08


 闇を恐れる心は誰しもあるだろうが、それにしてもこの僧の怯えようは異常である。
 うつむいて話を聞いていたルドノフが、顔を上げた。
「あなた方に神はいないのですか」
 唐突な質問だった。
 セパーダが答える。
「自然を司る一神四神がいます。我々は彼らの恩恵に与っているんですよ」
「やっぱりだ」
 ルドノフは鼻で笑った。
「一神四神の話は僕もこちらへ来て聞きました。ろくでもない神だと、僕は思う」
 彼は三人の顔をざっと見回し、続けた。
「僕の故郷には、羽のある神がいました」
「羽のある神」
 タムは思わず口に出してその名を繰り返した。
「僕の父は、羽のある神の教えを広める為に国を出たんです。羽のある神は僕達を救ってくれます。救う為にやってきたのですから。僕らの国では皆その羽のある神をあがめ、平和に暮らしているんです。一神四神はあなた方に何をしてくれると言うんですか?」
 ルドノフの口調が熱を帯びてきた。目がぎらぎらと光っている。侮蔑の色を含む目つきだ。
「自然の神は人に何もしてくれない。むしろあなた方を脅かしています。傲慢な神様にへつらうようなことをするのは、馬鹿馬鹿しいと思わないんですか。嵐が起これば空気の神が怒っていると言う。洪水が起これば水の神が怒っていると言う。そんなものはね、神ではないんですよ。怒って、力で人を服従させるのは神のすることではない。愛をもって人を救う、これが神だ。神は慈愛に満ちているんです。人に様々なことを強要する一神四神は神などではないんだ」
「一神四神が人に何かを強要したことなどありません」
 サンディが鋭く言い放った。
 その目に浮かんでいるのは、明確な怒りだった。
 この象がこれほどはっきりと誰かに敵意を見せることなど、珍しいとタムは思った。
 ルドノフはやや顎をそらして見つめ返した。こうして二人の視線が交わるのは、出会ってから初めてのことかもしれない。
「そう思いたいのなら、思っていればいいですよ」
 ルドノフは冷笑を浮かべた。「どちらが正しいかは、いずれわかる。後の世が証明します」
 気がつけば夜は明け始めていた。まだ太陽は昇らないが、火がなくても互いの顔が見分けられるくらいの明るさはある。
 短い一晩だった。
「セパーダ、私と共に、私の国へ行きませんか」
 にこやかな表情に変わったルドノフがそんなことを言い出した。
「あなたの国へ?」
「こんなところへいてはあなたの病は悪いままです。私の国へ行けば、必ずよくなります。羽のある神の加護がありますから。現に、私は暴れるあなたの心をしずめることができたでしょう」
 彼は自信にみち溢れた言い方をするので、何やら説得力があった。ルドノフには、人をひきつける資質があるのかもしれない。まだ完全とは言えないが、目覚めつつあるその才能の片鱗を、タムは垣間見た気がした。
 セパーダはひとしきり考えたようだったが、その可能性にかけてみることに決めたようだ。
 口出しするようなことではないので、タムもサンディも止めることはなかった。ただ、賛成もしなかった。
 夜明けとともに、ルドノフとセパーダは旅立つことになった。
「長い道のりになるでしょうから、たどり着くかどうかはわかりませんが」
 昨日までのどこかいじけた様子とはうって変わり、今のルドノフは迷いが吹っ切れ、清々しく見えた。
 歩き出した二人をタムが呼び止める。
「それでは、これは餞別だ」
 ポケットに入っていた金貨を投げた。
「いいんですか」
 ルドノフが目を丸くしている。
「足りないだろうがな」
 ルドノフは笑ってかぶりを振り、また歩き出した。
 その時、意外なことにサンディがルドノフに声をかけた。
「ルドノフ。あなた、象が嫌いでしょう」
 また突飛な質問で、ルドノフは眉をひそめた。だがすぐに笑みを浮かべて、こう答えた。
「嫌いです」
 朝陽が昇る。セパーダの恐れる闇が、夜が、逃げていく。
 まるで太陽を味方にしたように、太陽を背にして、ルドノフは立っていた。彼の体の輪郭から光がほとばしる。それは怪しく、そして神聖な光だった。
 セパーダとルドノフは光に向かって歩いて行った。
 従者の言うことは当たっていた。ルドノフは象が嫌いなのだ。遠ざかっていく二人の影を見送りながら、タムは思った。
 そのどうということもない事実が、なぜかしら胸を騒がせる。
 灰となった焚き火の隣に座り、本を開いた。今日は何を書くべきか。全てのことを書く気にはならず、気分も沈んでいたので、とりあえず一言、こう書いておくことにした。

 ――彼は恐ろしい――

 これがタムの、ルドノフに抱いた印象だった。
 いつか彼は羽化するのではないか。何かへと。今はまだ、さなぎなのだ。
「また、会う気がします」
 サンディが呟いた。
「セパーダか? ルドノフか?」
「ルドノフです。正しくは、彼の意志です。私はまたどこかで、ルドノフの意志と出会う気がするのです」
 タムもそんな気がしていた。彼と――彼の意志とは、またどこかで出会う。
 それは、予感だった。



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