだ。焼くとおいしいんだ」
 行ってから少年は表情を曇らせ、下を向いた。
「でも、魚もダメだろうな」
「どうして。捕まえるのが難しいのか」
 タムの問いに、少年はかぶりを振る。
「そうじゃないんだよ。捕まえたって、おかあは食べられない。かなり弱っていて、ほとんど何も食べられないから」
「病気か」
「うん」
 この子は川下にある村の子供なのかもしれない。そうだとすると、母親は疫病にかかってしまった可能性がある。
「お兄さん達は、都から来た人?」
 警戒は解けたのか、少年は距離をつめてきた。
「いいえ」サンディが答える。
「そうか。でも、それじゃあ、都に行ったことはあるかい? 都の人は病気になっても治るって聞いたよ。悪魔を追い出す薬があるんだってね」
 悪魔とは、何のことだろう。またサンディがそれに答えた。
「都へ行っても、そういう薬は貴重で手に入りませんよ。またその薬があったとして、絶対に助かるとは言えないのです。都の人々も燃える悪魔に怯えています」
 少年は「そうなの」と落胆すると、川の方を向いて座りこんだ。
「燃える悪魔、とは何だ?」
 タムが小声で従者に尋ねた。
「疫病の俗称です。これにかかると体が燃えるように発熱し、それは体に入った悪魔の仕業だと考える者も多いのです。都でも疫病は流行っていて、薬はあるのですが貧しい平民が手に入れられるものではありません。貧しい者はせいぜい、悪魔祓いの祈祷にすがるしかないのです」
「悪魔祓いか。しかし、効果はないんだろう?」
「そうでしょうね。私は先日医学の知識がある者と会って話す機会があったんですが、彼が言うには、この疫病にかかるとはらわたがいたんでしまうようですよ」
 サンディは腹部を押さえた。
「水分と栄養をとらなければならないのです。しかし患者は衰弱していますから、まともに食事もできず……」



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